ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

言葉の力

2013年02月10日 | 示されたこと

Photo  今回長崎に行って、特に感じたのは、浦上の四番崩れに関連してのことだった。

 今、この国では信教の自由がある。どんな神を信じ信仰を持とうと、それは個人の自由である。しかし1873(明治6)年というから、今から140年前まではそうではなかった。(右写真はその時撤去された高札)

 1614年の徳川家康によるキリスト教禁教令から1865年の信徒発見、1873年のキリスト教禁止の高札撤廃までの250年以上にわたってキリスト教は地下に潜行
し、時には想像を絶する迫害を受け、多くの殉教者を出しながら信仰を守りきった。見つかれば死罪という過酷な状況で、度重なる密告におびえながら、どうして信仰を守れたのか。まさに驚嘆に値する。

 この奇跡的な出来事が起こった理由の一つに「バスティアンの四つの預言」がある。地下に潜行しても、七代までは信仰(霊魂)が守られる。そしてコンヘソーロ(司祭)が大きな黒い船に乗ってやって来て、ミサや告解(コンヒサン)が好きにできるようになる・・・・というものだ。この預言通り、ちょうど七代の隠れキリシタン指導者(写真はその指導者である帳方屋11_big敷跡)が終わった時、幕府は開国し、預言通り黒い大きな船に乗って長崎にも宣教師がやってきたのだった。

 ほどなく「ワタシノムネ アナタトオナジ」と浦上のキリシタンが告白、黒い船と250年を堪え忍んだ信仰は預言通り一つのからだとなった。このキリシタン信徒発見のニュースは、全世界を驚かせ、その心を燃やした。明治政府がどんなにがんばっても、600人以上の拷問死を伴った「浦上一村総流罪」を取りやめざるを得なかった。

 岩倉使節団はどこの国に行っても「ウラカミ、ウラカミ」と叫ぶデモに囲まれた。念願の不平等条約改正には、信教の自由なくしてあり得ないことを思い知らされたからである。世界は浦上のキリシタンに感動し、決して忘れなかったのだ。バスティアンの預言は世界を動かし、成就したのだ。だからクリスチャンは、どんなに世間から白い目で見られようと、世に媚びて信仰を薄めたり控えてはいけない。この流され続け、実証された多くの血をおろそかにはできない。

  人はどんな逆境になろうと、希望さえあれば耐えられるものだ。七代は守られ、そして大っぴらに信仰の自由が得られるというバスティアンの預言は、すべての隠れキリシタンにとってまさに希望だった。「預言」という神からの言葉の力をあらためて教えられる。「預言」はこれからの時代にも、神によって大きく用いられることだろう。  ケパ

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