テニスでの送別会Part3
仲間はみな私が牧師だと皆知っているので、私の送別会となると、当然、宗教の話が出る。
みんな元気で、シングルスという体力的にもハードなテニスをするぐらいだから、それぞれスポーツマンシップと戦う意思力旺盛な人たちだからか、次のような 話題が出るのは自然だ。曰く「宗教とは、人が病気したり、失恋したりの、人が弱くなった時に、(『禿鷹のように』とまでは言わなかったが)勧誘にくる。」
つまり、人の弱さにつけ込むのが宗教だととらえられており、暗に私にブレーキをかけてくるのである。多くの他宗教は、そのような勧誘、布教を常套手段としているのだろうと、確かに想像に難くない。このような見方をする人たちに、どのように「そうではない」と言っても無理だろう。
私はこう言いたかった。「そうではなく、そのような弱くされた時こそ、自分の真実な姿が見え、救われなければならない自分が分かる時なのだ。ちょうど、それまでの多くの友は去っても、真の友は見捨てないようなものなのだ」と。
また牧師として、病ならば病が癒やされるように、事業の失敗なら再び軌道に乗るように、承諾をへて共に祈りたい。私には力はないが、全能の神にはあるからだ。 ケパ