ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

ことばを聞く

2014年06月09日 | 

Photo  最近、思い出したように観た25年前の映画で「フィールド・オブ・ドリームス」がある。これまで観ていなかったので、放送を録画しておいたのだ。映画では幻聴のような"If you build it, he will come."=「それを作れば、彼が来る」の声が主人公に幾度も聞こえ、ついに彼はその声に従って自分のトウモロコシ畑に野球場を作った。しばらくは何もなかったが、やがて不祥事で球界を追放された伝説の大リーガーたち・・・・とっくに故人となっているはず・・・・がやってくるというファンタジーなストーリーだ。

 

 主人公に語る声は人々を動かし、遂には父との確執で生じた心の傷をいやすというオチがついている。しかし私はこの映画、人を「声」で動かすということに、結果はいかにもハッピーのように飾られていても、非常に悪霊的な感覚を持った。このようなことがまったく分からない人、関心がない人にはここでブログを読むのを止めてもらった方が良いかも知れないが、「声」には3種類ある。神が語る声、人が自分の思いを語られたと錯覚する場合、そしてサタン(悪霊)が語る声である。
 当然のことだが、真にイエス・キリストの神を信じない人には、ほとんどの場合、神は語られないし聞こえないので、聞いているのは自分の思いかサタンの声である。悪霊には悪霊の力がある。主人公が"If you build it, he will come."の声に従って行けば、不思議が展開して行くのは驚くべきことではない。しかしはじめこそ人を喜ばせ有頂天にさせるが、悪霊の結果は常に破壊的である。映画のラストシーンは、主人公たちの経済的な破綻を救うべく、20ドル払ってでもトウモロコシ畑の幽霊たちの試合を見に来ようとする車列のシーンである。特定の人にしか見えない、つまり見えはしない幽霊たちのゲームを、観る施設もないところに大勢押しかける、つまりあり得ない偽りのシーンで終わっている。偽り、これが真実である。


 「声」が神からなのかサタンからなのか、これが決定的なポイントだ。ホンモノのお札にいつもさわっている銀行員は、偽物が瞬時にわかると聞いている。「声」の見分けは、ホンモノを知らなければ見分けることが出来ない。つまりクリスチャンであっても、神の声を聞いたことのないクリスチャンにはわからない。見分けられないのであれば、大やけどをする可能性が高く、決して立ち入らない方が賢明だ。ノンクリスチャンでもこの映画を、(冷静に判断するなら)超非現実的な話で「オカルト」と評した人がいるが、正しいと思う。

 

 時折り私に、「牧師、あなたのように『神の声』を私も聞きたい」とその方法を質問されるPhoto_2ことがある。(注:誤解しないでいただきたいが、私は神の前に罪深い人間である。ただ心から自分を悔い改めた時、声を聞いた。その声は神の愛に満ち、私の人生を根底から一新し、献身者へと導いた)・・・・そのように聞かれた時、私は自らの体験と現在とを思い出しながら、神の声を聞く数年前から、どんなに自分が聖霊なる神を、その(聖霊の)バプテスマを求め続けていたかと思い出す。洗礼を受けて30年以上、熱心にクリスチャン生活を送っていても、神を実際には知っていず体験もしていなかった時代を。
 聖書からもはっきり言えることは、たとえクリスチャンであっても、神の声を聞く・・・・は神の主権に属することであり、神に決定権がある。人はただ、求め祈ることができるだけである。
もう一つ付け加えるならば、「もし聞いたならば、その言葉に全財産、全人生を投げ出してでもすぐさま従う」というレディネスが出来ている人に語られるだろうと言うことだ。神の言葉は、それを聞き従う人に語られるのであって、空しく地に落ちることはないからだ。

 「神の声を聞きたい」ともし言われるのであれば(実はクリスチャンは鹿が谷川を慕いあえぐように、それを求めている)、神の愛とあわれみによって、肉の思いを捨てさせられる為の相当な試練や困難が通されるはずです。聞けないのはそれがまだ完成していないと思われる。忍耐し、祈り続けてください。あせってサタンや自分の思いを神の声と聞き違えないように。私はずいぶん間違えました。確かに神の声は金よりもすばらしく、たましいを永遠に導き、世の何ものにも優ってすばらしいものだから。   ケパ

 
コメント
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