きょうもテニスをした。私はシングルスが好きなので、常に新しい人と対戦するようにしている。今日の相手は身長180㎝台のまだ若い大型キン肉マン。ウィンブルドンでの錦織(にしこり)選手の活躍の話をしながら、彼の威力ある強力なボールに対抗し、それを封じなければならない。だからドライブやスライスなど球種を常に変え、常に左右に彼を走らせて続けて、猛ショットを打つ余裕をなくさせる手立てを講じ続ける他ない。こんなシングルスの対戦を私はずっと続けている。ショットを通じてのコミュニケーションが無上に楽しいからだ。試合後は、対戦相手と例外なく親しくなる。
スポーツをする人は、脳みその中まで筋肉でできているんじゃあないか?高校時代までいつも本を抱え、本棚の中で生きてきた頭でっかちは思った。しかし大学に入ったなら、スポーツをすると決心していた。覚悟して入ったので、部活の一年奴隷、二年兵隊、三年天皇は苦労ではなかった。それより白球を追うことに、すっかり夢中になってしまった。以来休むことなくテニスを続けて、すでに45年が経つ。
テニスが大好きになったのは、常に結果が明白に出ること。そして戦い終わったなら必ず握手をすることである。またテニスは、飛んでくる球にこちらも走り、ラケットを振る。つまり三つのベクトルが一瞬ではじかれていく練度の高い競技である。
つまり、うまくなるのに時間がかかる。逆に言えば腕力だけではない、年を取ってからもできる余地が高いスポーツなのだ。いったい62才の男とその息子の世代の20代30代の男とが、真剣に対戦できるスポーツが他にあるだろうか?
かつて脳みその中まで筋肉?と揶揄した少年は、ただその無知を恥じるのみである。そして人生の困難、試練の中にあっても、また今牧師をしていようとも、テニスは神が私にくださった常に自分との対話・・・・・ありのままの自分を知るため・・・・・の時間であり、自分を取り戻すための時でもあるのだ。 ケパ