ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

シニアクラス?

2015年05月06日 | PC モノ 便利
信州に来てます。連休も今日で終わりなので、都内に帰る車を尻目に、スイスイと移動できました。

そして夜にはシニア男子の、スマホとパソコンの教室開催なり!
ケパさんは大忙しですねぇ‼️

で、ケパさんどうして指さしてるのって?聞いたら
僕が一番若いんですって。シニアクラスは2人の義兄! ドルカス
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一番弱い者が一番大切にされる

2015年05月06日 | 示されたこと
もう昔の話、教員をしていた頃の話である。教師にとっては、最大のイベントであり試練でもある研究授業(授業公開)なるものがある。自分の学級の中に、大勢の教師が入り込んで、授業の一部始終をチェックされるのだ。これが保護者なら、だいたいはわが子しか見ないし、教師の指導力と言っても、子どもが手を挙げているか、ちゃんと聞いているかしか分からない。しかし、同じ教師同士となると、すべてのお見通しである。授業者の中には緊張のあまり、胃痙攣を起こしたりする。

逆に学級経営を見る立場に回ってみると、最大の目の付けどころは、私の場合、タイトル(弱い立場の者がなおざりにされていないか)の視点だった。教師の発問が、理解が難しそうな子に、どう届くのか? 教師がどのようにしてそのような子どもをサポートするのか? だった。

ここまで前日綴ってみて、気づくと何と今日の聖書の通読箇所はマルコ福音書の9章だった。「誰が一番偉いか」と論じ合っていた弟子たちに、イエス様が一人の子どもを連れて来させ、彼らの真ん中に立たせ、腕に抱き寄せて「(子どもは当時は、無能力者として価値の乏しい存在とされていた)だれでも、このような幼子たちのひとりを、わたしの名のゆえに受け入れるならば、わたしを受け入れるのです」と言われた。二千年前の事としては、これは実に驚くべき言葉である。無能力で価値の乏しい者こそ、尊重され大切にされなければならない。今風に言うなら、障害者も病弱者も、それゆえ大切に尊重されなければならない。社会にあっては謙遜に身を引き、下働きに専念する者こそ尊い存在である。
確かに!家庭に例をとって見るなら、親の誇りとなるようなできのよい子でなく、小さな弟や、できの良くない子が大切にされている家庭、その家庭はどんなに幸福であろうか。だが普通は、家庭にあっても「お兄ちゃんを見なさい」と競争させたりしていないだろうか?
比べるところに、不幸がある。優れていないところが大切に思える時に、生きることへの肯定がある。神の言葉は、永久の真実がある。 ケパ
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