いよいよ今週で8月が終わる。夏休みと関わりなくなって、今年で十年が経つ。
今日はもよりのホームセンターのフードコートで買い物の後一息ついて、かき氷を食べていると、子供連れが目についた。そのゆったりとした様子を見て「ああ、この子は宿題が済んでいる」と思った。なぜなら、私の子ども時代はこの時期、たまりにたまった宿題やっつけに、血まなこになっていたからである。

また、その様な父の子であるにもかかわらず、私の娘たちは夏の初めには宿題をだいたい終えていたので、親として妙な感覚にいつも陥ったものである。我が子でありながら、不可解な人種のように見えたからである。この手の着実に努力できる人種は、私にとってまるで理解の範囲外で宇宙人である。その上「パパはちゃんとやってたんでしょうねェ?」なんて失礼な質問をして親を困らすような事もなかった。どうもそんな自堕落でいい加減な人種が身近に居るなどとは、思いもつかないらしかった。

このような元少年が小学校の教師になったのだから、夏休みの宿題については大甘であったことは当然で、ずいぶんいい加減な教師であったと恥ずかしく思う。実際には山のような宿題の赤丸つけ、一筆書いての評価、そして出したかどうかのチェックに疲れ果てていた。ちゃんと出す子は「すごい」と尊敬し、出さない子は秘かに「先生孝行だな」とも思ったものだ。
ケパ
今日はもよりのホームセンターのフードコートで買い物の後一息ついて、かき氷を食べていると、子供連れが目についた。そのゆったりとした様子を見て「ああ、この子は宿題が済んでいる」と思った。なぜなら、私の子ども時代はこの時期、たまりにたまった宿題やっつけに、血まなこになっていたからである。

また、その様な父の子であるにもかかわらず、私の娘たちは夏の初めには宿題をだいたい終えていたので、親として妙な感覚にいつも陥ったものである。我が子でありながら、不可解な人種のように見えたからである。この手の着実に努力できる人種は、私にとってまるで理解の範囲外で宇宙人である。その上「パパはちゃんとやってたんでしょうねェ?」なんて失礼な質問をして親を困らすような事もなかった。どうもそんな自堕落でいい加減な人種が身近に居るなどとは、思いもつかないらしかった。

このような元少年が小学校の教師になったのだから、夏休みの宿題については大甘であったことは当然で、ずいぶんいい加減な教師であったと恥ずかしく思う。実際には山のような宿題の赤丸つけ、一筆書いての評価、そして出したかどうかのチェックに疲れ果てていた。ちゃんと出す子は「すごい」と尊敬し、出さない子は秘かに「先生孝行だな」とも思ったものだ。
ケパ