私はパソコン関係の相談をよく受ける。主に親族や教会関係からだが、微力でもお役に立てればうれしい。
私はもともとが文科系で本が好き、書くのも大好き人間だから、コンピュータが得意なのは突然変異である。というか、黎明期の三十年以上前からのパソコンを個人で持っていて、ずっと使ってきただけのことなのだ。
当時は今と違ってパソコンは「閉じこもりの根暗」とマイナーに見られ、自分的にも「これが何の役に立つのだろうか?」と疑問に思っていたのだが・・・。また、仕事で文書を作成した時、一太郎というワープロで作り印刷して持って行くと上司から「心が入ってない!」とバッサリ切り捨てられた。今では考えられないことだが、デジタルとかコンピュータとかを毛嫌いする人もいた。今は牧師という仕事に必須であり、また少しばかしの友人たちに役立つことができて、心から感謝している。
また、最大の試練、困難が最大の恵み、益となったこのことを触れずにはいられない。前妻の心の病との長い戦い・・・が、今はどれだけ益になっていることか、神の計り知れない深謀さに脱帽し、心から神に感謝している。
家庭も仕事も、意に反して何もかも壊れかけた時、まず私は、人生で何が一番大切であるかと言うことを知った。それで献身をし牧師に導かれた。それは見える世界ではなく霊的な世界が開かれたことによる。つまり求め続けていた聖霊のバプテスマをついに受けた。そして教会を求めると、神は全く耳にしたことのない「主の十字架クリスチャンセンター」へと、その日のうちに導いた。これらのことは人を通してではなかった。
すべてのことには、神の時がある。それが最善なのだった。神を愛する者には、何一つ無駄になること無く、すべてが益とされている。
神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。(ローマ8:28)
ケパ
私はもともとが文科系で本が好き、書くのも大好き人間だから、コンピュータが得意なのは突然変異である。というか、黎明期の三十年以上前からのパソコンを個人で持っていて、ずっと使ってきただけのことなのだ。
当時は今と違ってパソコンは「閉じこもりの根暗」とマイナーに見られ、自分的にも「これが何の役に立つのだろうか?」と疑問に思っていたのだが・・・。また、仕事で文書を作成した時、一太郎というワープロで作り印刷して持って行くと上司から「心が入ってない!」とバッサリ切り捨てられた。今では考えられないことだが、デジタルとかコンピュータとかを毛嫌いする人もいた。今は牧師という仕事に必須であり、また少しばかしの友人たちに役立つことができて、心から感謝している。
また、最大の試練、困難が最大の恵み、益となったこのことを触れずにはいられない。前妻の心の病との長い戦い・・・が、今はどれだけ益になっていることか、神の計り知れない深謀さに脱帽し、心から神に感謝している。
家庭も仕事も、意に反して何もかも壊れかけた時、まず私は、人生で何が一番大切であるかと言うことを知った。それで献身をし牧師に導かれた。それは見える世界ではなく霊的な世界が開かれたことによる。つまり求め続けていた聖霊のバプテスマをついに受けた。そして教会を求めると、神は全く耳にしたことのない「主の十字架クリスチャンセンター」へと、その日のうちに導いた。これらのことは人を通してではなかった。
すべてのことには、神の時がある。それが最善なのだった。神を愛する者には、何一つ無駄になること無く、すべてが益とされている。
神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。(ローマ8:28)
ケパ