友人のFさんの個展を見に京都へいく。
ギャラリーに入るとまず、正面にある大きな作品が目に飛び込んできた。F100号キャンバスに描かれた「遠く、つながる」という作品だ。F100号というのは1620×1303ミリという大きさで、畳1枚の面積よりも広い。
かつて画学生だったわたしも狭い下宿でF100号に向かった経験があるが、これはなかなかの大きさである。なんと今回F100号の作品が3枚もある。ほかにも小さなものや中くらいの大きさのものなど、全部で20点くらい展示されている。
Fさんのこれまでの作品は星空(あるいは月夜)の下をしずかに進む小舟をモチーフにしたものが多かった。その小舟の上には小さな森があり、さらにその中に小さな家がある。人のすがたは見えないが、たしかにその家にはだれかが住んでいる気配がある。小舟は川に浮かんでいるときもあれば、宇宙空間を進んでいるように見えるときもあった。
今回の作品に小舟は描かれていない。森全体が舟のようにも見えるし、あるいは森の一部が小舟になって進んでいるようにも見える。いずれにしても森は広く地平線の向こうまで続いている。だが周りは霧に包まれていて、それがどこまで続いているのかは定かでない。
目を引くのは、小さな家の左上あたりから天空に伸びるまっすぐの線である。この線は金箔で描かれていて、見る角度によって輝いて見えたり見えなかったりする。絵の題にあるように、この線が遠くのなにかとつながっているのか。答えのヒントは展覧会のタイトル「echo」にある。エコーは響く、反響、共鳴という意味であるが、もう一つギリシア神話に登場する木の妖精のなまえでもある。もしかするとこの絵の森に住む妖精エコーが金色の線を伝って小さな家の住人の思いをだれかに届けているのかもしれない。
案内状の作品は上の大きな作品とよく似ているが、じっさいの絵の大きさはF10くらいで、こちらは金の線は描かれていない。そのかわりに黄色の蝋梅の花びらが空に舞っている。彼女の身近かにある小さな命と共鳴しているという意味で、やはりこれも「echo」なのだと思う。
一つ気になっているのは、どちらの作品にも描かれている水たまり(湖?)だ。これにもなにかエコーと関係のある意味が隠されているのだろうか? 今度会ったときに聞いてみよう。
ギャラリーに入るとまず、正面にある大きな作品が目に飛び込んできた。F100号キャンバスに描かれた「遠く、つながる」という作品だ。F100号というのは1620×1303ミリという大きさで、畳1枚の面積よりも広い。
かつて画学生だったわたしも狭い下宿でF100号に向かった経験があるが、これはなかなかの大きさである。なんと今回F100号の作品が3枚もある。ほかにも小さなものや中くらいの大きさのものなど、全部で20点くらい展示されている。
Fさんのこれまでの作品は星空(あるいは月夜)の下をしずかに進む小舟をモチーフにしたものが多かった。その小舟の上には小さな森があり、さらにその中に小さな家がある。人のすがたは見えないが、たしかにその家にはだれかが住んでいる気配がある。小舟は川に浮かんでいるときもあれば、宇宙空間を進んでいるように見えるときもあった。
今回の作品に小舟は描かれていない。森全体が舟のようにも見えるし、あるいは森の一部が小舟になって進んでいるようにも見える。いずれにしても森は広く地平線の向こうまで続いている。だが周りは霧に包まれていて、それがどこまで続いているのかは定かでない。
目を引くのは、小さな家の左上あたりから天空に伸びるまっすぐの線である。この線は金箔で描かれていて、見る角度によって輝いて見えたり見えなかったりする。絵の題にあるように、この線が遠くのなにかとつながっているのか。答えのヒントは展覧会のタイトル「echo」にある。エコーは響く、反響、共鳴という意味であるが、もう一つギリシア神話に登場する木の妖精のなまえでもある。もしかするとこの絵の森に住む妖精エコーが金色の線を伝って小さな家の住人の思いをだれかに届けているのかもしれない。
案内状の作品は上の大きな作品とよく似ているが、じっさいの絵の大きさはF10くらいで、こちらは金の線は描かれていない。そのかわりに黄色の蝋梅の花びらが空に舞っている。彼女の身近かにある小さな命と共鳴しているという意味で、やはりこれも「echo」なのだと思う。
一つ気になっているのは、どちらの作品にも描かれている水たまり(湖?)だ。これにもなにかエコーと関係のある意味が隠されているのだろうか? 今度会ったときに聞いてみよう。