きのうときょうで卒業アルバム3枚(6ページ分)をしあげる。もう11月も最終週だというのに、なかなか完成には遠い。
11時に一段落してジョギングに出る。10日ぶりか。
日ごろ日本画なんて見る機会はすくないが、友人のHさんがグループ展をやっているというので、午後から壽光寺へ「現代日本画の試み展」を見にいく。きょうが最終日。
この展覧会では作品を額装ではなく、表装して展示している。
表装というのは、いわゆる掛け軸のことで、古い日本家屋にあった床の間に掛けてあるアレのことだ。よく漢詩や水墨画などを表装した作品を博物館なんかで見かけるけど、日本画の掛け軸というのはわたしは見たことがない。
今回、出品している人たちの作品は栗山知浩さんという表具師が手がけているらしい。(表装する職人を表具師といいます)
(これは展覧会の作品ではありません。イメージカットです)
Hさんの案内で作品を見てまわる。
イメージしていた表装とはちがって、表装ってけっこうバリエーションが豊富だ。
それぞれの絵の背景に使っている布の模様や地の色もさまざまで、またその布が上から下までつづいているものもあれば、作品の上下10センチくらいでまたちがう布につながっているものもある。
また、絵と布の境い目に2ミリほどの線が入っているのだが、その線の色もさまざま。さらに掛け軸の芯になる直径2センチくらいの丸い棒が軸の一番下にあるのだけど、その棒もただの木ではなく、いろいろな色と形があり、陶器でできているものまである。
要するに作品1点1点に対して、表装のしかたはすべてちがう。今回の展覧会が日本画家と表具師とのコラボレーションとして生まれた作品だということがよくわかる。
日本画の知識はほとんどないわたしだが、好き嫌いでいうと、Hさんの作品はわたしの好みだ。あたたかくて静かで、どこか神秘的な感じがとてもステキだと思う。
油絵のように厚く塗り重ねているわけではないのに、重層的で色に深みを感じる。その深みが二次元の紙のなかに三次元的な奥行きを感じさせるのだ。
どうしたらこんな厚み(見かけの)がでるのかと彼女にきくと、一度塗ったえのぐを水で洗い流して、その上からまた塗り重ねるのだという。
おそらく完全に洗い流すのではなく、すこしえのぐが残った上にまたべつの色を重ねていくのだろう。見た目以上に手間のかかる作業だと思う。
ちなみに、日本画のえのぐは「岩えのぐ」といって、いろんな鉱石を細かく砕いてつくるらしいのだが、おなじ石でも粒の大きさによって色の見え方(濃度)が変わるのだという。細かい粒になればなるほど白っぽく見えるとか。ふしぎなもんだ。
粉砕した石を一度水に撹拌して、沈殿していくスピードの速いものが大きな粒子なので、そうやって沈んでいく順に分けていくのだという。岩えのぐをつくるのは、これまた手間のかかる作業のようだ。
それから、岩えのぐを溶くためのニカワ水は、一昼夜かけて水でニカワをふやかし、70度くらいに温めて溶かすらしいが、それ以上の温度になると接着力がなくなるのでNG。またニカワ水は冷蔵できるけど、凍らせるともう使えない。
てな具合いで、日本画というものはモノクロ写真を暗室で焼く作業とおなじか、もしくはそれ以上に手作業の工程がたくさんあって、たいへんそうだ。
なんでもオート化、効率化していく時代だけど、それにまるで逆行するような表現手段なので、非常におもしろいと思う。でもやがて、ひと時代まわって、日本画が新鮮に見える時代がやってくるにちがいない。
11時に一段落してジョギングに出る。10日ぶりか。
日ごろ日本画なんて見る機会はすくないが、友人のHさんがグループ展をやっているというので、午後から壽光寺へ「現代日本画の試み展」を見にいく。きょうが最終日。
この展覧会では作品を額装ではなく、表装して展示している。
表装というのは、いわゆる掛け軸のことで、古い日本家屋にあった床の間に掛けてあるアレのことだ。よく漢詩や水墨画などを表装した作品を博物館なんかで見かけるけど、日本画の掛け軸というのはわたしは見たことがない。
今回、出品している人たちの作品は栗山知浩さんという表具師が手がけているらしい。(表装する職人を表具師といいます)
(これは展覧会の作品ではありません。イメージカットです)
Hさんの案内で作品を見てまわる。
イメージしていた表装とはちがって、表装ってけっこうバリエーションが豊富だ。
それぞれの絵の背景に使っている布の模様や地の色もさまざまで、またその布が上から下までつづいているものもあれば、作品の上下10センチくらいでまたちがう布につながっているものもある。
また、絵と布の境い目に2ミリほどの線が入っているのだが、その線の色もさまざま。さらに掛け軸の芯になる直径2センチくらいの丸い棒が軸の一番下にあるのだけど、その棒もただの木ではなく、いろいろな色と形があり、陶器でできているものまである。
要するに作品1点1点に対して、表装のしかたはすべてちがう。今回の展覧会が日本画家と表具師とのコラボレーションとして生まれた作品だということがよくわかる。
日本画の知識はほとんどないわたしだが、好き嫌いでいうと、Hさんの作品はわたしの好みだ。あたたかくて静かで、どこか神秘的な感じがとてもステキだと思う。
油絵のように厚く塗り重ねているわけではないのに、重層的で色に深みを感じる。その深みが二次元の紙のなかに三次元的な奥行きを感じさせるのだ。
どうしたらこんな厚み(見かけの)がでるのかと彼女にきくと、一度塗ったえのぐを水で洗い流して、その上からまた塗り重ねるのだという。
おそらく完全に洗い流すのではなく、すこしえのぐが残った上にまたべつの色を重ねていくのだろう。見た目以上に手間のかかる作業だと思う。
ちなみに、日本画のえのぐは「岩えのぐ」といって、いろんな鉱石を細かく砕いてつくるらしいのだが、おなじ石でも粒の大きさによって色の見え方(濃度)が変わるのだという。細かい粒になればなるほど白っぽく見えるとか。ふしぎなもんだ。
粉砕した石を一度水に撹拌して、沈殿していくスピードの速いものが大きな粒子なので、そうやって沈んでいく順に分けていくのだという。岩えのぐをつくるのは、これまた手間のかかる作業のようだ。
それから、岩えのぐを溶くためのニカワ水は、一昼夜かけて水でニカワをふやかし、70度くらいに温めて溶かすらしいが、それ以上の温度になると接着力がなくなるのでNG。またニカワ水は冷蔵できるけど、凍らせるともう使えない。
てな具合いで、日本画というものはモノクロ写真を暗室で焼く作業とおなじか、もしくはそれ以上に手作業の工程がたくさんあって、たいへんそうだ。
なんでもオート化、効率化していく時代だけど、それにまるで逆行するような表現手段なので、非常におもしろいと思う。でもやがて、ひと時代まわって、日本画が新鮮に見える時代がやってくるにちがいない。