Happyday of LUCKY

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進歩的なお墓

2014年04月13日 | Life
きょうは正月に亡くなった義母の百か日の法要と納骨の日だ。
百か日というのは、故人が亡くなって百日目くらいにするものであるが、もう悲しんでばかりいないで、そろそろ気持ちを整理して今までどおりの生活にもどりなさい、という日でもある。



お坊さんが来るまでに妻の妹たちと裏山へタケノコを掘りにいく。
義妹は山菜採りに長けていて、昨夜は夕食に採ってきたタラの芽やユキノシタの天ぷら、コゴミのおひたし、ノビルの酢みそ和えなどをつくってくれた。
彼女は手際よく雑草を刈り取ると、わたしがさっき見すごした場所から、あっという間に3本もタケノコを見つけだした。
わたしはそれを掘り出す仕事を仰せつかる。傷つけないようにまわりの土をていねいに掘っていく。
小ぶりだが美味しそうな春の恵みを収穫する。



10時にお坊さんがやってきて、母屋の仏間で法要ははじまった。
半時間ほどお経を唱えて、すこしお話を聞き、そのあといよいよお墓へ納骨する。
じつはこのお墓、義母自身がいまから7年まえにつくったもので、正面文字には家の名まえではなく「先祖累代諸精霊」と書かれている。
その意味は「この家に関わりのある人ならだれでも入れますよ」ということだと、義母が生前にいっていた。これってすごくない?

近年、日本人の家族観とか結婚観は変わってきているが、それでも婚姻届には9割以上の妻が夫の姓を書くし(法律上は夫が妻の姓を名乗ってもいい)、未だに現行法では夫婦別姓は認められていない。
そういう価値観の延長に家族制度や墓制度があると思うので、「だれでも入れる」お墓というのはかなり進歩的で革命的ともいえる。
ちなみに妻とわたしは事実婚で、もちろん夫婦別姓なので、法的には妻の家系とわたしはなんの関係もない。
でも四半世紀のあいだ、この家に関わりをもってきた人間なので、わたしも往く逝くはこの墓のなかで眠りたいと思っている。
義母もそれを望んで、お墓に「◯◯家之墓」とはしなかったのかもしれない。
(じゃあ、マツノ家の墓はどうなってる? というツッコミは今回はなし)



納骨をおえ、お寺へ出向いてもう一度お経を唱え、百か日忌は無事に終了。
夜、大阪にもどって、今朝掘ったタケノコを調理する。生前、義母のつくったタケノコの煮物には遠くおよばず。それもまたよし。

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