ブログはじめました!(since2012,feb)

・・・⛄ 冬がやってきました ⛄・・・

四万温泉散策

2019年06月11日 | walking

翌日四万温泉を散策しました。

やまぐち館ラウンジ

路線バスで下流の四万湖(かっての中之条湖)へ

排水口、水量はこの程度 

レンゲツツジ

四万湖からバスで「四万の甌穴」へ

老夫妻と別れ一人四万川沿いを歩いて「やまぐち館」へ戻ります

アヤメ

甌穴:急流の河床の岩石面に生じた鍋状の穴。

 窪みに入った石が渦流で回転して岩をけずったもの。【広辞苑より】

    

甌穴群

タカネバラ

なかなかの渓谷美でした

淵とは:川、沼、湖などの水が淀んで深い場所をさす【広辞苑】

遊歩道も整備(草刈)されてました

    

桃太郎の滝

四万川上流、シマンブルー

モミジの「翼果」実です。

花は4月頃咲き、羽の中に、赤い実(種)を付けています。

紅葉が終わり、葉が落ちる頃、「翼果」が風に飛ばされ、

 くるくる回りながらより遠くへ運ばれていくんです。

    

ヤマオダマキ         ムシトリスミレ        アメリカフウロ 

      

アヤメ            ユキノシタ           ムラサキツユクサ

高速バスで東京駅へ戻り、京都のお店であっさり夕食です


妙義山さくらの里

2019年04月30日 | walking

4月22日、マイタビの謝恩企画?「妙義山さくらの里ハイキング」へ行ってきた

集合は新宿駅、まずまずの天候です。

10:30 桜の里着。

さくらの里は47ヘクタール(東京ドーム10個分)の敷地に、

 約5000本、45種類の桜が植えられている。

4月上旬から5月初めにかけて、種々の桜が徐々に開花する。

約2.5時間のハイキングを楽しんだ後は、ホテルでのランチバイキング(ドリンク飲み放題)

温泉入浴も付いている。

金鶏山:856m=登山禁止をバッグに満開です、

遠く右)鹿岳(かなだけ)、左)四ツ又山(下仁田富士)が見えます

桜と妙義山(よくパンフで見るアングルです)

開山、これだけが蕾でした

上の園地~中央園地~新開園地と登ったり下ったり

エイザンスミレ

キジムシロ

時折吹く風に「花吹雪」が舞っています、歓声が沸きました

(花吹雪はうまく撮れていませんが)

トリコロールで

12:30 ゴールの中之岳駐車場へ

そう妙義山中間道(関東ふれあいの道)登山口です

(一昨年ここから第一・四石門~大砲岩~見晴台~妙義神社と歩きました)

ばすでホテルへ移動

海老・筍・タラノ芽の天麩羅(も)いただきました

ホテルからの眺望(手前はゴルフ場)

最上階のランチ会場からも地下のお風呂からもこの眺望が楽しめました。

サクラ:一説によると、サクラの「サ」は田の神を、「クラ」は神様が

宿る場所(神座)を表している。かって日本では「サ神(かみ)」と呼ばれる山神

が信じられており、春になると田の神となって里に降りてくるとされていた。

他にも田植えの季節である五月を「皐月」と言い、苗代から田に移し植える頃の

稲の苗を「早苗」、田植えをする若い女性を「早乙女」と呼ぶように、稲作に

まつわる物事の多くに田の神を表す「サ」が付けられている。

                    【クラブツーリズム冊子より抜粋】

 縄文時代の終わり頃に日本に伝わったとされる稲作、二千年以上にわたって

繰り返されたきた米作りの営みは、サクラと密接な関係があったようです。


武田神社

2018年03月17日 | walking

「兜を忘れたのか信玄?」川中島の合戦を描いた絵

昼からの予報、「要害山」は断念し、武田神社を散策しました。

「武田通り」甲府駅北口~武田神社へ続く(やや登り直線の)参道

円光院と「信玄公火葬塚」へ寄り道です   

野辺の道

墓ではなく、「火葬塚」とありました

信玄公の「墓」はこのほか、

山梨県内では大泉寺、恵林寺、長野県の諏訪湖、長岳寺と竜雲寺、和歌山県高野山、

愛知県福田寺、京都の妙心寺など全国にあるようです。

これは信玄公が遺言によって、喪を3年間秘めていたことや万一の外敵を恐れて、

埋葬地をしていた結果とも【推測されて】います。

江戸時代に建立された「墓・火葬塚」

 オオイヌノフグリ 

庚申塔 

積翠寺背後の釣り鐘をふせたような要害山に、信玄公の父・武田信虎公が

永正17年(1520)に築いたのが要害城。標高は770m。

戦の際に立てこもるのを目的とした詰め城で、山頂を整形して主郭とし、

山腹にも連続的に郭を配置し防備を固めています。   【解説より】

「円光院」、信玄公の正室・三条夫人の菩提寺です。

説三和尚を住持として開山し、甲府五山の一つに加えて保護しました。

三条夫人が元亀元年(1570)に没したので、この寺に葬りました。

名刹の雰囲気が漂っていました

「三条夫人墓所」新しい・・・・

事情通に聞くと「傾いていた墓所を掘り返しリフォーム」したそうです。

墓室には何もなかったとも(盗掘にあった?)

隣りの墓所ですが、こちらのほうが由緒ありそうでした

サンシュ 

菜の花 

これは珍しい「牛供養塔」、「頭観音」は多いが・・・・

武田神社:武田信玄公をまつった神社で、大正8年(1919)に創建された。

この地は、元来、武田氏三代(が63年に渡り国政を執った由緒ある「躑躅ヶ崎」の館跡で、

国の史跡に指定されている。    

躑躅ヶ崎の館は戦国大名の館としては全国最大規模を誇るもの。

 

土塁も築かれていました。

種々の話を聞かせてくれたシルバー人材センターWさんです。

「躑躅ケ﨑の館」内も発掘作業が行われていると教えてくれました。

出てくるのは古銭ぐらいだと・・・・・。

豪華な朝食でした

朝からデザートです


鎌倉walking-ⅵ

2017年04月15日 | walking

ここは日本です(七里ヶ浜高級住宅)

湘南モノレール(懸垂式)で西鎌倉へ

西鎌倉駅から腰越へ向かいます

江の島です

「源義経・弁慶」ゆかりの寺」満福寺へ寄り道 

源義経が滞在し、後世に名高い「腰越状」を書いた場所です。       

      

:義経像            :弁慶像 

『腰越状』:1158年、源義経が、平宗盛父子を捕虜として腰越まで伴ってきたのに、

頼朝の怒りにふれて鎌倉に入ることができなっかた時、大江広元に宛てて無実の罪を

訴えた書状。吾妻鏡に納まるが真偽不明  【広辞苑より】      

腰越~江ノ電沿線を七里ヶ浜へ、いわゆる「湘南」を歩いています

この”距離感が「江ノ電」です

七里ヶ浜駅~(高級)住宅街を「広町緑地」へ。

広町緑地:動植物の生息地又は生育地の保護を目的とした都市林です。                       

約48haに及ぶ緑地帯は、複雑に入り組む谷と急斜地で形成され、                              

 わき水が流れ込む多様な水辺環境では、質の高い生態系が維持されており、                  

谷ではかつての里山の景観を楽しむことができます。  【鎌倉広町緑地HPより】

:ウラシマソウ

      

:大桜(ヤマザクラ)樹齢200年とも云われる、葉桜になっていた

【桜考】:数え切れないほどの桜、一般的にはシンプルに、山野に自生する野生の「山桜」と

品種改良された「里桜」に分けることができる。

山桜と里桜のそれぞれ固有種、交配種合わせて600種類もの桜が確認されています。

山桜は基本種が9種あり、さらにそこから変性した自生種が100種類ほどあるといわれています。

代表的なものは奈良県「吉野の桜」で有名な「ヤマザクラ」です。

日本の象徴ともいえるこの桜は野生の桜の代名詞となりました。

ヤマザクラの見た目はソメイヨシノとほぼ同じですが、開花と同時に葉が出るのが特徴です。

また、ヤマザクラは開花時期に個体差があるため一気に散るということがなく、

長期間にわたってお花見が楽しめます。

ヤマザクラは一般に長寿で、樹齢1000年を超えるものも存在します。 

      

:ホウチャクソウ       :ナツトウダイ         :ケマン

丹沢山塊(富士見台から見た)

箱根山塊の奥に富士山があるはず

相模湾、奥は三浦半島(逗子辺り)

エンドウ(豌豆)さんが一杯

ここから「鎌倉高校駅」へ下り、江ノ電で鎌倉駅へ、

いつものお店で遅い昼食

   

これにプリンのデザート(1/2)

帰りは小町通りへ(人と烏と鳩で賑わっていた、例によって)

ここと漬物屋「試食」をして帰途に着いた。


大山街道ウォーキング6.7(final)

2017年02月17日 | walking

2月16日最後のウォーキング、相鉄さがみ野駅から小田急本厚木駅まで歩いてきた。

気温が高く、大山・丹沢山塊はかすんでいた。

綾瀬市~海老名市を歩いています。  ↓ 排水溝カバーです。

   

:綾瀬市            :海老名市

「望地」付近、厚木街道からみた()と大山

満開です  

ヤマザクラは海老名市の花:伊勢山公園にて

海老名市は「国分宿」

:経堂跡

史跡相模国分寺跡:天平十三年(七四一年)、仏教の力で国家の安寧を祈願するため

聖武天皇の詔によって国毎に建立された国家寺院跡。

正式名称は「金光明四天王護国之寺」「法華滅罪の寺」で、大和の国の東大寺と法華寺

がそれぞれそれぞれ総国分寺・総国分尼寺とされた。

金堂や講堂跡は、全国にある国分寺の中でも最大級の規模を誇る。

伽藍配置は「法隆寺式伽藍配置」で、この方式を採っているのは珍しく、

全国でも相模国と下総国の二国しかない。

伽藍地の広さは、東西約240m、南北約300mの範囲であったと伝えられている。

国分寺は、好地を選んで建てることとされ、相模国では建立の地として選ばれたのが

現在の海老名市だった。

                   【えびな文化財探究書より:海老名市教育委員会冊子】

:僧坊跡

現在は、市民のいの場として親しまれている

海老名市温故館:村役場跡 

海老名市中央公園は「VINAWALK」施設に囲まれちゃいました

高野山真言宗寺院国分寺

相模国分寺の法灯を受け継いでいる古刹。

海老名の大欅:推定樹齢570年とされる巨木、県の天然記念物に指定されている

猟師が船を繋ぐため、打ち込んだケヤキの杭が根付き、枝を張って成長したとの伝承が

残っている。・・・けっこう「ヤバイ」状況と推測しました。

海老名駅前の商業施設で昼食。

いつも改札しか通らない海老名駅、これでもまだ足りないか?というくらいお店が乱立気味。

北側には「ららぽーと」もある・・・・。

そんなことを思いながら跨線橋を渡り、厚木市へ向かいます。

天文台?海老名市立中央図書館です。

相模大橋を渡ると厚木市

相模川

厚木市、温泉と花火は解りましたが、大道芸? ↓

「寅さんの忘れ物?」こんなオブジェが置いてあります

厚木市です、靴はスパイダーマンバージョン?です(asics)

渡辺崋山来遊記念碑:江戸時代後期の画家、蘭学者。

天保二年九月厚木宿を訪れ、旅の様子を「游相日記」に細かく書いている。

「厚木の盛んなること都とことならず」と、往時の賑わいを伝えている。

今は

町も一役買っていました。

あゆみ橋

厚木神社

弓の名手として源平合戦で名を馳せた武将、那須与一公が眼病を患い、

境内に祀られた薬師如来に、病気平癒を祈願したとの伝承が残されているとか?

関東大震災で崩壊した鳥居の一部。(左の碑はその旨記載されていた)

厚木市のマスコットキヤラ「あゆコロチャン」@厚木市まるごとショップ『あつまる』

大山街道ウォーキングスタンプラリー無事完登です。   

溝口・二子(川崎)~長津田(横浜)~下鶴間(大和)~座間~綾瀬~

 国分(海老名)~厚木~大山(伊勢原)4日間かかりました。

初めて歩いた土地もあり、いい経験になりました。

ただイベントの盛り上がりはと聞かれると?です。

スタンプ5種類以上で協賛企業賞(抽選)、8種類で認定証がもらえます

ファイナルイベントが2月26日10時~15時大山阿夫利神社にて(参加賞あり)

大山街道フエスタが同日溝口・二子地区で開催されます

2012年2月17日にアップしたブログが6年目に入ります。

今朝の閲覧数です  引き続き  です。

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twinsも大きくなりました、年少さんです。