(原題:Persepolis)映画の主題とは関係ないかもしれないが、個人的にはイランの歴史が分かりやすくまとめられていたことが大きなセールスポイントだと思った。
原作と脚本も担当したイラン出身の女流監督マルジャン・サトラピの自伝的作品だが、本人は映画の主人公と同様にフランス在住であり、フランチャイズを欧州に置いて映画活動をおこなう彼女の立場としては、まず出自のバックグラウンドを詳細に述べる必要があるためこういう段取りになったと思われるが、我々日本の観客にとってもドラマの背景を知る意味では有り難い。王政からイスラム革命を経て共和国に移行しても、民衆レベルでは少しも恵まれることはない。改めて中東情勢の深刻さに感じ入る。
日本のアニメーションに見慣れた観客からは、いかにも簡単な線画のキャラクター・デザインに思われるが、登場人物の心象は(モノクロながら)巧みに表現されている。また次々に出てくるアイデアに富んだ映像のエクステリアは観る者を飽きさせない。
主人公のマルジは周囲とのギャップに悩む普遍的なヒロイン像を付与されており、共感するところが多い。自己嫌悪と自己満足とが交互に現れ、何とかアイデンティティを確立しようと藻掻くあたりも大いに納得できた。ところどころにクスッと笑えるシークエンスが挿入されており、物語を必要以上に重くしないように配慮されていることもよろしい。
しかし、見終わって少し釈然としない気分も残る。ヒロインの親はリベラル派であり、親戚にも反体制的なスタンスを取っている者が目立つ。だからこそ両親は、思ったことをすぐに口にする直情径行型の彼女を抑圧的なイラン社会に置いておくことを不憫に思い、オーストリアやフランスに留学させることも出来たのだ。
でも、彼女以外の、大多数のイランの若者はどういう気持ちを抱いていたのか。自由にものを言えない環境と、自分自身とをどう折り合いを付けたのか。私はそっちの方に興味がある。本作はイランから逃れてきたいわば“アウトサイダー”の立場から描いた映画だが、身も蓋もない書き方をすれば“今は外野にいるので何とでも言える(だからこのネタを取り上げた)”ということにもなるのではないか。尻切れトンボになる幕切れも、そのあたりのキマリの悪さが顕在化しているのかもしれない。
私としては表現の自由に足かせがあるとしても、現地に留まって何とかクリエイティヴな活動を継続しているイランの映像作家の作品群の方を評価したい気にもなる。