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元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「歩いても 歩いても」

2008-07-27 06:47:50 | 映画の感想(あ行)

 是枝裕和監督の最良作だと思う。デビュー作「幻の光」に接した時、私は彼を“小津安二郎の(低調な)エピゴーネン”だと評したが、たぶんそう思った者は少なくなかっただろう。おそらくは本人もそれを気にしてか、ファンタジーものやカルト宗教に関わる人々といったイレギュラーなネタを取り上げたり、ホームドラマを描いても「誰も知らない」のような常軌を逸した設定を用意したり(でも、映画自体はその「設定」に負けていたが ^^;)、そこそこの世評とは裏腹な迷走ぶりを示していたと思う。

 ところがこの新作は、満を持しての家族ドラマへの回帰だ。しかも、奇を衒ったシチュエーションは極力抑え、普遍性を持つ設定に徹している。カメラワークこそ小津の影響は見られるが、作劇は小津流とは一線を画す自分自身の方法論を貫いているあたり、フッ切れたような潔さを感じてしまった。

 舞台は神奈川県三浦半島の田舎町。長男の命日のため、次男は妻とその連れ子と共に自分の実家にやってくる。元開業医で頑固者の父親は家業を継がずに家を出た次男とソリが合わない。次男の嫁もコブ付きの再婚ということで、姑とはしっくりいかない。連れ子である男の子は尚更で、継父の実家では居場所がない。対して長女とその家族は無手勝流の明るさを見せ、何とか場を保たせている。逆に言えば長女一家がいなければ空中分解をしてしまうような危うい“家族の肖像”である。事実、長女一家が夕刻に帰ってしまうと、それまで少なくとも表面的な平穏ぶりを見せていた家の中が切迫した状況になる。

 父親は優秀だった長男が他人を助けようとして事故死し、片やリストラされて甲斐性のない次男を見比べて憮然たる思いに駆られる。母親は飄々としているようでいて、誰よりも長男の不在を悲しんでいる。次男の妻は尽くそうと思うほど大きくなる旦那の両親との距離を気に病むばかり。しかし、そんな彼らが本音を出しつつも相手を見限らないという最後の一線を死守して奮闘努力した結果、結局は収まるべきところに収まっていく。

 是枝の“小津流とは違う自分自身の方法論”とは、小津が家族の離反を完璧な様式美で切々と訴えたのに対し、本作は家族の再生を徹底した世俗的視線から描いていることである。つまりは楽天性だ。彼らは一触即発の状態を経験しながら、最後には人間的成長を遂げる。ラストの処理など、登場人物たちの前に広がる限りない未来を暗示して、見事と言うしかない。

 キャストはいずれも好演。阿部寛と夏川結衣はいつもとは異なるバツの悪い役柄を開き直って演じているし、原田芳雄はさすがの貫禄、長女役のYOUのノンシャランな存在感も見逃せない。圧巻は母親に扮する樹木希林で、マイペースに見えて実は腹に一物有りそうなキャラクター造型は見上げたものだ。内面の屈託をぶちまけるような終盤の大芝居もクサくなる一歩手前で留まっている。家屋の佇まいや出される家庭料理などのディテールも抜かりがなく、これは今年度の邦画の収穫といえよう。
コメント
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