1920年代6月のロンドンを舞台に、50代の政治家夫人がパーティを催す一日の心の動きを丹念に追う。ちなみに、私はウルフの小説を読んだのは初めてだ。
「意識の流れ」なる技法がふんだんに取り入れられている作品だそうだ。要するに、とりとめもない内面をとりとめもないままに文章に託してゆく方法らしい。ただし、正直私はこのような文体は苦手である。ヒロインの内面が延々と綴られているのならまだしも、文節の途中で主語がコロコロと変わり、誰の「主観」なのかわからなくなってくるのには面食らってしまう。チャプターごとに分かれていないのも読みづらい。
ただし、文章そのものは大層美しいことは見て取れる。表現方法や単語の使い方には何度か唸らされた。ところが、この訳(角川文庫版)はあまり上手くない・・・というか、ヘタである。もうちょっと「正しい日本語」に置き換えるよう腐心すべきだ。
映画化もされているが、私は未見。近年では「めぐりあう時間たち」の中で重要な小道具に使われている。ただし、この「ダロウェイ夫人」を読んでも、「めぐりあう~」でのジュリアン・ムーア扮する主婦の自殺未遂の真相はわからなかった。
「意識の流れ」なる技法がふんだんに取り入れられている作品だそうだ。要するに、とりとめもない内面をとりとめもないままに文章に託してゆく方法らしい。ただし、正直私はこのような文体は苦手である。ヒロインの内面が延々と綴られているのならまだしも、文節の途中で主語がコロコロと変わり、誰の「主観」なのかわからなくなってくるのには面食らってしまう。チャプターごとに分かれていないのも読みづらい。
ただし、文章そのものは大層美しいことは見て取れる。表現方法や単語の使い方には何度か唸らされた。ところが、この訳(角川文庫版)はあまり上手くない・・・というか、ヘタである。もうちょっと「正しい日本語」に置き換えるよう腐心すべきだ。
映画化もされているが、私は未見。近年では「めぐりあう時間たち」の中で重要な小道具に使われている。ただし、この「ダロウェイ夫人」を読んでも、「めぐりあう~」でのジュリアン・ムーア扮する主婦の自殺未遂の真相はわからなかった。


