面白かった。滝田洋二郎監督の特質が大いに出ている。たとえば冒頭、遺族を前にしての厳粛な“納棺の儀”が執り行われるはずが、ホトケさんの身体に“イレギュラーな部分”があることが判明するお笑い場面で観客を一気に引き込む。そして前半“納棺の実演ビデオ”に出演した主人公の“災難”を面白おかしく描いて客席を湧かせる。さらには腐乱死体の処理をやらされるシーンはホラーなテイスト満載。これらのシークエンスの料理方法は、滝田監督がピンク映画時代に培ったものである。
彼が一般映画を撮るようになってからかなりの年月が流れたが、これまで作った映画の中にはピンク映画時代の仕事ぶりを上回るものは(「コミック雑誌なんかいらない!」を除いて)存在しなかった。何となく器用な職人監督としての評価が確定し、このまま流されてしまうのかと危惧していたが、やっと自己の特質を活かせる素材にめぐり逢えたという感じだ。
ただし、一般映画で実績を積んでからの“成果”も十二分に出ていると言える。ここ一番での“泣かせ”のタイミングをはじめ、決して観る者を突き放さない平易な語り口には感心させられた。小山薫堂による脚本も上手いのだが、古式納棺の儀というある種高踏的な題材をヘンに構えず、そして決して及び腰にならず、日本人の死生観に照らして適正な温度感で淡々と綴る滝田演出には何やら“名匠”の風格まで漂っている。モントリオール国際映画祭での受賞も納得だ。
所属していた東京のオーケストラが解散になり、もとより飛び抜けた才能はなかった主人公は失意のうちに故郷に戻るが、それでも音楽の素晴らしさを忘れることが出来ず、子供の頃に使っていたチェロを時折奏でる。それが映画が進むに連れ彼の内面の成長にリンクするように深い味わいを増してゆくあたりも素晴らしい。
主役の本木雅弘にとっては代表作になるであろうハイレベルなパフォーマンスだし、社長役の山崎努の海千山千ぶりも見上げたものだ。広末涼子、余貴美子といった女優陣も万全。久石譲の音楽は今年度のベストスコアとして評価されるだろう。舞台となる山形県の地方都市の、清涼な空気感と美しい四季の移ろいも見どころの一つだ。
さて、この映画では小道具としてJBLのスピーカーが使われている。主人公の住居にあるオーディオ装置にも、コンサート会場のPAにも、社長宅のシステムにも、JBL製品が鎮座しているが、ハッキリ言ってJBLはクラシックには合わないのだ。もちろんこれでクラシックを聴いているリスナーもいることは承知しているが、ジャズ向けという評価が確定しているJBLの起用は、オーディオファンとしてはちょっと気になるところである(笑)。