(原題:CITY HALL )とにかく長い。4時間半を超える尺の中では、正直あまりアピールするとは思えないネタもあり、もっと題材を絞り込んで3時間以下に収めた方が(興行的にも)良かった。また進行上の不備や説明が足りていない箇所もあり、一本の映画としてのまとまりに欠ける。しかし、無視できないモチーフが挿入され、考えさせられることも多々あるので、観て損はしないだろう。少なくとも、地方自治を考える上では、参考になるところが大きい。
ドキュメンタリーの界の重鎮と呼ばれるフレデリック・ワイズマンが、自身の故郷であるマサチューセッツ州ボストンの市役所と街の人々を描いた作品だ。一応、主人公といえるのは撮影当時の市長マーティン・ウォルシュ(退役後にバイデン政権で労働長官に任じられている)であるが、市役所の担当者と一般市民とのやり取りに多くの時間が割かれている。

しかし、参ったのは劇中にはナレーションはもちろん、テロップさえ無いことだ。市長を除けば、スクリーンに映し出されているのが役所のどういう部署の人間でどんな仕事をしているのか、対する市民はどういう立場で市当局に向き合っているのか、まるで分からない。特に前半はそれが顕著で、スタンスが判然としない者たちが自身の言い分を述べ合っている場面が延々と続く。はっきり言ってこれは、ストーリーが読み取れない劇映画を見せられているようなもので、観ている間は眠気との戦いに終始した。
だが、中盤にさしかかると興味が持てる素材が出てくるようになる。その一つが退役軍人の集会のシークエンスだ。第二次大戦はもちろん、ベトナム戦争や中東で辛酸を嘗めてきた元兵士たちが、自らの辛すぎる体験と帰国後の葛藤を切々と述べる。これは市が主催しており、市長も出席しているのだが、戦争の悲惨さとその後遺症の深刻さが強く印象付けられる箇所だ。そして、市長を始め当局側が傷ついた市民を懸命にサポートしている様子も示されている。
終盤近くの、貧困地区に大麻ショップがオープンする事案に関する業者側と住民とのミーティング場面も面白い。治安の良くない場所にマリファナを扱う店が出来れば、ますます事態は悪化することは火を見るより明らか。その点は住民の言い分に理がある。だが店側は、新規事業で雇用と景気高揚が見込めると主張。
この集まりを企画したのが市当局であることが注目すべき点で、なし崩し的に怪しげな店がオープンすることを避けるための措置であることは明白だが、業者側も市役所の申し出に粛々と従っていることが興味深い。そう、ボストン市民は何のかんの言いながらも市当局を信用しているのだ。市役所が不十分ながらも漏れなく対応してくれるという安心感が、市民を支えている。これが地方自治のあるべき姿だろう。
日本のように、公務員に対して的外れなルサンチマンを抱くような者は映画の中では見当たらない。対して我が国の場合は、当局側に“身を切る改革”とやらを押しつけて人気を得るボンクラな首長と、そいつが属しているボンクラな政党を盲目的に支持するボンクラな住民たちが目立つ。この違いは一体何なのだろうか。それにしても、時折挿入されるボストンの町の風景は、本当に美しい。
ドキュメンタリーの界の重鎮と呼ばれるフレデリック・ワイズマンが、自身の故郷であるマサチューセッツ州ボストンの市役所と街の人々を描いた作品だ。一応、主人公といえるのは撮影当時の市長マーティン・ウォルシュ(退役後にバイデン政権で労働長官に任じられている)であるが、市役所の担当者と一般市民とのやり取りに多くの時間が割かれている。

しかし、参ったのは劇中にはナレーションはもちろん、テロップさえ無いことだ。市長を除けば、スクリーンに映し出されているのが役所のどういう部署の人間でどんな仕事をしているのか、対する市民はどういう立場で市当局に向き合っているのか、まるで分からない。特に前半はそれが顕著で、スタンスが判然としない者たちが自身の言い分を述べ合っている場面が延々と続く。はっきり言ってこれは、ストーリーが読み取れない劇映画を見せられているようなもので、観ている間は眠気との戦いに終始した。
だが、中盤にさしかかると興味が持てる素材が出てくるようになる。その一つが退役軍人の集会のシークエンスだ。第二次大戦はもちろん、ベトナム戦争や中東で辛酸を嘗めてきた元兵士たちが、自らの辛すぎる体験と帰国後の葛藤を切々と述べる。これは市が主催しており、市長も出席しているのだが、戦争の悲惨さとその後遺症の深刻さが強く印象付けられる箇所だ。そして、市長を始め当局側が傷ついた市民を懸命にサポートしている様子も示されている。
終盤近くの、貧困地区に大麻ショップがオープンする事案に関する業者側と住民とのミーティング場面も面白い。治安の良くない場所にマリファナを扱う店が出来れば、ますます事態は悪化することは火を見るより明らか。その点は住民の言い分に理がある。だが店側は、新規事業で雇用と景気高揚が見込めると主張。
この集まりを企画したのが市当局であることが注目すべき点で、なし崩し的に怪しげな店がオープンすることを避けるための措置であることは明白だが、業者側も市役所の申し出に粛々と従っていることが興味深い。そう、ボストン市民は何のかんの言いながらも市当局を信用しているのだ。市役所が不十分ながらも漏れなく対応してくれるという安心感が、市民を支えている。これが地方自治のあるべき姿だろう。
日本のように、公務員に対して的外れなルサンチマンを抱くような者は映画の中では見当たらない。対して我が国の場合は、当局側に“身を切る改革”とやらを押しつけて人気を得るボンクラな首長と、そいつが属しているボンクラな政党を盲目的に支持するボンクラな住民たちが目立つ。この違いは一体何なのだろうか。それにしても、時折挿入されるボストンの町の風景は、本当に美しい。