元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「トラブル・バスター」

2024-11-11 06:26:10 | 映画の感想(た行)
 (原題:STRUL )2024年10月よりNetflixから配信されたスウェーデン製のサスペンス編。面白い。何より筋書きがよく練られている。ヒッチコック映画でもお馴染みの“追われながら、真犯人を突き止める話”という普遍性の高い基本線をキッチリとキープしつつ、散りばめられたネタを上手い具合に回収。キャラクター設定も申し分ない。観る価値はある。

 主人公のコニーは,ストックホルム郊外の大型家電量販店に勤務している冴えない中年男。離婚した元の妻には未練たっぷりだが、彼女はすでにエリートパイロットと再婚していた。小学生の娘とたまに会うことだけが彼の唯一の楽しみだ。ある日、配達先でテレビを設置している間に殺人事件が発生。犯人と間違われて逮捕され、有罪判決を受け、服役するハメになる。ところが刑務所内で密かに進行中だった脱獄計画に偶然関わってしまったコニーは、思わぬ形でシャバに出ることになり、自らの無罪を立証しようとする。



 悪の首魁は麻薬組織なのだが、それに加担するのが警察内の腐敗分子で、捜査に紛れてコニーを抹殺しようとする。対してコニーは顔見知りだった警官のディアナの助けを得て危機突破を図る。主人公が電器店のスタッフであるという設定が出色で、重要証拠であるスマートフォンや大型テレビの扱いをはじめ、その方面のスキルに通じていることが事件の展開に大きく影響してくる。

 刑務所内にはすでに外部と繋がるトンネルが掘られていたというモチーフこそ無理筋だが、それ以外はプロットは強固に構築されている。ジョン・ホルムバーグの演出は闊達かつ手堅い。展開はスムーズで淀みが無く、サスペンスの盛り上げ方も上手い。特にクライマックスのホテル内でのチェイスには瞠目させられた。また、随所に効果的なギャグが挿入されており、これが作劇にメリハリを付けている。

 主演のフィリップ・バーグは当初はショボいのだが、映画が進むごとに応援したくなるほどイイ男に見えてくる(笑)。ディアナに分するエイミー・ダイアモンドは、失礼ながら普通の娯楽映画ではとてもヒロイン役に選ばれないほどの太めの外観だが、愛嬌たっぷりで魅力的だ(キャスティングの妙である)。エヴァ・メランデルにモンス・ナタナエルソン、デヤン・クキック、ヨアキム・サルキストといっ顔ぶれは馴染みは無いものの、皆的確な仕事ぶりを見せる。エリック・パーションのカメラによるストックホルムの風景も美しい。
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「若き見知らぬ者たち」

2024-11-10 06:21:17 | 映画の感想(わ行)
 快作「佐々木、イン、マイマイン」(2020年)の内山拓也監督の新作ということで期待したが、とても評価出来る内容ではなく、落胆した。脚本も内山が手掛けているが、プロデュース側はこの万全とは言えない筋書きを修正するようにアドバイスしなかったのだろうか。とにかく、斯様な不完全な建て付けで製作にゴーサインが出たこと自体、釈然としない。

 今は亡き父の借金を返済するため昼は工事現場で汗を流し、夜はカラオケバーを切り盛りする風間彩人は、完全に生活に疲れていた。さらに同居している母の麻美はメンタルを病んでいて、気が休まる暇も無い。それでも恋人の日向の献身的な振る舞いと、総合格闘技の選手である弟の壮平の活躍に、何とか希望を見出そうとしていた。しかし、親友の大和の結婚を祝う会が開かれた夜に、彩人は理不尽な暴力事件に巻き込まれてしまう。



 冒頭に彩人の窮状が描き出され、その事情が映画が進むに従って小出しに明らかにされるという構成は、失当と言うしかない。これでは感情移入できる余地がないばかりか、真相が示されないまま主人公が悩んでいるだけという状態が長く続くため、観ていてストレスがたまる。

 くだんのカラオケバーは両親が開業したもので、父親はその前は警察官だったというモチーフは序盤に提示すべきだし、父親が死亡した原因や母親が正気を失った背景も、前半部分には挿入すべきだ。そもそも、どうして前後不覚な母親を家に置いておくのか分からない。第一、日向は看護師じゃないか。適切な改善策ぐらい提案出来ないのか。

 仲が良いはずの大和たちも、具体的に彩人に手を貸している様子は見受けられない。彩人が災難に遭うプロセスは牽強附会の最たるものだし、事件を担当した警官の態度も不審過ぎる。かと思えば、壮平の試合の場面が不必要に長く、しかも大して盛り上がらない。要するにこの映画、不幸のための不幸、悲劇のための悲劇を並べ立てているだけで、何ら普遍性もドラマティックさも喚起されていないのだ。

 それでもキャストは皆好演。主演の磯村勇斗は逆境に翻弄されて人生を投げてしまった若者像をうまく表現していたし、日向役の岸井ゆきの、壮平に扮した福山翔大、両親を演じた豊原功補と霧島れいかも健闘している。染谷将太や滝藤賢一といった脇の面子も良い。それだけに、この中身の薄さは残念だ。
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「ベイビーわるきゅーれ 2ベイビー」

2024-11-09 06:26:38 | 映画の感想(は行)

 2023年作品。前作(2021年)は観たものの、この続編は個人的鑑賞予定リスト(?)に入っていなかった。しかし、主演の一人である高石あかりがNHK朝ドラの2025年度後期番組の主役にオーディションで選ばれたとのことで、もう一度彼女のことをチェックしようと思った次第。映画の出来には大して期待はしていなかったが、最後まで退屈しないだけのヴォルテージはキープしている。まあ観ても損はしないだろう。

 杉本ちさとと深川まひろの若い女子殺し屋コンビは、ルーズな性格がわざわいしてジムの会費や保険料を滞納し、さらに立ち寄った銀行で押し入った強盗相手に勝手に大立ち回りをやらかしてしまい、殺し屋協会から謹慎を言い渡される。一方、しがない殺し屋アルバイトの神村ゆうりとまことの兄弟は、ちさととまひろを始末すれば代わりに“正社員”に昇格できるという噂を聞きつけ、実力行使に及ぼうとする。

 普通、アクション映画の続編は前作よりも金かけてスケールアップを図るとか、主人公の別の顔を見せるとか、取り敢えずは特色を出そうとするものだが、本シリーズに関しては全くそのような素振りを見せないところがある意味アッパレだ(笑)。脱力系のタッチは相変わらずで、特にちさととまひろが生活費を稼ぐため下町の商店街(ロケ地は墨田区のキラキラ橘商店街)で慣れないバイトに励むシークエンスはユルいギャグの連続だ。

 協会のスタッフたちの天然ぶりや、神村兄弟の間の抜けた会話など、緊張感ゼロのモチーフが次々と並べられる。通常こんな展開は低評価に繋がるものだが、このシリーズに限っては許せてしまう。ただし、クライマックスの決闘シーンは前作に比べてかなり作り込まれており、出演者たちの身体能力の高さも相まってけっこう盛り上がる。監督の阪元裕吾は、意外とドラマの緩急を心得ているのかもしれない。

 ちさとに扮する高石はルックスはイマイチだが、演技力と独特のキャラクターは申し分なく、これならば朝ドラのヒロイン役も務まるだろう。まひろ役の伊澤彩織をはじめ、水石亜飛夢に中井友望、安倍乙、渡辺哲、そして敵役の丞威と濱田龍臣など、皆良くやっていると思う。三作目の「ベイビーわるきゅーれ ナイスデイズ」も観るかもしれない。
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「西湖畔に生きる」

2024-11-08 06:21:57 | 映画の感想(さ行)
 (原題:草木人間 DWELLING BY THE WEST LAKE)監督のグー・シャオガンが前に撮った「春江水暖 しゅんこうすいだん」(2019年)に比べれば、少しはマシな出来映え。ならば面白いのかというと、そうではない。ハッキリ言って、この映画が前作に対して優れている点というのは、尺が短いことだけなのだ(「春江水暖」は150分だったが、本作は115分)。その分、時間の節約にはなる。

 浙江省杭州市の近郊にある西湖のほとりは、高級茶の龍井茶の生産地である。そこで茶摘みの仕事をしていたタイホアは、女手一つで息子のムーリエンを育て上げた。彼女は茶畑の主人チェンと懇意になるが、チェンの母と仲違いをして茶畑を追い出されてしまう。やがてタイホアは、友人の誘いでマルチ商法に手を染める。ムーリエンはそんな母を救おうとするが、上手くいかない。そして彼は思い切った行動に出る。

 冒頭、山肌に広がる茶畑を空撮でとらえた映像は素晴らしく美しいが、ここだけ観て退場してもあまり後悔はしないと思われる。なぜなら、その後のストーリーが要領を得ないものだからだ。タイホアが違法なビジネスにのめり込んだ理由は明示されておらず、そんな母を慕っているはずのムーリエンの言動は整合性を欠いている。どうでもいい話が延々と進んだ挙げ句、終盤の展開は意味不明だ。

 グー・シャオガンの演出は冗長で、タイトにまとめればたぶん1時間で終わる話をスピリチュアルっぽい画像を並べ立てることによって引き延ばしている。ムーリエンに分するウー・レイとタイホア役のジアン・チンチンは演技も見た目も申し分ないとは思うが、映画の内容がこの程度なので“ご苦労さん”としか言いようがない。なお、グオ・ダーミンによる撮影と梅林茂の音楽は及第点には達していた。

 余談だが、中国でもマルチ商法は蔓延っているらしい。被害総額は日本ほどではないが、件数は相当なものとか。引っ掛かるのは主に高年齢層だが、若者も無関係ではない。もちろん当局側は積極的に摘発・検挙に取り組んでいるものの、撲滅させるほどの成果は上がっていないのが現状だろう。この映画でもそのあたりを突っ込んで描いていれば、見応えのある作品に仕上がったのかもしれない。
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「シビル・ウォー アメリカ最後の日」

2024-11-04 06:21:03 | 映画の感想(さ行)
 (原題:CIVIL WAR )たぶん、本年度のアメリカ映画では最も重要な作品になるだろう。また、広範囲にアピール出来るような普遍性も兼ね備えている。いまだに世界各地で起こっている戦争の実相を、アメリカの内戦という“架空の設定”を借りて鮮烈に描き出す。そこには大義も名誉も無く、単なる命の奪い合いがあるだけだ。ここまで振り切った捉え方に接すると、まさに絶句するしかない。

 近未来のアメリカで、テキサス州とカリフォルニア州の同盟からなる“西部勢力”と政府軍との間で紛争が勃発する。各地で激しい武力衝突が展開し、戦況は連邦政府が劣勢のようだが大統領は強気な姿勢を崩さない。戦場カメラマンのリー・スミスら4人のジャーナリストは、1年以上もマスコミの取材を受けない大統領に単独インタビューを敢行するため、ニューヨークからホワイトハウスを目指す。それは地獄のような行程であった。



 映画は“西部勢力”が連邦から離脱した背景には多くは言及しない。周辺諸国の状況も分からないし、中露や中東方面がどんなスタンスを取っているのかも不明だ。しかし、そんな説明不足とも思える御膳立ては、この映画の存在感を減じる結果には繋がらない。戦争はすでに目の前に存在しているのであり、その不条理にどう向き合うかを問うているのだと思う。

 ジャーナリストたちは何とかこの惨劇の裏にあるものを探ろうとするが、それらは徒労に終わるだけだ。結局、彼らは即物的にカメラを構えるだけで、現実を追認するだけの存在に成り下がっている。そんなルーティンワークは、たとえ仲間が殉職しようとも途切れることは無い。

 終盤近くの戦闘シーンはかなり迫真性がある。戦時国際法も国際人道法もどこかに追いやられ、目の前に現われる人間をただ殺していくという、その単純かつ残虐な方法論が罷り通るだけ。本作は明らかに巷間言われている“アメリカ社会の分断”をヒントに製作されていることは明らかだ。しかし、そんな分断なんか世界中どこにでも散見されるわけで、この惨状はいわば“万国共通”のものなのだ。

 脚本も担当したアレックス・ガーランドの演出は実に粘り強く、ドラマが弛緩することは無い。また、彼がアメリカ国民ではなくイギリス人であるというのも嫌らしい。対象をシニカルかつ冷徹に料理するのは、まさに英国人の所業である(注:これはホメているのだ ^^;)。リー役のキルスティン・ダンストをはじめ、ヴァグネル・モウラ、スティーヴン・ヘンダーソン、ソノヤ・ミズノ、ニック・オファーマンといったキャストは派手さは無いが、それが却ってリアリティを喚起している。

 また、最近出番が多い若手のケイリー・スピーニーと、ダンストの夫で特別出演のジェシー・プレモンスが特に印象的。なお、この映画はA24の製作だ。観る前はシンプルな戦争アクション物かと思っていたら、冒頭タイトルにこの映画会社の名称を目にした途端、鑑賞する姿勢を糺してしまった。出来不出来はあるにせよ、このプロダクションの仕事には一目を置くべきだ。
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カート・ヴォネガット・ジュニア「タイタンの妖女」

2024-11-03 06:20:17 | 読書感想文

 出版は1959年。奇天烈な内容のSF作品で読んだ後は面食らったが、これはジョージ・ロイ・ヒル監督による怪作「スローターハウス5」(72年)の原作者が手掛けた本だということを知り、取り敢えずは納得してしまった。つまりは“考えるな、感じろ”という性格の書物なのだろう。とはいえ中身には幾ばくかのペーソスが挿入されており、読者を置いてけぼりにしないだけの工夫は施されていると思った。

 22世紀のアメリカ。主人公のマラカイ・コンスタントはカリフォルニア州出身の大富豪だが、彼自身は目立った功績を残してはいない。単に幸運により父親が遺した財産を殖やしただけだ。一方、ニューイングランドの裕福な家系に生まれたウィンストン・ナイルス・ラムフォードは、その財を活用して宇宙探検家となる。彼が地球と火星の間を行き来している際に“時間等曲率漏斗”なる事象に遭遇し、飼い犬のカザックと共に“波動現象”という超越的な存在に転生してしまう。

 彼らは、太陽からベテルギウスに至る螺旋上に意識の主体を置き、その螺旋が惑星に遭遇すると一時的にそこで実体化するらしい。過去と未来を知る全能の神のようになった彼は、わざと地球と火星との戦争を引き起こし、マラカイの記憶を消して火星軍の一兵士として出陣させる。だが、どういうわけか水星へと向かってしまい、さらに紆余曲折を経た後、土星の衛星タイタンで彼の運命を操るウィンストンに出会う。

 AIと人間、そして戦争と平和との関係性を変化球を駆使してシニカルに描くという方法自体は誰でも考え付きそうだが、本書のアプローチは常軌を逸しており、容易に真似が出来るものではない。支離滅裂のようで何やら話に愛嬌があり、キャラクターの存在感は屹立している。マラカイとウィンストンだけではなく、トラルファマドール星出身の機械生物サロや、マラカイの妻と息子など、それぞれ一冊の本が書き上げられるほど存在感は大きい。終盤の展開と幕切れは悲しくも鮮やかで、映像が浮かんでくるようだ。
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「HAPPYEND」

2024-11-02 06:21:58 | 映画の感想(英数)
 いかにも新人監督が手掛けた“意識高い系”の佇まいの映画で、頭から否定してしまう鑑賞者も少なくないとは思うが、個人的には気に入った。登場人物たちが抱える屈託や焦燥感、そして向こう見ずな行動に走ってしまう様子に、昔自分が十代だった頃の捨て鉢な思考パターンが被ってきて何とも言えない感慨を抱いてしまう。こういうアプローチもあって良い。

 近未来の日本。高校3年生のユウタとコウは気ままな学生生活をエンジョイしていたが、ある晩忍び込んだ校舎の中でユウタは冗談のキツいイタズラを敢行する。翌日、そのイタズラは校長の知るところになり、学校側は生徒を監視するAIシステムを校内に導入するに至る。それを契機として、ユウタとコウだけではなく多くの生徒に動揺が走り、先の見えない事態に陥ってしまう。



 時代設定は“近い将来”ということだが、AIの扱いや多様性に富んだ生徒が多いというモチーフは現在進行形だろう。ユウタとコウの家庭は問題を抱えているが、その事情は決して浮世離れはしていない。まあ、映像のエクステリアこそ近未来っぽさを少し醸し出してはいるが、これは概ね現代の話と言って良いと思う。

 登場人物たち(教師や親も含む)は皆うまくいかない現状に悩んでいるが、それを打開するため具体的に何をどうしたら良いのか分からない。一部の生徒は授業をボイコットし校長室に立てこもるという暴挙に出るが、それで見通しが劇的に明るくなるわけではない。それでも彼らは現実と折り合いを付けて生きていくしか無いのである。

 実は、私が昔通っていた高校でも授業を放棄して問題教師を吊し上げようとした動きがあった。もっともそれは別のクラスの話で、こちらは関与はしていなかったのだが、彼らがそうしたくなった気持ちは理解出来た。それで状況が好転することは最初から期待はしていないものの、そうでもしないとあの鬱屈した気持ちは少しも晴れないのだ。ましてや世の中が暗く若者が難儀しそうな現在では、ユウタやコウたちの所業は訴求力が高いと思う。

 脚本も担当した空音央の演出は気取った映像感覚が鼻につくものの、主題の捉え方はしっかりしている。生徒役の栗原颯人に日高由起刀、林裕太、シナ・ペンといった顔ぶれは馴染みは無いが、いずれも的確なパフォーマンスだ。渡辺真起子に佐野史郎といったベテランも機能している。第81回ヴェネツィア国際映画祭オリゾンティ・コンペティション部門の出品作品でもある。
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「F2グランプリ」

2024-11-01 06:20:13 | 映画の感想(英数)
 84年東宝作品。いわゆる“F1ブーム”が日本で巻き起こったのは80年代後半だとされているが、この映画はそれを先取りした形であるのが興味深い。もっとも、題材になっているのはF1ではなく全日本F2選手権(現在のスーパーフォーミュラに相当)なのだが、それでも邦画では珍しいカーレースを扱ったというだけでも存在価値はあるだろう。とはいえ、出来映えがあまり伴っていないのは残念ではある。

 F2シリーズの第2戦でトップ争いをしていた4台のマシンのうち、2台が接触事故を起こす。結果、元チャンピオンの宇佐美が即死する。彼の妹で同じレースに参加していた中野訓の恋人であるしのぶは別れを切り出し、中野は孤立してスランプに陥ってしまう。そんな中、自動車会社とタイヤメーカーから新型マシンのトライアル要請が中野の元に届き、やっと彼は復活に向けての切っ掛けを見出すことになる。海老沢泰久原作の同名小説の映画化だ。



 苛烈な先頭争いから大規模なクラッシュに至る冒頭のシークエンスの迫力はかなりのもので、日本映画でこれだけやれたのは評価すべきだろう(ホンダが全面協力していたらしい)。しかし、それ以外はどうもピリッとしない。

 監督の小谷承靖の作品は他に「コールガール」(82年)ぐらいしか観たことはないが、元々は東宝専属で「若大将」シリーズなどを手掛けていた人材。だから、スマートでライトな作風が身上だったのだと思うが、どう考えても本作のカラーには合っていない。つまり、描き方が表面的でマシンとレーサーたちとの関係に絶対とでもいった熱い結び付きが感じられないのである。

 また、登場するレーサーたちに強烈な個性が無い。F3レースからF2へと昇格した新進気鋭の中野訓をはじめ、連続トップを狙うベテランや暴走族あがりで毎年2位から抜け出せずにいる者など、それぞれ厳しい人生と野望を抱えているはずだが、皆どうも小綺麗で現実味が薄い。

 主演の中井貴一に野性味が足りないのは仕方が無いとしても(苦笑)、田中健に峰岸徹、勝野洋、地井武男、森本レオ、木之元亮といった濃い面々を配していながらアクの強さが出ていないのは失当だろう。石原真理子扮するヒロインも、何やら影が薄い。なお、テクニカル・アドバイザーとして中嶋悟が参加しており、原作者によれば主人公のモデルは中嶋とのことだ。
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