(原題:CALL ME DANCER)インド人バレエダンサーの奮闘記だが、特筆すべきはこれがドキュメンタリー映画だということだ。フィクションではないのはもちろん、実話を元にした劇映画でもない。スクリーンの真ん中にいるのは、遅咲きながらダンサーになることを希求し、立ちはだかる数々の試練にも負けずに夢に向かって疾走する生身の人間だ。よく“事実は小説よりも奇なり”と言われるが、ドラマティックな人生を選択し、なおかつ“絵になる”素材を採用した時点で本作の成功は約束されたようなものだ。
ムンバイに住む少年マニーシュ・チャウハンはストリートダンスにハマり、猛練習を経てダンス大会で好成績を収める。そこで彼はダンススクールへの入学を勧められて通い始めるが、イスラエル人のバレエ教官イェフダとの出会いが彼の人生を変える。奥深いバレエの魅力に取り憑かれたマニーシュは、持ち前の身体能力でめきめきと成長し、プロダンサーとしての展望が開けてきたかに見えた。しかし、バレエの道に進むには、マニーシュは年を重ね過ぎていたのだ。
現在はニューヨークのペリダンス・コンテンポラリー・ダンス・カンパニーでダンサーとして活躍しているマニーシュ・チャウハンの半生に迫ったドキュメンタリー物で、もちろん主役はマニーシュ自身だ。彼が初めてクラシックバレエのレッスンを受けたのは、18歳の頃だったという。この世界では明らかに遅いスタートだ。しかもインドにはバレエの伝統は無い。
それでもイェフダの薫陶を受けることが出来たのは幸運だったのだが、幼少時から基礎を叩き込まれた者がゴロゴロいる中では目立てない。そんな彼を受け入れる可能性があったのが、コンテンポラリーバレエだった。決まったスタイルが無いこの分野では、ダンサーのキャリアなど二の次だ。とにかく実力と感性が研ぎ澄まされている者だけが活躍できる。自身の境遇と目の前にある未知の世界の間で葛藤する主人公の姿は、まるでフィクションだ。さらには、家族との関係性も丹念に描き込まれる。
監督を務めたレスリー・シャンパインとピップ・ギルモアは、虚構の話と実録物との違いを熟知していると思う。マニーシュのような、見た目も生き方も“映画みたいな人間”を見つけ出してくることで、リアルとフィクションとの融合に果敢に挑戦してくる。その気迫はスクリーンから存分に伝わってくる。もちろん、マニーシュをはじめとする各ダンサーが見せる妙技は素晴らしく、映画的興趣は高揚するばかりだ。撮影も音楽も言うことなしである。
ムンバイに住む少年マニーシュ・チャウハンはストリートダンスにハマり、猛練習を経てダンス大会で好成績を収める。そこで彼はダンススクールへの入学を勧められて通い始めるが、イスラエル人のバレエ教官イェフダとの出会いが彼の人生を変える。奥深いバレエの魅力に取り憑かれたマニーシュは、持ち前の身体能力でめきめきと成長し、プロダンサーとしての展望が開けてきたかに見えた。しかし、バレエの道に進むには、マニーシュは年を重ね過ぎていたのだ。
現在はニューヨークのペリダンス・コンテンポラリー・ダンス・カンパニーでダンサーとして活躍しているマニーシュ・チャウハンの半生に迫ったドキュメンタリー物で、もちろん主役はマニーシュ自身だ。彼が初めてクラシックバレエのレッスンを受けたのは、18歳の頃だったという。この世界では明らかに遅いスタートだ。しかもインドにはバレエの伝統は無い。
それでもイェフダの薫陶を受けることが出来たのは幸運だったのだが、幼少時から基礎を叩き込まれた者がゴロゴロいる中では目立てない。そんな彼を受け入れる可能性があったのが、コンテンポラリーバレエだった。決まったスタイルが無いこの分野では、ダンサーのキャリアなど二の次だ。とにかく実力と感性が研ぎ澄まされている者だけが活躍できる。自身の境遇と目の前にある未知の世界の間で葛藤する主人公の姿は、まるでフィクションだ。さらには、家族との関係性も丹念に描き込まれる。
監督を務めたレスリー・シャンパインとピップ・ギルモアは、虚構の話と実録物との違いを熟知していると思う。マニーシュのような、見た目も生き方も“映画みたいな人間”を見つけ出してくることで、リアルとフィクションとの融合に果敢に挑戦してくる。その気迫はスクリーンから存分に伝わってくる。もちろん、マニーシュをはじめとする各ダンサーが見せる妙技は素晴らしく、映画的興趣は高揚するばかりだ。撮影も音楽も言うことなしである。