舎利尊勝寺 大阪市生野区舎利寺1-2-36 住職のご内儀より色んなお話をしていただいた。
その縁起は寺伝によれば、約1400年前、聖徳太子の創建と伝わる。 この地は生野長者の旧地と言われ、長者に言葉の不自由な子が生まれたが、四天王寺を創建するために来ていた聖徳太子がこのことを知り、その原因を太子が前世で仏舎利3顆を与えたためと云い、それを吐くことを命じたところ、長者の子供は3つの仏舎利を吐き出し、言葉は普通に話せるようになったという。太子は3つの仏舎利のうち、1つを法隆寺に、1つを四天王寺に、残った1つを自筆の御影と共にこの長者に付与された。大変喜んだ長者が屋敷内に堂を建て、仏舎利を奉ったのが、舎利尊勝寺の始まりと言われる
当山の中世の寺歴は不詳であるが、戦国時代末期の1547年両細川軍がこの付近で対決した、いわゆる舎利寺合戦で荒廃した。その後、1672年徳川家綱が黄檗山万福寺の2代木庵に当地を与え、復興させた。 この寺には西国三十三カ所の寺を表す石の観音像が奉られています
観音堂
太子摂政像・四天王像・室町-太子ゆか
りの名宝図録より