鞆の浦 福山市鞆町鞆
瀬戸内海のほぼ中央にあたり、万葉の時代から瀬戸内海の東西航路の「潮待ち港」として知られる。中世には交易・軍事の要地として栄え、江戸時代には、琉球使節・朝鮮通信使・オランダ商館長らの一行がたびたび寄港した。幕末には、坂本龍馬と紀州藩との交渉の舞台にもなっている
古い街並みや建築物が多い。古い町割りが残り、道幅が狭く交通混雑が起きやすい。県は1983年、湾内を埋め立て橋を通す計画を作ったが景観をめぐる論争がおき、計画は今年2月、正式に撤回された。
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鞆港 灯台 江戸時代の灯台 海中の基礎の上から宝珠まで11mあり、港の常夜灯としては日本一の高さを誇る、鞆の浦のシンボル
太田家 太田家住宅は江戸時代は、保命酒の造り酒屋中村屋の邸宅として、そして明治時代からは、廻船問屋を営む太田家の住宅として残されてきました。
地蔵院 福山市鞆町後地1323-1
慶長年間の後半に廃城となった鞆城の二ノ丸の跡地に再建された、真言宗のお寺。1408(応永15)年に宥真法師によって中興され、室町時代には将軍家の祈願所とされていた。金色に輝く本堂には、ご本尊である秘仏地蔵菩薩が鎮座。中国地蔵尊霊場第八番として信仰を集めている
山門
本堂
本堂
阿弥陀如来
十一面観音
金剛健歯観音
やすらぎ苑
十三仏