週一寺社めぐり

原則として週一回 神社仏閣を訪れる

桜美神社 平井大師石仏 2012.07.22 Archives

2015年12月20日 | 神社仏閣

桜美神社 宇陀市菟田野佐倉
祭神:木花咲邪姫
文化財:国指定天然記念物:八ッ房杉
特徴:社殿は春日造り朱塗を施す当社境内には別に五社が鎮座(明治44年に合祀)八阪神社・十二社神社・市岐島神社・愛宕神社・秋葉神社神武天皇東征の菟田の高城の伝承地。境内には「神武天皇が陣をはっていたときに植えられた」と伝えられる8本の幹が絡み合う珍しい杉の巨木があり、
国の天然記念物に指定されている。

本殿

本殿

 

平井大師石仏   宇陀市菟田野区平井
菟田野の北東、平井の大師山に残る四国八十八カ所を模した霊場。幕末の石工、丹波の佐吉照信が弟子たちと共に刻んだもので約百体の石仏が大師山をとりまいている。各石仏には本尊を浮き彫りにして、本尊の仏名、霊場番号、霊場名を刻んでいる。
この霊場は、嘉永、安政の頃(1848~1859)に各地の施主によって寄進、建立されたもので、台石に寄進者の指名が残されている。

 

  休憩所内部

卒塔婆群31番45462343842

36番不動明王

191412211327

 

 

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石清水八幡宮 2015.05.27 Archives

2015年12月19日 | 神社仏閣

石清水八幡宮本社」10棟 2015.10.16        八幡造の御本殿を含む本社10棟を国宝に指定するとの文化審議会の答申を得ました                                         国宝となる10棟                                                                 本殿(ほんでん)
•摂社武内社本殿(せっしゃたけうちしゃほんでん)
•瑞籬(みずがき) ※本殿・摂社武内社本殿を画するためにめぐらされた塀
•幣殿(へいでん)および舞殿(ぶでん)
•楼門(ろうもん)
•東門(ひがしもん)
•西門(にしもん)
•廻廊(かいろう) 3棟 ※楼門の左右から各々東門と西門まで、両門からコの字に囲う廻廊

石清水八幡宮は860年の創建以来、公家や武家の信仰を集めてきた。現在の社殿は1634年、江戸幕府により建てられた。本殿は、間口約18mの内殿と外殿(げでん)を前後に並べ、内部を一体化させた八幡造と呼ばれる建築様式。平安時代後期からの社殿形式を保ちつつ、極彩色の彫刻を施した欄間や
飾り金具など、華やかな装飾を備えた完成度の高い神社建築として評価された。創建後、たびたび焼失したが、1580年には織田信長が社殿を修復、1598年には豊臣秀頼が境内を再興している

画像の一部はTVより

 

俯瞰図

 流れ左三つ巴紋

社殿

楼門手前が拝所

楼門・国宝となる

本殿・蟇股目抜きの猿信長塀

神楽殿

住吉社宗像三女神北総門

楠正成奉納大楠竈宸殿

若宮社と若宮殿社

国宝となる東門・江戸

武内社本殿

幣殿・舞殿 幣殿

本殿

楼門彫刻

頓宮

大宰府符大宰府符八幡宮寺符永仁石灯籠・重文家康禁制公文所・兼官奉書信長秀吉信長尊氏御教書 御縁起

僧形八幡神像

木造女神像

木造僧形神造

八幡曼荼羅

 

 

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和邇下神社 2012.01.22 Archives

2015年12月18日 | 神社仏閣

和邇下神社(上治道宮)カミハルミチノミヤ   天理市櫟本町2490
(七六九)東大寺領の櫟庄の水を引くため高瀬川の水路を今の参道に沿った線へ移し、道も新しく真直に作られたので、この森を治道の森といい、宮を治道社といった。上代の古墳の上に祀られた神社で、櫟本の地方にいた一族の氏神であったが、今は櫟本町の鎮守の神社である。
今の社殿は、三間社流れ造り、桧皮葺一間向拝付で桃山時代の様式を備え、古建築として重要文化財に指定されている 古代豪族・和爾氏の祖神を祀っている   族称ワニが鍛冶の職能にちなむ」名であることから、「二世紀後半ごろ、北部九州とは別のルートすなわち 裏日本から畿内中枢地域に進出してきた、太陽信仰をもつ朝鮮系鍛冶集団が、のちの和邇氏などではなかったと言われている 和邇氏は当時の技術者集団ともいえる。 朝鮮半島から先進技術を伝え、倭国の発展に貢献した  万葉集第一の歌人柿本人麻呂は和邇氏の支流
社殿は和爾下神社古墳と呼ばれる前方後円墳の後円部上に建っている

  

参道

  カエル

影媛石碑  

神社への階段

拝殿

本殿

本殿

石室の天井

 

 

 和爾下神社「下治道宮」シモハルミチノミヤ 大和郡山市横田町23           こじんまりした神社                                 
この地に住んでいた横田物部氏の氏神だった 『延喜式』神名帳添上郡の「和爾下神杜二座」の一座にあたる当社より東2.5kmの天理市櫟本町に同名社があり、これを上治道宮(はるみち)と云うのに対して、当社を下治道宮と称する  当地は横田郷で、その郷社であった

 

拝殿

拝殿

摂社

摂社

 

 

和爾坐赤阪比古神社   奈良県天理市和爾町1194
和爾氏の氏神として成立し、式内社・和尓坐赤坂比古神社に比定されている古社。
神亀元年(724)以前から神戸が与えられたという添上郡屈指の大社であり、三代実録にも「従五位下和爾赤坂彦神」と記載され、延喜の制においても、大社に指定されている神社

拝殿

本殿

本殿

 

 

 

 

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舎利尊勝寺へゆく 2015.12.16

2015年12月17日 | 神社仏閣

舎利尊勝寺   大阪市生野区舎利寺1-2-36 住職のご内儀より色んなお話をしていただいた。


その縁起は寺伝によれば、約1400年前、聖徳太子の創建と伝わる。 この地は生野長者の旧地と言われ、長者に言葉の不自由な子が生まれたが、四天王寺を創建するために来ていた聖徳太子がこのことを知り、その原因を太子が前世で仏舎利3顆を与えたためと云い、それを吐くことを命じたところ、長者の子供は3つの仏舎利を吐き出し、言葉は普通に話せるようになったという。太子は3つの仏舎利のうち、1つを法隆寺に、1つを四天王寺に、残った1つを自筆の御影と共にこの長者に付与された。大変喜んだ長者が屋敷内に堂を建て、仏舎利を奉ったのが、舎利尊勝寺の始まりと言われる

当山の中世の寺歴は不詳であるが、戦国時代末期の1547年両細川軍がこの付近で対決した、いわゆる舎利寺合戦で荒廃した。その後、1672年徳川家綱が黄檗山万福寺の2代木庵に当地を与え、復興させた。            この寺には西国三十三カ所の寺を表す石の観音像が奉られています

 

 

    

観音堂

本堂・本尊・釈迦如来

太子摂政像・四天王像・室町-太子ゆか

りの名宝図録より

      天邪鬼  

善光寺花山天皇像仏足石  四天王寺と十万寺の三石が知られる

菅甘谷(漢学者)の墓 毘沙門天

西国三十三カ所観音霊場・宝厳寺神変大菩薩一乗寺

岡寺葛井寺 紀三井寺南円堂

 

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斑鳩寺 2011.06.19 Archives

2015年12月16日 | 神社仏閣

 

  

本堂

奥殿

奥殿

 

  

聖徳殿

境内

地蔵群

 

以下の画像はTVより

釈迦如来

  

薬師如来・秘仏

薬師如来

弥勒菩薩

阿弥陀如来

  十二神将

愛染明王

日光・月光菩薩

 

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圓教寺 西国27番 2014.07.19 2013.06.17 Archives

2015年12月15日 | 神社仏閣

   

摩尼殿

縣造

大講堂

食堂

常行堂

墓所観世音菩薩大仏

和泉式部供養塔

開山堂

 

以下仏像はTVより

摩尼殿

如意輪観音・摩尼殿

六臂如意輪観世音菩薩・摩尼殿

  持国天摩尼殿・秘仏

常行堂

常行堂

釈迦如来・大講堂

大講堂

文殊菩薩・大講堂

常行堂の本尊である阿弥陀如来坐像

金剛薩埵坐像・食堂

護摩堂内陣正面

開山堂内陣

 

 

 

 

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88 大窪寺  2015.12.10

2015年12月14日 | 神社仏閣

88  大窪寺 香川県さぬき市多和兼割96
奈良時代の養老年間(717年 - 724年)に行基が開基し、弘仁年間 (810 - 823) に空海(弘法大師)が奥の院の岩窟で虚空蔵求聞持法を修し、薬師如来を刻んで安置したとされている。この時に空海が納めたとされる錫杖は、空海が唐から持ち帰った三国伝来のものと伝え、本尊とともに祀られている 第6回 3137番 風邪のため不参加 来年ここを行って結願となる

山門

 霊場結願所

本堂(左)と阿弥陀堂(右) 本堂奥に多宝塔上部

本堂

本堂

   

納経所(旧大師堂)

大師堂

 不動明王  結願大師

宝杖堂

薬師如来薬師堂多宝塔 本堂内吊灯籠龍図魔除け塔1番霊山寺に帰り法話を聞く・御朱印

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お遍路 84 屋島寺 87長尾寺  2015.12.10

2015年12月13日 | 神社仏閣

84 屋島寺 香川県高松市屋島東町字屋島峯1808
鑑真が(754年)に当地を訪れて開創したという。このころに古代山城の屋嶋城が閉鎖されたため、その跡地に寺院を創設したものである。

  

仁王門

四天王

本堂

大師堂

千躰堂三躰堂熊野権現社 

       一願不動

 十一面観音  

   大師堂香炉の鬼

展望台より

      昼食

 

87 長尾寺  香川県さぬき市長尾西653
聖徳太子の開創と伝わる  (739年)、行基が当地で霊感を得て聖観音菩薩像を刻み、堂宇に安置したのが始まりとされる
    

仁王門 日本三大名門の1つという。寛文10年(1670)建立とされ、三つ棟木という珍しい工法で知られる

仁王門の山号額と鐘(鐘楼門)

経憧 

本堂と大師堂

 

大師堂・大正時代に再建された

 薬師堂護摩堂本坊天神宮 

剃髪塚

興亜地蔵

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お遍路 85八栗寺 86志度寺  2015.12.10

2015年12月13日 | 神社仏閣

85 八栗寺  香川県高松市牟礼町牟礼字八栗3416
弘法大師がここで虚空蔵求聞持法を収めた際、五本の剣が天から降り蔵王権現が現れて、この地が霊地であることを告げた。空海は降ってきた剣を埋め、(829年)に再訪し開基したという。

     

本堂

   

聖天堂

大師堂

 役行者  

         

 

86 志度寺 香川県さぬき市志度1102
志度浦にたどり着いた霊木を凡薗子尼(おおしそのこに、智法尼とも)が草庵へ持ち帰り安置し、その霊木から本尊(十一面観音)を造立し、堂宇が建立されたという

   

本堂

大師堂

瑛魔堂 奪衣婆堂

     枯山水庭園の無染庭七福神        

 

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お遍路 81-白峯寺 82-根香寺 83-一宮寺 2015.12.09

2015年12月12日 | 神社仏閣

81 白峯寺 香川県坂出市青海町2635
弘法大師)弘法大師が(815年)この地に訪れ、衆生救済の請願をした。円珍(智証大師)が(860年)に白峯大権現の神託を受けて千手観世音菩薩を霊木に刻み安置したという

 

本堂

参道菊の紋吊灯籠

七棟門

大師堂獅子

頓証寺殿勅額門客殿

薬師堂

層塔

阿弥陀堂虚空蔵堂護摩堂

白猴欅    

 

82-根香寺 香川県高松市中山町1506  大師が五色台に「金剛界曼荼羅」の五智如来を感じ五大明王を祀る花蔵院を建立したのが始まり

  

三門

 本堂への階段

本堂

五大堂千体観音   

                             牛鬼

 

83  一宮寺 香川県高松市一宮町字宮西607  義淵により大宝年間(701年 - 704年)に大宝院として創建され、後に行基が一宮寺と改めたという

  

本堂

先祖供養の燈籠

護摩堂

菩薩堂大師堂 

「桃太郎伝説」の吉備津彦命の墓と言われる一宮御陵

 石碑不動明王   庵治観光ホテル・夕食

 

 

 

 

 

 

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