週一寺社めぐり

原則として週一回 神社仏閣を訪れる

浜寺公園 ばら園 2016.05.14

2016年05月14日 | 神社仏閣

「浜寺公園 ばら庭園」は、大阪府営の総合公園「浜寺公園」の中にあり、約300種6,500株が植栽されている  9:00~17:00  Free

 

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大阪城天守閣 神君家康 2016.05.12

2016年05月13日 | 神社仏閣

「東照宮縁起絵巻」でたどる生涯 大坂落城から401周年 家康の死から400年 紀州徳川家伝来の「東照宮縁起絵巻」により、生涯をたどった催しもの 

以下 神君家康 図録より抜粋

 

  関ヶ原

    家康・将軍となる・参内

征夷大将軍

駿河花見

南光坊天海

大坂の陣

     大坂の陣

太政大臣となる

 

家康・他界 75歳 死因--鯛の天ぷらにあたったといわれるが、本当かどうかわからない

東照宮

21回忌・祭礼

     祭礼

法事

拝殿お経供養

朝鮮通信使の参詣

朝鮮通信使

宝塔・奥之院

奥之院・天海僧正

紀州東照宮 和歌の浦 1621年家康の十男頼宣の紀伊入国から2年後のことだった

紀伊東照宮

 

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大阪城西の丸庭園 2016.05.12

2016年05月12日 | 神社仏閣

庭園

庭園より大阪城

 

西の丸庭園入り口

大阪迎賓館 1995年APECが開かれた時の会場 5/13より民間委託により予約制レストランとして
open  昼30人以上@6,000円 晩・20人以上@10,000円とのこと

 

金の茶釜

秀吉

屏風

   ブラシの木

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法住寺  妙法院 2014.12.19 Archives

2016年05月11日 | 神社仏閣

法住寺 京都市東山区法住寺三十三間堂廻り町655
法住寺は後白河上皇の御陵をまもる寺として江戸時代末期まで存続、明治期に御陵と寺が分離され現在にいたる。寺内の「身代不動明王(みがわりふどうみょうおう)」像は、平安期の作風とされる

 

豊川陀枳尼天

本堂

   

水子観音

竜宮門

福寿観音  

 

 

妙法院 京都市東山区妙法院前側町447
開基は最澄と伝える。皇族・貴族の子弟が歴代住持となる別格の寺院を指して「門跡」と称するが、妙法院は青蓮院、三千院(梶井門跡)とともに「天台三門跡」と並び称されてきた名門寺院である

 

本堂

庫裡・国宝

庫裡内部寺務所

宸殿

 

勅使門

勅使門

不動明王

大書院襖絵

 

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新日吉神宮 2016.05.08

2016年05月09日 | 神社仏閣

新日吉神宮 いまひえじんぐう 京都市東山区妙法院前側町451  
「神幸祭」が行われていた。 1160年後白河上皇の命により、院の御所(法住寺殿)の鎮守社として、現在より南に創建されたと伝えられる。その後、社地を転々とし、現在の社地となったのは、豊国廟が再興された1897年になってからである。1958年、後白河天皇を増祀し、翌1959年に神社名を現在の新日吉神宮と改めた。

    

  

拝殿

 

  神猿

本殿

      

本殿 左に猿

   

スタジイ 神木

   

左-豊国神社・愛宕、秋葉神社

豊国神社愛宕・秋葉神社

      

山口稲荷神社 

 

 

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豊国廟 2016.05.08

2016年05月08日 | 神社仏閣

豊国廟(阿弥陀が峰)ほうこくびょう 京都市 東山区今熊野北日吉町61-1   京阪七条から京都女子大ゆきバスですぐ
阿弥陀が峰は196m 石段は489段あり、何回も休んで上まで行った 秀吉は1598年薨去され、阿弥陀が峰に墓所がある 

  

太閤坦

入り口

   中門

中門 

中門     

高さ10m

        石碑拝殿

丸殿供養塔国松供養塔・

石碑

漏世公子は豊臣秀頼の子国松(1608?1615)のことで,法名の漏世院殿雲山智西大童子からとった称。寿芳夫人は豊臣秀吉の側室松の丸殿(?~1634)のことで,法名の寿芳院殿月晃盛久からとった称。
 国松は元和元(1615)58日の大坂落城のあと,家臣田中六郎左衛門と乳母の手によって逃れ,伏見に潜居したが発見され,京都六条河原で処刑された。祖母淀君のいとこでもある松の丸殿が哀れみ,国松を京都寺町の誓願寺中に葬った。松の丸殿は誓願寺再興時の施主であり,晩年は寺内に住んだことから自分の墓も国松の墓と並んで建てさせた。明治に至り新京極の開設など近辺の環境悪化を理由に,明治44年秀吉ゆかりの現在地に改葬した。この改葬の経緯を記したのがこの碑である

 

豊国神社 大阪 2014.03.25

 

  

 

豊国神社 京都 2014.12.19

 

唐門・国宝

 コウノトリ千成瓢箪 拝殿

 

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東寺 2013.02.14 Archives

2016年05月06日 | 神社仏閣

東寺   京都市南区九条町1
本尊は薬師如来 東寺は平安京鎮護のための官寺として建立が始められた後、嵯峨天皇より(弘法大師)に下賜され、真言密教の根本道場として栄えた。

 

 

南大門

南大門の柱

金堂

金堂・本尊・薬師如来

講堂講堂・仏像

灌頂院 灌頂院・閼伽井灌頂院・東門北門毘沙門堂

食堂

五重塔内部東大門御影堂

600円 東寺境内にあり。鎌倉時代、後宇多天皇が真言密教の修行道場として建てた庵。建武年間(1334~1338)には北朝の光厳上皇がここで政務を執り行った

勅使門

 

小子房

本坊

小子房庭園

   

蓮華門・国宝勅使の間

 

以下の画像は「東寺国宝館」1995年図録より

 毘沙門天

金剛夜叉明王

帝釈天五大虚空蔵菩薩・観智院降三世明王曼荼羅

梵天国宝・不動明王

八幡神

広目天持国天増長天多聞天

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卯の花苑 浅沢社 大歳神社 2016.05.03

2016年05月05日 | 神社仏閣

    

                    

 

浅沢神社

     

 

大歳神社

       

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大谷祖廟 2016.04.29

2016年05月03日 | 神社仏閣

大谷祖廟   京都府京都市東山区円山町477にある真宗大谷派(本山:東本願寺)の宗祖である親鸞の墳墓の地である。墳墓は「御廟」と呼称される。
通称は、「東大谷。江戸時代は「大谷御坊」と呼称される。境内の「本堂」と「御廟」、ならびに大谷祖廟に隣接する「東大谷墓地」には絶えることなく参拝者が訪れる。

総門

太鼓堂

本堂

仏殿

  

 

   

 

一心院 京都市東山区林下町457  知恩院の御影堂脇から「智慧乃道」とよばれる石段を登りきると、左側が法然廟入り口、正面が知恩院総墓地入り口、右側が一心院の山門となる

    

 

円山聖天堂  京都市東山区八坂鳥居前東入る円山町 
安養寺の守護神、歓喜天を祀る。生駒聖天より勧請されたもの。かつては雨宝堂だった。安養寺の最上部にある

    

「浴油」とは聖天独特の供養法のことで、密教の修法の中でも最も深秘の法とされている。普通では不可能と思われるような願い事でも、聖天の不思議方便の働きで必ず成就すると信じられている

 

 

知恩院  

   

 

雙林寺(そうりんじ) 京都市東山区下河原鷲尾町526                                       この寺は、805年(延暦24年)桓武天皇の勅願により最澄が創建したのが始まりと伝えられる

   

 

 

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長楽寺 2016.04.29

2016年05月03日 | 神社仏閣

長楽寺 東山区八坂鳥居前東入円山町626  建礼門院 秘宝展 開催中 650円
805年桓武天皇の命により観世音菩薩を御本尊、最澄開基とし創建されたのが始まりとされる。初めは、天台宗であったが、室町時代初期に時宗に改宗された。
洛陽三十三所観音霊場第七番札所。平安時代中期、宮廷絵師の巨勢広高が壁に「地獄変相図」を描いて有名になった

     

准胝観音菩薩  

参道

   

双龍藤閣

本堂

外陣

 

 

建礼門院供養塔

    収蔵庫 安徳天皇

高倉天皇の中宮。名は徳子。父は平清盛,母は平時信の娘時子。(1171)年高倉天皇の女御として入内し,翌年中宮となった。(1178)年言仁親王(→安徳天皇)を産み,(1181)年門院宣下

 安徳天皇御幡箱  建礼門院御影  


 安徳天皇幡箱織田信長の弟、有楽斎(有楽流の茶祖)の孫長好が安徳天皇の御衣で縫われた旗(幡)を納める箱を寄付。

   眺望

  

   

   

 

 

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