8月16日 深川でこども神輿

2008年08月18日 | 風の旅人日乗
今年は深川の富岡八幡様の3年に一度の本祭り。
深川の各町内から、合計56基の神輿が出て、
門前仲町、木場、冬木、佐賀町といった深川一帯から
箱崎、茅場町、新川までの、広いエリアを練って歩く。

ぼくは、富岡八幡の境内のお膝元とも言える牡丹町二・三の神輿を担ぐ。

牡丹町は、長くセーリングの世界でお世話になっている先輩が住む町で、
そこの半纏と帯、鉢巻を貸していただけるのだ。
その町内の正式な半纏と帯、鉢巻を着てなければ、
深川八幡本祭りで神輿を担ぐことはおろか、触ることさえできないのだ。

また、半纏の下に着るダボシャツ、半ダコ、地下足袋は、
白でなければ、神輿に触れないし、
神輿を担ぐときの掛け声は、「ワッセイ」でもなければ「ソイヤ」でもなく、
正統「わっしょい」でなければならない。

時々、あちこちの祭りで神輿を担いで遊ぶ、流れの神輿担ぎが半纏を闇で手に入れて
この深川本祭りにやってきて、
つい、恍惚状態になって、どこかの別の祭りと勘違いして、
「わっせい」とか「そいや」なんて言おうものなら、
「アンタ、深川では『わっしょい』って言いなさい。言わないのなら、出なさい」
と、神輿の横で監視しながら歩いている深川芸者か洲崎芸者上がりのおばあさんに
厳重に注意されている。

また、半纏その他一式をなんとか手に入れたとしても、
その町内で一見の人間は、
花棒や先棒など、華やかな位置では神輿を担がせてもらえない。
神輿の周りで警護している総代や差配以下、町内の幹部や青年部の人たちが、
外部の者が潜りこんでいないか、目を光らせているからだ。

長く町内でこの祭りに貢献して、
その町内の人たちに知られる顔になっていない限り、
オイシイとこ取りはできないのだ。

ここのところの当時のこだわりは、山本一力さんの小説『まとい大名』と読むと
もっともっと厳しかったようで、
もし今から285年前の享保8年(西暦1723年)の、
今年から遡ること、95回前の本祭りだったら、
九州出身で相模湾岸在住の、
江戸っ子からしたら
「おととい来やがれ、べらぼうめ」
レベルの田舎っぺのぼくなど、
神聖で、町内の誇りである神輿など、絶対に担がせてもらえなかったのだろうと思う。

とはいえ・・・。
ぼくにとってこれが二度目の深川八幡本祭りだけど、
実は、この本祭りで神輿を担がせてもらうために、
本祭りのない年に毎年行なわれる、マイナーな各町内毎のお祭りにも
必ず顔を出して神輿を担がせてもらい、
祭りの後などに、
牡丹町の青年部や幹部の方々に混じって、一緒にお酒を飲ませていただき、
自分の顔を知ってもらうことに務めるという、
地道な努力を続けている。

今年の深川八幡本祭り本番は、8月17日。
その前日の16日は、
そのプレイベントとも言える、各町内で神輿を揉むドメスティックなお祭り。
翌日の本祭りに向けて集中力を高めていきつつも、
のんびりと下町の夏祭りの気分を楽しめる一日だ。

その一日の中で最も大切な出し物は、町内の子供たちが担ぐ、子供神輿。
子供神輿といっても、
かつては、当時世界最大の都市だった江戸八百八町の普請を支えた、
老舗材木商が並んでいた牡丹町がこしらえた神輿だから、
ミニチュアではあるが、意匠と造りは、ちょっとバカにできない本物仕様。
歳とって、重い本物の神輿が担げなくなったら、
なんちゃって、とごまかしながら担ぎたいような、粋な神輿だ。

青年部を中心にする大人たちが、
総出で地元の子供たちをサポートし、
東京下町に古くから伝わる重要な文化を次の世代に伝えようとしている。

ぼくは九州出身だし、深川に住んでいるわけでもないけれど、
大学に入学して九州から出てきて、
初めて住んだ東京が、寮と大学があった門前仲町だったわけで、
この深川一帯を、自分の第2の故郷のように勝手に思い込んでいる。

だから、自分の子供にもこの深川のお祭りに小さい頃から参加させて、
古い江戸文化、愛おしい日本文化を
21世紀に継承する担い手になって欲しいと願っている。

深川八幡本祭りは、
消防隊員が各所でホースを持って待ち構えていたり、
一般家庭や各商店や各町内会が、通りの前に大きな桶で水を溜めて、
前を通る神輿と担ぎ手に派手にぶっ掛けることでも有名なのだが、
これはプレイベントに過ぎない子供神輿でも例外ではなく、
担いでいるのが子供であっても、容赦なく水をぶっかける。

水を掛けるのは、神輿と担ぎ手を清める神聖な儀式でもあるのだ。

わが子は、
自分の知らない人たちが笑いながら近づいてきて、
頭といわず、顔といわず、身体といわず、
自分に思いっきり冷たい水をぶっ掛けておきながら、
「頑張りな」、
と江戸下町言葉で温かく激励されるという、
日常生活ではほとんど有り得ないような経験に、
小さな声で「冷たい水、キライなの・・・」とか言って
半べそになりながらも、
しっかり神輿の棒を持つ手を離さなかった。

「最後まで神輿を担ぎ切ると、休憩所でお菓子とジュースをもらえるよ」、
という親の言葉だけを信じて耐えていただけかもしれないが、
この子は、セーリングで海に出て冷たい水しぶきを浴びても、
がんばっちゃう子かもしれないゾと、
ひとりの親馬鹿セーラーは思ったものでした。