普通に日記を書き始めたら、アララ、いかんいかん、また原発。

2011年06月11日 | 風の旅人日乗
昨日の夜に見た天気予報を知っていても
それでも今日はセーリングに行くのだ!
と決めていた心を粉々に粉砕する、
すごい雨と風。
はい、完全に降参しました。

で、仕方がないので椅子と机にしがみついて
デスクワークでもするかと観念したところに、
すでに大夏の、世界遺産の美しい島々、
小笠原群島父島から電話。
こっちは、毎日、もう、暑くて、暑くて、と
放射性物質たっぷりの大雨に降り込められているコチラを、
羨ましがらせてくれる。



あっちで仕事さえあればなあ、
一族郎党を引き連れて行きたいんだけどな。

しかし、
日本の原子力推進政策に
積極的に反対してこなかったタワケ者として、
本州アイランドにとどまり、
子どもたちが日々被曝し続けていくのを
黙って見守る、という罰を受けざるを得ない身である。

フクシマ以前の日本の平均値に比べて
3倍近くもの放射線量が測定された学校の校庭で
土煙を上げながら元気に走り回ったり、
あるいは派手に転んだりしている子どもたちを
胸が潰れる思いで、ただ見ているしかない身である。

津波で被災して、さらにそのうえ
福島第1原発に近い地域に居続けなければならない
子どもたちのことを思うと、さらにさらに心が痛い。

政府関係者の中に、
家族をシンガポールまで逃がしている人もいるらしいけど、
それは、ねえ、ちょいと、アンタの場合、それはないんじゃない? 
とも思ってしまう。

原発による放射能汚染のことを嘆いて
それであなたにいったい何ができますか? 
というコメントをいただいたこともある。

確かに、嘆いているだけでは何も起きないです、
おっしゃるとおりだと思います。

だけど、そうかな? とも
もうひとりの自分が思っています。

ひとりひとりが小さな悲鳴をあげ、
その思いと声を町の行政に伝えていたら、
例えば、昨日の日記に書いたようなことも起きた。

小さなひとりひとりの言葉が束になっていけば、
地球上から原子力発電所をなくすことだって、
絶対に不可能、ではない、はず、
という希望を持って悪いことはひとつもない、
とも思うのです。

今日のデスクワークは、
あるレースヨットの性能解析と、
来週のアメリカスカップ・ミーティングの資料作り、
の予定で、そのさわりの部分を日記にしようと
思っていたのだけれど、
またもや、平和なセーリングとは正反対の、
これを読んでくださっている数百人の皆さんもワタクシも
大っ嫌いな原発のことで終わってしまった。

今日の原発煩悶はこれでおしまいにして、
午後と明日は平和なセーリングのことで頭を満たすことにする。
皆様におかれましても、楽しい週末を。