さようなら、吉村さん。

2011年07月19日 | 風の旅人日乗
スバル座カップに惨敗して
口を尖らせながら葉山に帰る途中、
西日がまぶしい品川駅の
15番線プラットフォームに立っているときに、
木曾の山奥、開田村から電話。

御嶽山の近くの、岩魚が泳ぐ川のほとりで
ロッジ風民宿開業作戦展開中の、
古豪外洋ヨットレーシングチーム
ローデムの残党たちの一人から。

吉村さんが亡くなったって。
何か知ってる?


[photo by Sakai/KAZI]

この2月。
秋谷のDonでお昼をご馳走になりながら、
近いうちに小笠原に行くという話をしたら、
おー、俺も連れて行ってくれ。
小笠原レースに出る予定で小笠原丸に乗ることになっていたのに
乗り遅れちゃって以来、
行きたいのに、ずっと行けてないんだ。

そう言えば、と、あのレースの間ずっと、
吉村さんのそのドジ話でワッチを楽しませてもらったことを思い出した。

まずはその小笠原行きは、
予定通りぼくひとりで行くことにして、
身体の不自由な吉村さんでも
小笠原丸での船旅を楽しめるよう、
海が穏やかな季節になったら、
一緒に行きましょう、
ということになった。

4月。
電話をしたら吉村さんは
聖路加病院に入院してた。
小さな声で、
もうすぐ退院だから、こちらから電話する、
小笠原の話を聞かせてちょうだい、
と言った。

それが、
吉村さんの声を聞いた最後になった。

退院したから、佐島に遊びにおいで
という電話は来なかったけど、
入院中の、あのか細い声を聞いてしまってから、
予感はあったし、覚悟もしていた。

パラリンピックを目指そうとしていたわずか1年前の冬。
セーリング中も、
セーリングの後のラーメンを食うときも
吉村さんの身体の中には力が満ち満ちているようだった。

でも、2月にDonで話したときには、
それから1年しか経っていないことが信じられないくらい
弱っちくなっていた。


[photo by Sakai/KAZI]


[photo by Sakai/KAZI]


[photo by Sakai/KAZI]


[photo by Sakai/KAZI]

よく調べてみたら、
男であるぼくは吉村さんのクルーになれないことが分かり、
それで吉村さんはパラリンピックをあきらめちゃったけど、
もし、パラリンピック挑戦への道が開かれていたら、
吉村さんは、もっともっと頑張って
まだまだ長く生きちゃったんだろうな。

吉村 茂。
茅ヶ崎出身。
故・武市俊氏率いるローデムチームのクルーとして
外洋レースで活躍。

そのチームに一時在籍させていただいた
小僧のようなぼくなんかを
優しく、厳しく受け入れてくれた。

最初はヨット界でも仕事をしていて、
ベンブリッジという一流セールクロスや、
ワイヤーをかしめるニコプレスの
独占輸入販売などをしていたが、
うまくゆかなくなり、
トラックの運転手もやりながら再起を図って
事業に大成功。

42ftの外洋レース艇のオーナーになり
海外のレースに遠征するようになる。

しかし再びつまづき、事業縮小。
ニュージーランドのクックソン・カスタムボートで
建造中だった世界最新鋭の43ftレース艇の、
最後の最後の支払いができず、
ほとんど手に入れる直前に、泣く泣く手放す。

その艇は、オーストラリア在住の
ニュージーランド人オーナーが
ただのような値段で手に入れ、
国際レースで連戦連勝。
そのNZ人オーナーは、それをきっかけに
本業にも成功し、
今では泣く子も黙るスーパーマキシ、
〈アルファロメオ〉の大オーナー。

一方の吉村さんは、
しばらくして事業復興に小さいながらも成功。
J/24でチームを作り直し、
全日本や世界選手権に遠征。

しかし今度は脳梗塞を患い、半身不随になって
J/24チームは解散。

辛いリハビリを乗り切り、
佐島ジュニアのコーチとして海に復帰。

身体にも自信を持てるようになり、
ロンドンのパラリンピックでの
自分自身のセーリング復帰を密かに目指すも、
条件が整わずに断念。

転んでも転んでも立ち上がってくる、
打たれ強い人だった。

でも、今年2月。
大好きだったDonの
海に面した窓辺の席に運良く座れたのに、
それをちっとも喜ばず
ランチを面倒くさそうに口に運んでいる吉村さんに、
頑張って、とは言えなかった。

ちょっとなんだか、
燃え尽きてコーナーベンチに座る
矢吹ジョーの姿に
重なって見えたから。

小笠原で、吉村さんが頑張れそうなこと
見つけてこられれば良かったんだけど、な。

もう一度一緒にセーリングしたかったけど、
最後になった、あの、江ノ島沖でのセーリングも
楽しかったですよね。

素晴らしい風の中、
ぼくはあなたのセーリング能力を
それまで少し見くびっていたことを知りました。
悔しかったので、口には出しませんでしたけど、ね。

吉村さん、
人は何というか知らないけれど
ぼくは個人的に、
あなたの人生を深く尊敬しています。

吉村さん自身は大変だったと思うけど、
倒されても倒されても立ち上がってくる、
素晴らしい生き様を
ぼくはあなたに見せてもらいました。

あなたに笑われないように、頑張ります。

本当にありがとうございました。
この言葉だけは、早く伝えておくべきだったと、
悔やんでいます。


[photo by Sakai/KAZI]


[photo by Sakai/KAZI]


[photo by Sakai/KAZI]