1年前のヨーロッパで考えたこと その4

2012年11月09日 | 風の旅人日乗
オランダは高緯度の国なので、
この季節にアムステルダム滞在中の朝のジョグは、
ほとんど真っ暗闇の中。
路面が製氷皿のように白く凍っている。



オランダでの仕事が終わった、その最終日
風車保存村に、何気なく遊びに行った。



風車にはすべて名前が付けられていることを
初めて知りました。



それはまるで船に名前を付けるかのようで、
船と同じように、人々の生活に密着していた風車は
人格化されていたのだろうと、勝手に解釈しました。



地元の人たちが保存し今も運転している風車小屋の中に入って驚いた。
そこは、大きな丸太から板材を切り出す製材所だった。



童話やアニメで見て、風車というものは小麦の粉を挽くためのもの、
それ以外の目的に使われたものではないと
数十年来信じ切っていたワタクシは、本当に、
心底、仰天した。

風車の回転運動を、ギアやら、滑車やらを使って
往復運動に変換し、







とんでもない大きさのノコギリが
とんでもない大きさの丸太をガシガシ切って、
板材がどんどん切り出されていく。
この光景には、ほんっとうに驚いた。



風の力で材木を製材する。
人間わざとは思えない、すごい発想だ。
今現在の時点でも、すんごい技術だ。

大航海時代、オランダが大帆船フリートを持つことができたのは、
その当時の、この最新工業技術あってのことだったんだと
初めて理解できた。

風車に名前をつけるのは、
風車が大切な『仕事仲間』だったからかもしれないなあ、
と思ったりもした。
仕事の後、飲み屋なんかでビールを飲みながら
それぞれの風車の『性能自慢』みたいな会話もあったかもね。

江戸時代に唯一交易を許されて日本まで来ていたオランダの帆船も、
こんなふうに切り出された木材で造られていたんだろうなあ。

教科書で、そんなことなーんにも言ってなかったもんなあ。
先生も、そんなこと、ちっとも教えてくれなかったもんなあ。

この日の「何気なく」の「遊び」がなければ、
一生知らないまま死んでいくところでした。
こういうこと、まだまだたくさんあるんだろうね。