ドイツでは、バイエルン地方を起点にして、
ロマンティック街道の街ローテンブルクに宿泊したりしながら、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/bc/7cd28d02b2bfed3ddfb820fc5b2ec9ae.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/30/ee5798a56f189879c72677718d91b793.jpg)
ベルリンのさらに先にある港町を目指して北上する。
途中、デッサウの街中を通る。
デッサウは、デザイン関係の人たちには
バウハウスがあることで知られる町。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/5d/6d46ef4be7b0b19fe74159ed3a8fd95e.jpg)
そして航空機ファンには
かつて、世界最大の航空機会社ユンカース社があったことで知られる町。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/2c/0bb7234575d1566cb723d2703889508c.jpg)
偶然その旅に持ってきていた本の一冊は、
柳田邦男氏著の『零式戦闘機』。
零戦の主任設計士だった堀越二郎氏を
主人公的ポジションに置いて、
当時は技術後進国だった日本の若い航空技術者たちが、
資金不足、材料不足というハンディを乗り越えながら
零戦を開発していった過程を克明に記録した
ノンフィクション。
その本によれば、三菱航空機に入社して2年目の堀越氏は、
ここデッサウにアパートを借りてユンカース社の技術を学ぶ。
昭和4年、いまから80年以上も前のことだ。
ユンカース社は第一次世界大戦のときにすでに
ジュラルミン製の翼を持つ飛行機を開発していた。
ただし、その金属翼の外板は、
強度を持たせるためにトタン板のように波打っていたと
その本にある。
デッサウのユンカース工場の跡地にある建物の中で、
実際にその「トタン板のような」外板の翼を見ることになった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/45/bd2261eaef9ed3b8f8c3bd097a46961d.jpg)
そしてその古い飛行機に付いているエンジンには、
バイエルン発動機製作所の、ブルーと白と黒の、
ドイツが誇る高級車の、あのマーク。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/5d/db1e22ae5691be627c559bcad5b261de.jpg)
BMWはこんなに前からエンジンを作っていたわけなんだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/ec/738147ca4ffdbe24e1687bc56fae8706.jpg)
堀越氏は、ユンカースから学んだことも生かして
設計制作チームの仲間と共に、日本独自の発想と技術で、
日本オリジナルの零戦を作り上げる。
ニュージーランドのオークランドにある博物館には
その零戦の一機が展示されている。
この旅の前に滞在していたニュージーランドで、
たまたまその零戦の写真を撮った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/e0/7ea5d31129045652c6da2a8939713a9f.jpg)
それまで先進国の技術に依存していた日本の航空界は
戦争へと舵を切りつつあった時代の流れの中で、
独力での技術開発の道を選ばざるを得なくなった。
その流れの中で、
堀越氏とそのチームは、独自のアイディアを創出し
この飛行機のこの形と性能へと昇華させたのだった。
戦争は多くの人たちを不幸に陥れる。
とても悲惨なものであり、
決して繰り返してはいけないこと。
このことは、どんなときでもまず念頭に置いている。
戦争。戦争のない平和な世界。
技術競争。企業間協力。
その国独自の技術。その国独自の文化。
自分の国に誇りを持つこと。それを次世代に伝えること。
いろんな言葉や観念が、小さな頭の中をぐるぐる回る。
そう簡単には結論など出そうにないことだけど、考え続ける。
だって、考えなければ、前に進みません。
進み足りない頭を乗せて、
クルマはアウトバーンをどんどん進み、
ドイツ国内をさらに北上していく。
ベルリンの手前の、ポツダムが近づいてきた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/40/57f8b5e4cc0a6ff6c012b971bc2e7042.jpg)
ロマンティック街道の街ローテンブルクに宿泊したりしながら、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/bc/7cd28d02b2bfed3ddfb820fc5b2ec9ae.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/30/ee5798a56f189879c72677718d91b793.jpg)
ベルリンのさらに先にある港町を目指して北上する。
途中、デッサウの街中を通る。
デッサウは、デザイン関係の人たちには
バウハウスがあることで知られる町。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/5d/6d46ef4be7b0b19fe74159ed3a8fd95e.jpg)
そして航空機ファンには
かつて、世界最大の航空機会社ユンカース社があったことで知られる町。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/2c/0bb7234575d1566cb723d2703889508c.jpg)
偶然その旅に持ってきていた本の一冊は、
柳田邦男氏著の『零式戦闘機』。
零戦の主任設計士だった堀越二郎氏を
主人公的ポジションに置いて、
当時は技術後進国だった日本の若い航空技術者たちが、
資金不足、材料不足というハンディを乗り越えながら
零戦を開発していった過程を克明に記録した
ノンフィクション。
その本によれば、三菱航空機に入社して2年目の堀越氏は、
ここデッサウにアパートを借りてユンカース社の技術を学ぶ。
昭和4年、いまから80年以上も前のことだ。
ユンカース社は第一次世界大戦のときにすでに
ジュラルミン製の翼を持つ飛行機を開発していた。
ただし、その金属翼の外板は、
強度を持たせるためにトタン板のように波打っていたと
その本にある。
デッサウのユンカース工場の跡地にある建物の中で、
実際にその「トタン板のような」外板の翼を見ることになった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/45/bd2261eaef9ed3b8f8c3bd097a46961d.jpg)
そしてその古い飛行機に付いているエンジンには、
バイエルン発動機製作所の、ブルーと白と黒の、
ドイツが誇る高級車の、あのマーク。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/5d/db1e22ae5691be627c559bcad5b261de.jpg)
BMWはこんなに前からエンジンを作っていたわけなんだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/ec/738147ca4ffdbe24e1687bc56fae8706.jpg)
堀越氏は、ユンカースから学んだことも生かして
設計制作チームの仲間と共に、日本独自の発想と技術で、
日本オリジナルの零戦を作り上げる。
ニュージーランドのオークランドにある博物館には
その零戦の一機が展示されている。
この旅の前に滞在していたニュージーランドで、
たまたまその零戦の写真を撮った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/e0/7ea5d31129045652c6da2a8939713a9f.jpg)
それまで先進国の技術に依存していた日本の航空界は
戦争へと舵を切りつつあった時代の流れの中で、
独力での技術開発の道を選ばざるを得なくなった。
その流れの中で、
堀越氏とそのチームは、独自のアイディアを創出し
この飛行機のこの形と性能へと昇華させたのだった。
戦争は多くの人たちを不幸に陥れる。
とても悲惨なものであり、
決して繰り返してはいけないこと。
このことは、どんなときでもまず念頭に置いている。
戦争。戦争のない平和な世界。
技術競争。企業間協力。
その国独自の技術。その国独自の文化。
自分の国に誇りを持つこと。それを次世代に伝えること。
いろんな言葉や観念が、小さな頭の中をぐるぐる回る。
そう簡単には結論など出そうにないことだけど、考え続ける。
だって、考えなければ、前に進みません。
進み足りない頭を乗せて、
クルマはアウトバーンをどんどん進み、
ドイツ国内をさらに北上していく。
ベルリンの手前の、ポツダムが近づいてきた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/40/57f8b5e4cc0a6ff6c012b971bc2e7042.jpg)