朝から
シーボニアに置いてある
お客様の艇にもぐり込み、
ここのところの対戦相手の
ステアリングシステムと戦闘。
いろいろ試行錯誤して
こいつを御す方針が、ほぼ固まったぜ。
チーム・ニュージーランドが
1995年のAmerica's Cupに
勝利したときの記録を、
スキッパーだったラッセル・クーツが
書いた本をやっと手に入れ、
夜明け前の時間や仕事の合間に、
少しずつ読み進めている。
1994年、つまりカップ本戦の前年、
日本から挑戦したチームの
ほとんどトップの
重要ポジションにいた中枢メンバーが、
チームニュージーランドの挑戦艇、
すなわちNZL-32とNZL-38が
いかに遅いフネなのかを、
大笑いしながら語っていたことがある。
ラッセルの本は、
最初のテストセーリングから
速いことが分かったその2隻を、
どのようにして遅く見せるかに
チーム全員で知恵を絞り、
それが、いかに功を奏して、
彼らの2艇の速さを、
予選シリーズが始まるまで
隠すことができたか、
について
詳しく説明することから始まっている。
2000年の最後の挑戦のとき、
この本を読んだことがある
日本の挑戦組織の関係者が
果たしていただろうか?
少なくとも1999年の蒲郡と
オークランドでは
その話題は聞いたことがない。
「自分はその組織では下っ端だったし…」
なんていうことなど、
言い訳になどならないし、
それを言葉にすることは
とてもみっともない、
ということも承知している。
だけど、
勝ったチームのことを研究せず、
自分たちが負けた原因を深く追求しない
チームには、永遠に勝利は訪れないことも、
深く承知している。
どうしたらいいのかなあ。
悔しいなあ。
このまま死にたくないなあ。
シーボニアに置いてある
お客様の艇にもぐり込み、
ここのところの対戦相手の
ステアリングシステムと戦闘。
いろいろ試行錯誤して
こいつを御す方針が、ほぼ固まったぜ。
チーム・ニュージーランドが
1995年のAmerica's Cupに
勝利したときの記録を、
スキッパーだったラッセル・クーツが
書いた本をやっと手に入れ、
夜明け前の時間や仕事の合間に、
少しずつ読み進めている。
1994年、つまりカップ本戦の前年、
日本から挑戦したチームの
ほとんどトップの
重要ポジションにいた中枢メンバーが、
チームニュージーランドの挑戦艇、
すなわちNZL-32とNZL-38が
いかに遅いフネなのかを、
大笑いしながら語っていたことがある。
ラッセルの本は、
最初のテストセーリングから
速いことが分かったその2隻を、
どのようにして遅く見せるかに
チーム全員で知恵を絞り、
それが、いかに功を奏して、
彼らの2艇の速さを、
予選シリーズが始まるまで
隠すことができたか、
について
詳しく説明することから始まっている。
2000年の最後の挑戦のとき、
この本を読んだことがある
日本の挑戦組織の関係者が
果たしていただろうか?
少なくとも1999年の蒲郡と
オークランドでは
その話題は聞いたことがない。
「自分はその組織では下っ端だったし…」
なんていうことなど、
言い訳になどならないし、
それを言葉にすることは
とてもみっともない、
ということも承知している。
だけど、
勝ったチームのことを研究せず、
自分たちが負けた原因を深く追求しない
チームには、永遠に勝利は訪れないことも、
深く承知している。
どうしたらいいのかなあ。
悔しいなあ。
このまま死にたくないなあ。