それでも今日も海を見る。

2011年06月09日 | 風の旅人日乗

今日の日記のタイトルは、
震災からの復興に立ち上がった人たちを応援し、
また、現地に行けなくても、日本各地からその地域の人たちに
温かい心のメッセージを送りたいと願う人たちのためのサイト、
「復興の狼煙」ポスタープロジェクトの、
大槌町のおばあちゃんの写真に付いていた
言葉からいただきました。

津波ですべてを流された人たちが、
それでも、これからも海を見ながら暮らそうとしている。

ボクはいつか、そのことの役に立ちたいと願い、
日々の生活を優先させなければならない身として、
できる範囲ではあるけれど、
静かに準備を始めている。

津波に負けない心を取り戻した
勇気ある人たちが再び向き合おうとしているその海に、
放射性物質をたっぷりと含んだ
大量の高度汚染水が、今このときも
福島第1原発から流れ出している。


御自分たち自身の慢心が起こしたこととはいえ、
福島第1原発の現場で、事故の収拾のために
御自分の身体を危険に晒して踏ん張っている人たちには、
これ以上何も言うことができないが、
どうか、どうか、
未来の世代のために、
これ以上地球の海と大気を汚さないよう、
最大の努力を続けて欲しいと祈る。

次世代日本人のこと、すごく大切だよね。

2011年06月08日 | 風の旅人日乗
昨日は、天気図からはまったく風が期待できないコンディションの中、
奇跡のような東風が、
新西宮ヨットハーバーと一文字防波堤の間の海面に
2時間だけ吹き、最高のセーリングを堪能。

その詳細は、ちょっと落ち着いてから報告することにして、
本日の日記では、過去の歴史を学ぶことにしたい。
過去の悲劇を教訓にすることができなければ、
その悲劇を繰り返してしまう、ということを、
肝に銘じようと思う。

松本市の市長であり、甲状腺専門の医師でもある
菅谷 昭氏のお話です。
これから5年後の2016年以降に、
日本の未来を背負う子どもたちの何割かが
襲われる可能性が高い、辛い事態についての話です。
次世代日本人の健康について興味のある方だけ、
お読みください。

関西2日間

2011年06月07日 | 風の旅人日乗
日曜日の小型ヨットでのセーリングによる筋肉痛が、
昨日から続いている。
同じセーリングでも、艇によって、
使う下半身の筋肉が微妙に異なる。
いつもトレーニングを続けてなきゃ、イカンな。

さあて、その筋肉痛を携えたまま、
今日はこれから始発の横須賀線に乗って、
2日間の関西と四国へのセーリング出張へ。

きっと今回の西行も、きっと楽しいぞ。

美味しんぼ

2011年06月03日 | 風の旅人日乗
横浜で午前中の用事を済ませると
まだお昼まで時間があるのに腹が減り、
目の前にあった中華食堂に入る。

なるべく野菜を多めに食べようね、と
タンメンと半チャーハンのランチセットを注文して、
テーブルの下の漫画週刊誌を取り出し、
『美味しんぼ』がまだ連載中だったので、
懐かしくて読んでみる。
なんと、
究極のメニューと至高のメニュー対決がまだ続いているではないか。

客がまだほとんど入っていない時間帯だったので、
注文の料理が届いた後も、それを食べながら、
行儀悪く『美味しんぼ』を読み続ける。

ご飯をいただくときには、
食べ物に感謝して、お行儀よく、
よく噛んで、
きちんとした姿勢で食べなさい、なんて
朝怒ってきたばかりの子どもたちには
絶対に見られてはならない姿だ。

漫画の中の究極と至高対決は、、
日本のお米や野菜や果物やお茶っ葉の中に
農薬など身体に悪い化学物質がどれだけ残留しているか、
なんていう話になっている。
こういうテーマでどういう対決が展開されているのかは
解読不可能だったけど、

対決のほうはともかく、
欧米諸国の基準と比べて
日本の通産省が農薬などにどれだけユルイ基準値を設定し、
日本人が、子どもを中心にどれだけヒドイ健康被害を受けているか、
について、
それらを比較する、頭が痛くなるような数字が
各コマにズラリと並んでいる漫画を読んでいるうちに、
それまで美味しく思えていたタンメンとチャーハンが、
だんだん喉を通りにくくなってきた。

そうだった。
日本という国を運営している人たちが
第一優先としてずっと貫いてきているのは
国民一人一人の命ではなく、国全体の経済なんである、
ってことを、つい最近勉強したばかりじゃないか。
もう忘れてた。

しかし、そのことを思い出すのは、
農薬たっぷりの野菜と米を、
美味しく感じながら食べているとき以外にすべきだった。
深く反省。

子どもたちには、これからも自信を持って厳しく伝えることにしよう。
「ご飯を食べながら漫画なんて読んだら、絶対にダメだぞ」


左脳と右脳

2011年06月02日 | 風の旅人日乗
個人としてツイッターの輪の中にいることに
とても居心地の悪さを感じる自分は
現代においては時代遅れ、
あるいは欠陥品なのかも、という、
なんとなくソワソワした思いを
いつも頭の片隅にたずさえているからか、
何の気なしに覗いた、
糸井重里さんと養老猛司さんの対談の中の、
糸井さんの言葉に引き寄せられた。

 糸井重里さん
  ツイッター文化に慣れてくると、
  最後は、瞬発的な悲鳴の
  連続になっていくんですね。
  で、圧倒的にそっちが強いんですよ。
  ロジックをしゃべろうとする人は
  そこに嫌気が差しちゃうんです。

あ、そこ、そこ、って感じ。

で、最初から、じっくりとお二人の話を読んでみる。

ふーん、そうなんだ、
これにも、左脳と右脳の問題が関わっているわけですね。

ツイッターに馴染めないのは個性であって
どうやら欠陥ではなさそうだと安心し、
しかーし、頭が固い、ってのは
自分自身に望んでいる理想ではないなぁ、と
身もだえしつつ、
仕事に戻る夜明け前。

お二人の対談『雑談編』に興味のある方は、
こちらからどうぞ。
前3回分も面白いですよ。