法解釈は学問的には曖昧である部分も多々あるだろうが、裁判での結論は必ずどちらかに決せられる。政治の世界では危険だとされる二元論的区分は、法の世界では常時行われる。「賛成か、反対か」ということに似ていますが、「合法か、違法か」のどちらかの答えが導き出されます。これが恐ろしく危険ということではないのですが、「有罪か、無罪か」「合法か、違法か」という判断は困難でありながらも、問題解決には必要なことなのだろうと思います。特に、人間の数が多ければ多い程、価値判断などの多様化によって意見が分かれてしまうのですから。
かつての「消費税導入、賛成か反対か」という、誠に分かり易い二元論的な選挙後には、どのような危険が待ち受けていたのか、よく分りません。政治的には、ヒトラーのような政治家を生み出したとは思いませんけれども。
「郵政民営化、賛成か反対か」という二元論的選挙と、「消費税導入、賛成か反対か」という過去の選挙との大きな違いはよく分りません。選挙制度が当時とは変わってしまっていますけれども。「まるでヒトラーのようだ」などと比喩を用いる人々も存在しますが、それは、問題分析的には、人物に原因を求め、制度・ルールに原因はない、ということを言っているのでしょうか。ニッポン放送株買収問題の時に起こった議論と少し似ていますね。「(実行しようとする)人間に原因があるのだ、人間性の問題だ」
「賛成か、反対か」
それに似ているのが、最高裁裁判官の国民審査です。この人を「信用できるか、できないか」というような二元論的判断を有権者に求める訳です。多くの国民は、その裁判官がどういう人か、などということは知ることもないでしょう。また、行政裁判で常に「国側」勝訴の判決を書いていたとか、その裁判や判決の持つ意味についてもよく知らないことの方が多いだろうと思います。それは判断するべき情報を持たないとか、そのような情報には興味も持たないことが多いからだろうと思います。
それにも関わらず、裁判官として適切か否かを○、×によって決する、という二元論的儀式が行われるのですね。司法権の信頼性が多くの場合に問題とならないのは、国民生活がそれによって危険に晒されることが滅多にない(無縁で一生を過すことが大半?かな)、違憲立法審査が要求される場面は政治的には余り存在してこなかった、法は難しいので多くの人々に関心がない、などが考えられるでしょうか。それと、司法の体制側の努力もあるかもしれません。国民の信頼を損なわないような努力をしてきたのかもしれません。私には、そこまで判断できる能力も情報も持ち合わせていませんけれども。
そのような訳で、「多分、皆大丈夫だろう」という暗黙の合意があって、国民審査で不信任となった裁判官は存在してこなかったのだろうと思います。殆どの人々は、何も考える事もなく「適当に」信任を与えてきた、ということです。勿論私も例外ではなく、いつも信じていましたし、一度も×をつけることもなく投票してきました。これがどのような危険を生んできたのかは、私には分りません。実情がどうなのかは、私には知らないことも多いですが、政治的な影響力は明らかな形で働いてはこなかった(裁判官個人のレベルでは、色々とあるのかもしれませんが全体としては総じて問題ないのかな、という意味で)、と多くの国民が思っているからなのかもしれないですね。そういう意味では、裁判官は信頼されている、ということなんだろうと思います(以前、全員×にした、という人の話を聞いたことがあります。「自分が×を付けても大丈夫だろうが、どうなるか試しに×にしてみた」ということでした。こんな人達が偶然重なって、うっかり不信任となったりしないのでしょうか)。
司法権と立法・行政権の権力の強さや優位性というのは学術的にはどうなっているのか知りませんけれども、建前上は均等ということだろうと思います。国民審査のような二元論的判断で、司法にある種の「白紙委任」を与えてきたことが非常に危険であるということについて、これまでの国民審査で大問題とされてきたかどうかは知りません。ですが、殆どの人々にとっては、特に問題とはなってこなかったのかな、と思います。
例えば、私が×をつけなかった裁判官が、今後「米軍基地問題」についての行政裁判でどういう判決を出すか、ということなど全く予想出来ない訳ですが、分らないのに信任の判断をしなければならないのです。立法府の作るトンデモナイ法案についての違憲立法審査で最高裁の裁判官達が正しく判断出来るかどうかなんて、一般国民には判る訳がないのです。それでも、審査しなければならないのです。○か×しかないのですから。ルール上は、国民が選出した立法府由来の内閣が指名(天皇が任命)し、その裁判官を審査する訳ですから、この制度の信頼性が著しく低く権力暴走の危険性があるということは、立法府の議員を選出する場合と同じ危険性のレベルであるように感じます。こうした司法権についての危険性(?)が、現在非難の対象とされている行政権や立法権と同様に世の中に訴えられてもよさそうですが、見かけたことはありません。これら権力の違いについては、私の理解不足なんだろうと思いますが。
前置きが長くなってしまいましたが、陸軍機密費さんから前の記事(
経済官僚って何処の人?)に頂いたコメントについてですけれども、答えは正直私もよくわかりません。今後の判決で、この人はトンデモナイ判決を書くだろう、とか、行政にばかり有利な判決を書くに違いない、などということが予想出来ないからです。過去の判決にしても、裁判官歴が長ければ判断材料になりますが、全く書いていない人もいる訳で、その人も含めて判断するということになれば、やはり「信頼できそう」くらいしか材料がないようにも思います。はっきり言って、基準も何も分りません。
やはり各個人の判断基準で、選んで頂くしかないかな、と思います。
参考までに、先日の時事通信の記事にアンケートがありましたので、一助として挙げておきます。元の記事が、何故か3つにバラされていますので、リンクも別々です。
Yahoo!ニュース - 時事通信 - 6裁判官にアンケート=国民審査
Yahoo!ニュース - 時事通信 - 6裁判官にアンケート=国民審査
Yahoo!ニュース - 時事通信 - 6裁判官にアンケート=国民審査
最高裁裁判官6人の略歴と関与した主な裁判、国民審査に当たって実施されたアンケートへの回答は次の通り(告示順、年齢は11日現在)。
質問は、(1)「裁判官は世間知らず」との批判や、「社会に情報を発信すべきだ」との指摘をどう思うか(2)死刑制度をどう考え、どう臨むか(3)憲法改正論議をどう思うか。また、望ましい国際貢献のあり方は-の3点。
▼古田佑紀氏(ふるた・ゆうき)=最高検刑事部長、次長検事を経て05年8月就任。北海道出身、63歳。
就任後日が浅く、関与した裁判は特になし。
(1)司法を身近なものにするには法曹が全体として対応することも必要。裁判官は少なくとも個別の事件に関しては裁判の中で述べるべきだ。
(2)国民の選択に委ねられるべきもので、裁判官の立場での意見は差し控える。
(3)最高裁判事の立場での意見は差し控える。
▼中川了滋氏(なかがわ・りょうじ)=元日弁連副会長、05年1月就任。石川県出身、65歳。
連日ラジオを大音量で鳴らし続け、隣人に頭痛などを起こした行為が傷害罪に当たるとした決定に関与(05年3月)▽入院中の患者を退院させ放置した「ライフスペース」元代表に対し、不作為の殺人罪の成立を認めた決定で裁判長(同7月)。
(1)裁判官である前に一市民であるべきで、広く人と交流することを心掛けるべきだと思う。
(2)国民が決めるべきことで、終身刑の是非も検討されてよい。現行法では適正な運用に努力するほかない。
(3)タブー視せず、大いに議論すべきだ。国際貢献も同様であり、結局は国民の総意で決める事柄。
▼堀籠幸男氏(ほりごめ・ゆきお)=最高裁事務総長、大阪高裁長官を経て05年5月就任。東京都出身、65歳。
薬害エイズ事件ミドリ十字ルートで、歴代社長2人の実刑判決を支持した決定に関与(05年6月)▽貸金業者に取引履歴の開示を義務付けた判決に関与(同7月)。
(1)裁判官は分かりやすい裁判、親しみやすい裁判の実現に努力すべきだ。
(2)わが国の歴史、文化、国民感情を踏まえ、最終的に国民が決定すべき問題なので、意見は差し控える。事件に臨む際は、実務の積み重ねによる基準と裁判官としての良心に従い判断する。
(3)極めて政治的色彩の濃い政策論議であり、意見は差し控える。
▼今井功氏(いまい・いさお)=仙台高裁長官、東京高裁長官を経て04年12月就任。兵庫県出身、65歳。
大学病院の研修医は労働基準法上の労働者に当たるとした判決に関与(05年6月)▽岐阜県可児市議選の電子投票トラブルで、選挙を無効とした判決で裁判長(同7月)
(1)誤解に基づく批判もあるが、謙虚に受け止め各自が自己研さんに努めるべきだ。実情を理解してもらうため、情報発信の努力をすべきだ。
(2)国民の意見に従うべきだ。事件に臨んでは、慎重の上にも慎重な検討を心掛けている。
(3)最終的には国民が決めることだが、現行憲法の運用状況を検証した上での議論が望ましい。
▼津野修氏(つの・おさむ)=元内閣法制局長官、04年2月就任。愛媛県出身、66歳。
水俣病被害で行政責任を認めた「水俣病関西訴訟」判決に関与(04年10月)▽東京都の管理職試験国籍制限を合憲とした大法廷判決で多数意見(05年1月)
(1)大多数の裁判官には当てはまらない批判と感じる。裁判官の立場をわきまえて、一般的な事柄への意見は積極的に述べてもよい。
(2)国民が最終的に決める問題。最高裁裁判官としては、回答は差し控えたい。
(3)戦後60年、改正問題を含め、憲法に関する議論が活発になるのは当然。自衛隊だけでなく、それ以外の貢献も含めてあり方を考えていくべきだ。
▼才口千晴(さいぐち・ちはる)=東京弁護士会副会長、法制審議会倒産法部会委員を経て、04年1月就任。長野県出身、67歳。
結婚していない男女の間に生まれた非嫡出子の遺産相続分を、嫡出子の半分とした民法の規定をめぐる訴訟で、「違憲」の反対意見(04年10月)▽NHK番組をめぐる名誉棄損訴訟で、放送法に基づく訂正放送の実施は、裁判では請求できないとした判決で裁判長(同11月)
(1)世間知らずは専門家の特性であり、裁判官に限らないが、自己改革は必要だ。国民との「距離」は国民の司法参加から縮小を図るべきだ。
(2)国民の選択に委ねる問題。死刑事件には真剣、慎重に臨む。
(3)国民的議論とグローバル感覚の高揚が必要だ。