「二の丸」(衆院採決)攻めの前に、官邸側が施した工作が実はあった。それは道路公団であった。当然、抵抗勢力の象徴的な存在であったのだが、ここへの集中攻撃によって政官への強い見せしめを行い、郵政族の策動を封じる意味と、国民の怒りを高めることで支持を固めるという意味合いもあったのだ。公取は昨年から動いていたが、本格的な告発を行う前の準備が検察と共に、地道に進められていたのだ。ここを動かしたのは政治的ということではないが、少なくとも暗黙の「ゴーサイン」は出ていた。小泉が首相に就任して以降、官邸からの要請で強化に取り組んできた公取の腕の見せ所なのであった。道路公団を攻めることは、政官業癒着構造の典型例なので、霞ヶ関を恐怖に陥れることでもあるのだ。結果的に、天下り問題、とりわけ「公務員問題」をクローズアップさせることに成功したのだった。「官」に敵方が潜んでいる、この認識は後に非常に重要なものとなるのであった。
「二の丸」陥落後、籠城組である民営化反対派は民主党との共同歩調をとり、また政治的野心旺盛な連中は「ポスト小泉」を睨んで本丸攻めを頓挫させようと画策していた。元々8月5日に予定していた参院採決は8日に延期された。反対派議員たちの説得工作、切り崩しが間に合わない、というのが執行部の読みで、青木・片山をはじめその他執行部も総動員しての交渉が続けられていた。
最も注目されていたのは、中曽根議員の動向であった。彼は偉大な父康弘を持つ2世議員であったが、その影響力は報道関係者達からも採決の行方を左右すると目されていた(比例名簿から父を外した小泉総理への復讐か、とも取りざたされていた)。ギリギリまで、意思表示はなかったのであるが、遂に5日には「反対にまわる」と表明し、一気に否決へと流れが傾いていった。他の参議員達も同調すると表明し、数的には反対表明者が16人に達していた。このままでは、否決は確実だろう、内閣は総辞職の道しかない―それが永田町界隈の常識となってしまった。
「本当に解散なんて出来るのか?」「出来る訳がない」「玉砕覚悟なんて無茶苦茶だ」
この時、小泉の深慮遠謀を見抜くことが出来る関係者達は、誰もいなかった。
また、「目指せ!打倒小泉」軍団は、高をくくっていたのだ。一度大勝負に勝てば、相手は立ち上がれないはずだ、二度と立ち向かえまい、という短絡思考しか彼らは持たなかった。それは「勝利を確信した時」に生ずるまさに陥穽そのものであった。衆院で反対票を投じた連中は、水面下で隠密行動をとりながら工作を行い、参院での反対票を積み上げていったのだった。
官邸周辺でも、小泉首相の「解散封じ」を演出する人々が活発に動いていた。青木、片山は勿論のこと、中川国対、武部幹事長、公明党神崎代表らが連日意向確認に訪れ、「解散を思いとどまらせることは出来ない」と報道陣にアピールし続けていた。そして、最後には福田、森という、小泉に非常に近い人物が小泉の下に足を運んだのだった。そして最後のパフォーマンスは、例の森前総理の芝居だった。「オレもさじを投げた―」
これは反対派への最後通牒でもあったのだ。
決戦を月曜に控え、静かに週末の夜が過ぎていった。
小泉は、参院での否決がほぼ確実だろうと思っていた。それは、造反議員たちが勝利への確信を強めていることが明らかであったからだ。自分が総裁に就任した時の事を、1人で思い出していた。
大衆が俺を担いでくれたのだ。そして今でも担いでくれると信じられるかどうかだ。俺の役目は、派閥政治を破壊することだ。郵政に巣くう族どもを自民党から叩き出すことだ。そして、利権を貪る族どもを一緒に葬り去ることだ。大衆が俺を担いでくれる限り、きっと出来るはずだ。俺は勝てるのか?いや、必ず勝てる。あの時に解散に踏み切れなかった橋本さん(当時の総理)は、多分信じられなかったんだ、国民の力を。戦わずして負けるくらいなら、生き延びる意味などない。死んだ方がましだ。俺は、あの時決めたのだ、伝家の宝刀でバッサリ切るのだ、と。首相である俺の手には、伝家の宝刀がある。行く手を遮る者達がいたら、必ずこの宝刀で一刀両断すると誓ったのだ・・・。今がその時だ。来るなら来い。死をも恐れぬ覚悟がある。解散で、彼奴等は狼狽し、泣きを見ることになるだろう・・・。
7日深夜、執行部に集められた情報では、否決が濃厚の状況だった。青木・片山は、「解散も止む無し、だな」と諦め、衆院には口出ししない、と約束していた。また、党三役では、選挙に向けて執行部の一致協力を確認していた。造反者達には、処罰を与えることになるだろう、と。そしてそれは、参院への強力な締め付けになるはずだ、と。一部には解散慎重論もあったが、「行ける所まで行くしかないな」という雰囲気に固まっていた。「小泉総裁をお守りするのが、我々の役目だ」「幹部からは、解散支持一本で行くぞ」
翌、8日。報道陣は、固唾を呑んで情勢を見守っていた。政治担当の人々は、「否決間違いなしだそうだ」という情報が流れていて、次の総裁候補が誰になるのか、ということに関心が持ちきりとなっていた。「やっぱり旧橋本派から出るのか?」「亀井・平沼連合が仕切るんじゃないか・・・?」「最後はその2人で決戦投票?・・・」「若手は安倍を担ぐだろう・・・」「麻生さんも前に出てるしな・・・」
参院本会議場では淡々と議事が進行し、いよいよ採決への手続きがとられていった。閣僚達は、採決が始まる前にやや興奮した面持ちで、採決開始を待った。遂に最後の決戦を迎えたのだ。今までの激戦を制してきたのは、攻め方である政府側であった。だが、今回の決戦は、予想以上に抵抗が厳しく、揃って「討ち死」するかもしれぬ。そんな重苦しい空気が、閣僚達の中にもあったのだった。
午後1時半。投票順に議員の名前が呼ばれ始めた。公明党、自民党、・・・何人もの議員達が名前を呼ばれ、票を投じていく。時折、「青票」を投じる造反議員達がいると、場内からは「うおー」という歓声が上がった。小泉首相はそうした光景を、口元に心持ち皮肉な表情を浮かべながら見守っていた。軍師竹中は、身じろぎもせずに、困惑のような固い表情のまま、反対派議員達が浮かれて盛んに笑ったり、手を叩いて喜んでいる様を、軽蔑の眼差しで眺めていた。谷垣や麻生は、いつもの渋面のまま、口をきつく結んで見守っていた。
票を入れるケースには、いくらか反対票が溜まったようだったが、どれ位入っているかは遠目には判らなかった。続いて、民主党議員達は、次々と青票を投じていった。票を受け取る国会職員は、一定のリズミカルな動作で票を積んでいった。先程の自民党の時のように、青と白が入り混じった状態ではなかったので、同じ動作を続けるだけでよかった。票を入れる場所を分ける必要がなかったからだ。最後の議員の名前が読み上げられた後、投票は少しの間だけ続き、最後の票が手渡されたのを確認すると、扇参院議長は「以上で、投票を締め切ります。これより、票数を確認いたします」と宣言した。
長い長い時間であった。2人の国会職員は、票を入れたケースの中で、20票の山と5票の山を幾つか作って山の数を数えていたが、2人の山の作り方に違いがあって、片方は低い山が幾つも出来ていた。一体どちらが多かったのだ―?よく見えない・・・その為、議場は誰もが一言も発することなく、国会職員の手際の悪い作業を1分間程、瞬きもせずに見守った。小泉や竹中も同様に、体を半身にして左側を向き、動作の遅い職員の手さばきを見つめていた。国会職員達が、互いに頷き、確認終了を示した。扇議長に結果が手渡された。
「ただいまの採決の結果を発表致します。ハクショク票108票・・・・・・・・・・・・セイショク票125票、よって本法案は否決されました」
(この少しの間に、これが否決ライン到達なのか、議員達には咄嗟に判らなかった。それ故、彼らは息もせずに次の言葉を待った。微妙に0.7秒くらいの間があったのだ。さすが元宝塚のタメを作った言い方だった)
ぐうオー、という大きな歓声と共に、一部に万歳の声が聞えた。廃案が決まった瞬間だった。
うなだれる議員や喜びを爆発させている議員達を冷ややかに観察する議員達もいた。
小泉首相は、無表情のまま、意を決したかのようにすっくと席を立ち、足早に議場を後にした。軍師竹中は、しばらく席に座ったまま、一度天を仰いで心の中で何か呟いたようだった。「バカなことを・・・この苦労は誰にも分るまい・・・一体何の為に時間をかけ、苦労を積み重ねてきたのか・・・否決されてしまうなんて・・・」
徒労に終わった時の脱力感に似ていた。竹中は、上気した体温でいつもより温まっていたイスを、直ぐにはタケナカった。いや立てなかった。右手をとなりのイスの背もたれに置き、無意識に舌なめずりをしながら、どこか一点を見つめていた。
執行部の幹部達や公明党幹部達が集められ、”準備の通り”解散が確認された。「プランB」の発動であった。それは「粛清プラン」でもあった。最後の警告を無視して「プランA」を拒否したのだから、当然の帰結なのであった。小泉首相は、「では解散します。閣議にはかりますので、みなさん宜しくお願いします」と手短に告げ、閣議へと部屋を出た。残された幹部達は、暫し会話を続けた。
「全くバカなことをしてくれたなー」
「彼らには、分らなかった、ということでしょう」
「選挙で頑張るしかありませんから、まあ、お互い頑張りましょう」
「忙しくなりますよ。お盆はないですからね・・・」
部屋を出る時には、何故かみんな笑顔だった。
3時からの閣議では、解散が小泉から告げられた。異を唱える閣僚がいないか細田官房長官が確認した。麻生、村上、島村大臣たちが解散は慎重であるべき、という意見を述べた。小泉は「全会一致でないと・・・。では、お1人ずつお話しましょう」と述べ、別室に呼んで話すことになった。「では、麻生大臣、どうぞ」細田が、麻生を部屋に招き入れた。麻生は小泉といくらか話をしたが、固い決意の小泉が決して翻意しないことを熟知していたので、「判りました。首相の責任で解散する、と仰るならば仕方がないでしょう。但し、自民党に傷が付くことは、私としても忍び難いのです。自民敗北の時は、その責任をお取りになるのでしょうね?」と確認した。すると小泉は「負ければ責任を取る。当然です」と答えた。村上大臣も似たような話をしたが、小泉の決心を変えさせることなど出来ないし、諦めざるを得なかった。そして島村大臣が呼ばれた。
「私は解散には賛成出来ない。それが私の信念です。政治哲学は変えられないのです。首相には首相の哲学があるのと同じように、です。」島村は心の奥底にある、自分の考えをありのまま告げた。小泉は笑顔で答えた。「政治家には哲学が必要です。私はどうしても解散をしなければならないのです。それを判って下さい。そして、この意味も」
「私は自民党の議員として、首相の解散を止める義務があると思っています。この解散はするべきではない、それが信念です。認められないのならば、辞表を提出します」
「わかりました」
細田が後を続けた。「では罷免という形になりますが、宜しいですか?」
「ええ、どうぞ」
島村大臣の罷免となって、再び閣僚を招集し、解散決定の署名をそれぞれ行った。
そして、衆院は解散された。
参院採決は、本格的な攻勢である「夏の陣」の序章となった。
法案否決によって、一度は撤退を余儀なくされた形の政府であったが、これも実は小泉が待ち望んでいた「伝家の宝刀」を用いる絶好の機会に過ぎなかったのだ。本丸を目の前にして、敗退したのは、強力な城の外に―大衆の前に―敵を誘き出すチャンスとなったのである。小泉は思い巡らしていた。
敵方は、「勝った、勝った」と大喜びで、我を忘れて浮かれている。民主党も援軍に駆けつけて、反対派の連中と共に行動したことが、後々大きなしっぺ返しを食らうはずだ。何故なら、この本丸を攻めていたのは「小泉自民だけ」だった。民衆がこちらにつけば、敵方ははっきりしている。
自民が民衆側に立つということは、他は全部「民衆の敵」だ。
それで戦って、負けることはない。
民衆は必ずこちらの味方となるはずだ。
今、この時こそ、まさに好機到来。
これで、ただの降伏、城の明け渡しでは済まされなくなった。
抵抗勢力は墓穴を掘ったのだ・・・城を明け渡せば、政治生命まで取られずに済んだものを・・・
8日夜、小泉首相の歴史に残るであろう、演説が行われた。
悲壮なまでの覚悟を、本丸攻めへの協力を、国民に示したのだった。
心を揺さぶる演説であった。
郵政決戦に備ふ(雌伏編)
郵政決戦に備ふ(決起編)
郵政決戦に備ふ(激闘編)