新・定年オジサンのつぶやき

残された日々をこの世の矛盾に対して勝手につぶやきます。
孫たちの将来に禍根を残さないよう、よき日本を「取り戻したい」。

憲法こそが「水戸黄門の印籠」

2020年11月07日 11時34分51秒 | 菅義偉

トランプ大統領は以前から米国内のメディアで自分を批判するニュースはすべて「フェイクニュースと切り捨てるような非常識人間なので、特に敗北が濃厚になってきた会見では根拠のない自分に都合のよい内容を多垂れ流している。 
 
ニューヨーク在住ジャーナリスト、編集者でもある安部かすみは、現地レポートを精力的に「YAHOO JAPAN 」に投稿しており最近では米国大統領選挙に関しては「トランプ側」に偏っているような記事が多い
 
したがってこんな批判が発せられていた。


もっともヤフーニュースより酷いのがNHKニュースかもしれない。

一方米国内のメディアのこんな振る舞いが日本のメディアとの大きな違いを見せつけている。

日本にはさらにこんな記者も存在する。

せめて日本の大手メディアならば、こんなファクトチェックをするべきであろう。

まあ、米国大統領選挙は海の向こうの国のことだから日本には関係ないと思っている人も多いのだが、どんな輩が大統領になろうとも残念ながら日本はまだまだ米国の属国であることは、大統領に当選した直後に「世界で一番先」にトランプタワーを訪問した安倍晋三のシッポの振り方を思い出せば歴然としている。
 
さて、国内に目を向ければ相も変わらず菅義偉の答弁の迷走が続いていた。
 
そんな菅義偉に助け舟を出したつもりの昭和初期生まれの自民党の長老がこんなことを口走っていた。
 
伊吹氏「学問の自由は印籠か』」 
自民党の伊吹文明元衆院議長は5日の二階派会合で、日本学術会議の会員任命拒否問題に関連し「学問の自由と言えば、水戸黄門の印籠の下にひれ伏さなくてはいけないのか。憲法は、自由は乱用してはならないと定めている」と述べ、学術会議側をけん制した。学術会議の会員は特別職の国家公務員だと指摘し「一方的に政治的な声明を出すとか、学術会議の肩書で政治的な発言をするのは自粛しないといけない」と強調した。
 任命拒否した菅首相について「心中を忖度すれば、政府の一組織である者には、一方的な意見公表は自重してもらいたいと。人事を含め考えたという気持ちだったのではないか」と語った。

 
学術会議自体を批判して、またもや根本的な論点ずらしをしたのだが、むしろ「やぶへび」になった感が強い。

過去に「違法寄附金受領問題」とか「収支報告書誤記載」、「違法献金受領問題」、さらには「大規模な政治資金パーティ」開催など不祥事には事欠かなかった伊吹文明だが、最高顧問を務める二階派(志帥会)の例会では、「法律で許されても、やってはいけないことがある。伝統的な定めや道徳というものだ。これをしっかり持っていないと、人から後ろ指を指されたり、法律で罰せられないが『お天道様の下を歩けない』などと言われることになる」と役に立つ講話をしていた長老であったが「印籠」が使われる相手を見誤ったらしい。
 
しかし、長老にせっかく助け舟を出してもらった菅義偉だったがまたもや墓穴を掘っていた。
 
17年には学術会議側と事前協議 首相、候補者の推薦前に<任命拒否問題>
菅義偉首相は6日の参院予算委員会で、日本学術会議の新会員任命に関し、会員の半数が改選された2017年には、同会議が候補者を推薦する前に、政府との間で事前協議を行ったことを明らかにした。
 事前協議について、首相は「任命にあたっての(政府の)考え方を話し、意見交換を行った」と説明。加藤勝信官房長官は「意見交換を踏まえて学術会議が自身の判断で推薦名簿を出した」と述べた。
 日本学術会議法は会員の人選について、同会議の推薦に基づき、首相が任命すると定める。質問した共産党の小池晃書記局長は「(推薦への)政治介入そのもので、学術会議の独立を脅かしている」と批判した。
 首相は前日の5日の参院予算委で、20年の会員任命では事前協議がなかったと説明し「推薦前の調整が働かず、結果として任命に至らない者が生じた」と主張した。(山口哲人)
◆除外の理由かたくなに説明せず、拒否の根拠も不明確なまま
 6日まで4日間にわたった衆参両院の予算委員会は、日本学術会議の新会員任命拒否問題が主要な論戦のテーマになった。会員の人選を巡る背景や経緯で判明した部分もあるが、菅義偉首相は6人除外の理由をかたくなに説明せず、任命を拒否できる根拠も不明確なままだ。
   
 「人事に関することなので答えは差し控える」
 首相は答弁でこのフレーズを連発した。6人が安全保障関連法など、政府の政策に異論を唱えていたこととの関連性は否定したが、任命拒否の理由についてはゼロ回答に終始。立憲民主党の枝野幸男代表は「壊れたレコード」と皮肉った。
 一方、人事の検討過程の一端は明らかになった。首相は会員の半数が改選された2017年、学術会議が推薦リストの提出前に政府と事前協議を行ったと説明。「今回は推薦前の調整が働かず(6人の)任命に至らなかった」と述べ、官邸側の意向を聞き入れなかった学術会議に責任があるとの認識をにじませた。
   
 除外する6人の人選が、首相ではなく杉田和博官房副長官を中心に進められたことも浮き彫りになった。首相は審議で、当初の105人の推薦リストを見ておらず、除外した6人のうち5人の名前や業績も知らなかったと認めた。これに対し、杉田氏は最終的に任命した99人のリストを作成する前、会員構成の偏りなど首相の問題意識を踏まえ、内閣府と協議していたことが判明した。
 日本学術会議法は首相を任命権者と定めている。官僚が実質的に判断していれば、任命権を形骸化させかねない。野党は「杉田氏に6人を削れる権限はない」(立民の蓮舫参院議員)と反発し、国会招致を要求。内閣府との協議内容を記録した内部文書の公開も求めたが、政府・与党はいずれも応じなかった。
 首相の任命拒否の根拠も焦点になった。1983年に会員の選考方式を選挙制から任命制に変えた法改正時の国会審議で、当時の首相や担当閣僚らが、首相の任命権について「形式的にすぎない」という答弁を繰り返していたからだ。
 今回、政府が任命拒否を正当化するのに持ち出した「推薦通りに任命する義務があるとまでは言えない」という見解について、首相は「(83年から)一貫した考え」と主張した。しかし、根拠としたのは2018年に内閣府が内閣法制局と協議してまとめた内部文書。それ以前も同様の見解だったことを証明する記録や文書は示せなかった。
 共産党の志位和夫委員長は「2年前にこっそり解釈変更したことがはっきりした。法の安定性も何もなくなる」と批判した。

 
「壊れたレコード」レベルの答弁能力しかない菅義偉に対しては、この弁護士はこう諭していた。
 
権力は、憲法に定められた『学問の自由』という印籠の下にひれ伏さなくちゃいけない」のだ。」 
我が国の首相は、我が国の言語で会話する能力があるのだろうか。政治家に不可欠なコミュニケーションの能力をもっているのだろうか。予算委員会の質疑を聞いていると、まことに心もとない。質問の意味が理解できないのではないか。
官僚起案のとおりに発語する以外の答弁ができない。質問と答弁が噛み合っているのかいないのか、おそらくはまったくわかっていない。まことに「壊れたレコード」そのものなのだ。のみならず、民主主義や人権の理念を欠いてもいるようだ。
この人は、学術会議に対する政府の人事介入問題を理解しているのだろうか。ことの重大性が理解されているだろうか。質問する野党議員との間に議論が成立しない。本当に必要な議論は、学問の自由や、学術会議の自律性・独立性、権力が学問の自由に踏み込むことの危険についての議論にまで到達しようがないのだ。
憲法の「学問の自由」の趣旨、学術会議法の法意、歴史的な意味、今回の事件の萎縮効果、その影響の射程距離…。理念的な議論がこの人と成立するとは思えない。これが一国の行政府の長なのかと思うと、情けなくもあり、恐ろしくもある。
しかも、応援団がよくない。自民党の長老格に伊吹文明という人がいる。元衆院議長、この人がスガ首相応援のつもりで、「学問の自由は水戸黄門の印籠なのか」と言ったことが話題になっている。学術会議問題で、スガに代わっての「反論」ということのようである。
報道では、首相の学術会議会員任命拒否について「学問の自由と言えば、何かみんな水戸黄門さんの印籠の下にひれ伏さなくちゃいけないのか」と疑問を呈したという。
舌足らずな発言だが、この人、「学問の自由」尊重の姿勢のないことを広言して恥じない人なのだ。つまりは、憲法尊重の姿勢のないことを自ら吹聴しているということだ。
憲法上の一つの理念が、別の理念と衝突して、どちらを優越するものと考えるべきか悩まざるを得ない局面はあり得る。そんなとき、一方の理念だけの肩をもつことは難しく、「水戸黄門の印籠の下にひれ伏さなくちゃいけないのか」という疑問が出てくる場合も考えられる。
しかし、今回の事態はまったく事情が異なる。6人の研究者の任命拒否が、「学問の自由」「学術会議の自治」の侵害であることは明々白々である。それを正当化する論理は考え難い。「学問の自由」「学術会議の自治」と拮抗する憲法上の理念や価値がおよそ想定しがたいからなのだ。正当化の論理は、スガの口から説明すらできていない。
こういうときは、まさしく、憲法こそが「水戸黄門の印籠」なのだ。「権力は、憲法に定められた「学問の自由」という印籠の下にひれ伏さなくちゃいけない」のだ。それが立憲主義である。それが法の支配というものだと言ってもよい。
実は、水戸黄門は御三家の一つ水戸家の隠居。葵の家紋の印籠は、徳川幕府の権力と権威の象徴なのだ。だから、伊吹議員の比喩は、ややトンチンカンではある。しかし、近代社会では、「憲法こそが、越後屋と結託した悪代官を懲らしめる印籠である」点では、正鵠を射たものと言ってもよい。
この場合、「越後屋」とは大資本であり、とりわけ軍需産業である。そして、悪代官とは、政治権力であり、とりわけアベスガの憲法ないがしろ政権のことである。軍需産業もアベスガ政権も、平和憲法を尊重しなければならない。
また、伊吹議員は、「一方的に政治的な問題に声明を出すとか、学術会議の肩書を持って政治的な発言をすることは自粛しないといけない」とも語り、学術会議が2017年に軍事研究に反対する声明を出したことなどを批判した、とも報じられている。批判を恐れてスガが口にできないホンネを代わりに語っている。
この文脈での「政治的な発言」とは、政権に批判的な発言という意味である。政権を批判する組織は人事で萎縮させろ、予算で締め上げろ、と言語能力に乏しい首相の肚の中を解説しているのだ。
しかし、スガも伊吹も大きく間違っている。権力にひれ伏す組織や人間ばかりでは、国家は間違うのだ。痛恨の経験から、我が国憲法と学術会議法は、わずか年間10億円の予算で、国家を再び誤らすことのないよう、自然科学・人文・社会科学の教えるところを聞こうというのだ。政権を批判するから怪しからんというのは、愚かこの上ない態度と知るべきである。

「言語能力に乏しい」菅義偉には何を言っても、「暖簾に腕押し」、「糠に釘」で「馬耳東風」なのであろう、とオジサンは思う。       

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 危機管理ができない菅義偉の... | トップ | 米国民のように選挙で独裁者... »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

菅義偉」カテゴリの最新記事