1990年代初頭からこれまでの約四半世紀、それぞれの階級で印象に残った選手を各階級3人ずつ挙げていっています。記載上のルールは各選手、登場するのは1階級のみ。また、選んだ選手がその階級の実力№1とは限りません。個人的に思い入れのある選手、または印象に残った選手が中心となります。
この「この階級、この選手」を始めるとき、「この選手については絶対に書こう!」と決めていた選手が何人かいますが、今回登場する選手はそんなボクサーの一人になります。
今回から新しい階級スーパーウェルター級になります。私(Corleone)にとってスーパーウェルター級といえば、この人、テリー ノリス(米)。1990年代に同級で3度、合計4つの世界王座を獲得し、一つの時代を築いた名選手でありました。
ノリスのニックネームは「Terrible/テリブル」、ここでは「恐怖」という意味になりますが、私がボクシングに興味を持ち始めた1990年代初頭のノリスは、まさしく恐怖の男でした。

(今回の主人公「テリブル」テリー ノリス)
1990年代初頭がどういった時代であったかというと、世界ヘビー級の頂点にはクルーザー級上がりのイベンダー ホリフィールド(米)が君臨。そのガッツあふれるファイトは好感を呼んでいましたが、「ヘビー級王者としては如何せん小さすぎる」というレッテルを貼られていました。ホリフィールドがヘビー級で本領を発揮したのは1990年代の半ばから後半にかけて。当時は老兵ジョージ フォアマン(米)やラリー ホームズ(米)に苦戦する頼りないヘビー級王者でした。
マイク タイソン(米)はというと、ヘビー級王座転落後順当に再起路線を歩み、ホリフィールドとの挑戦まで漕ぎつけました。しかし試合開催直前に自身のケガのために延期、そして婦女暴行疑いのために逮捕、刑務所送りとなってしまいました。結局ホリフィールドとタイソンの対戦が実現したのはタイソン復帰後。タイソンの全盛期が過ぎ去って数年後の事でした。
バルセロナ五輪で金メダルを獲得し、その後プロでスーパースターの座を築いたオスカー デラホーヤ(米)はまだまだアマチュア選手。その一時代前のスーパースター達、シュガー レイ レナード(米)、トーマス ハーンズ(米)等は引退寸前の時期。ではこの時代、だれがボクシング界の頂点に立っていたかというと、メキシコが生んだ生きた伝説フリオ セサール チャベス(メキシコ)になります。
チャベスは1980年代中盤から1990年代前半にかけ、スーパーフェザー級、ライト級、そしてスーパーライト級の王座を次々に獲得、そして吸収していきました。2018年現在、数名のボクサー達がプロデビューから50連勝を飾ったのがどうだのと騒がれていますが、チャベスのそれはその倍に近いものまで伸びていきました。一言でいえば怪物。その怪物の対抗馬筆頭に挙げられたのが、チャベスから見て2階級上のノリスでした。
当時は誌面で両選手の対戦が大きく上げられていました、「ノリスこそが無敵チャベスをストップできる選手だ」と。しかし冷静に考えてみると、両者が対戦するというのにはかなり無理がありましたね。理想的なスーパーウェルター級のノリスとライト級で全盛期を迎えたチャベス。実現が可能だったら対戦していたでしょう。しかし現実にはその試合実現への動きすらありませんでした。
さて、本題のノリスに話を向けます。ノリスがどんな選手だったかというと、とにかく動きが早くてパンチがシャープ。しかし打たれ脆いため、時々とんでもないポカ負けをする。勝っても負けても非常に印象に残る試合を見せる選手でしたね。
1986年の8月にプロデビューを果たしたノリス。米国・カリフォルニア州出身のノリスは、米国・西海岸を中心に順当に勝ち星を伸ばしていきます。デビュー2年後の夏には、当時出世争いをしていたデリック ケリー(米)に判定負け。その2戦後にはダウン中のジョー ウォーカー(米)にパンチを放ってしまい反則負け。この2敗はノリスにとっていい教訓になったでしょう。ただ、ダウンをしている相手にパンチを放ってしまう癖は、その後も彼について回ることになります。
世界王座獲得前のノリスが対戦した主だった選手には、後にWBCミドル級王座を獲得するクインシー テーラー(米)や、WBAスーパーミドル級王座を獲得するスティーブ リトル(米)が含まれており、ノリスは世界王者になる前からその実力を発揮していたことが分かります。それもその筈。ノリスのアマチュアでの戦績は291勝4敗という化け物のような結果を残してきたのですから。
ノリスが初めて世界戦のリングに立ったのは1989年7月30日。強打が売り物のWBAスーパーウェルター級王者ジュリアン ジャクソン(バージン諸島)に挑戦しました。初回はボクシング史に残る強打者をスピードで圧倒したノリス。しかし続く2回、ジャクソンの右に捕まってしまいました。ダウンを喫したノリスはカウント内に立ち上がるも、主審は試合続行を許さず。ノリスの世界初挑戦は僅か4分33秒で失敗してしまいました。その後元WBCウェルター級王者ホルヘ バカ(メキシコ)との敵地でのサバイバル戦に勝ち抜いたノリス。ジャクソン戦後3連勝(1KO)し再び世界戦のリングに立つチャンスに恵まれます。
ノリスの2度目の世界挑戦が実現したのは1990年3月31日。相手は1986年に当時無敵の世界統一ミドル級王者マービン ハグラー(米)に挑戦し、大善戦したジョン ムガビ(ウガンダ)。将来のスーパースター候補生が歴戦の勇に挑戦するという、ファンからすれば涎ものの試合が実現しました。そのファン待望の試合結果はどうだったかというと、ノリスが2分47秒の間に、そのシャープなパンチで古豪をバッタバッタと倒しまくりKO勝利。圧倒的なボクシングを見せ、世界のベルトを腰に巻くことに成功しました。
「恐怖の男」が、本当の世界の頂点の選手として認知されるのは、何といっても翌年1991年と1992年の大活躍の結果でしょう。その数年のノリスの活躍を4半世紀後に振り返って見ても、まったくもって素晴らしいの一言。まず1991年2月に、ニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデンであの伝説のシュガー レイ レナード(米)を、スピードで圧勝し保持する王座の2度目の防衛に成功。6月にはカリフォルニア州で、ウェルター級で一時代を築いたドナルド カリー(米)に何もさせずに中盤TKO勝利。その年の師走には、パリのリングで後のWBAミドル級王者ホルヘ カストロ(亜)に大差判定勝利。1992年2月には後のWBAスーパーウェルター級王者カール ダニエルズ(米)を9回で切り捨て、5月には3階級制覇を狙っていたスピードスター、メルドリック テーラー(米)をスビードとシャープさで上回り序盤でTKO勝利。この時期のノリスの活躍を振り返って見ると、なぜ彼が当時のパウンド フォー パウンドの上位ランカーの常連であったか納得出来ます。

(レナード対ノリス戦のポスター)

(英雄ノリス、新鋭ノリスに歯が立たず)

(カリー、カストロにも圧勝したノリス)
その無敵ノリスにも、敗れる日が訪れてしまいました。1993年師走に行われた元IBF/WBCウェルター級王者サイモン ブラウン(米)を迎えての11度目の防衛戦。ブラウン戦から見て過去数戦、自分のパンチの威力に自信を持ち過ぎていたノリスは、自身の打たれ脆さという弱点を軽視していた場面が見られるようになりました。その弱点を見事につかれたノリス。ブラウンの強打の前に沈み、4年近く守っていたベルトと決別することになりました。
しかし翌年5月に行われた両者の再戦では、ノリスが本来のスピーディーかつ安定したアウトボクシングを披露し、大差判定勝利。僅か5ヵ月で世界の頂点に返り咲きます。しかしそれから約1年半、ノリスはとんでもない疫病神にまとわりつかれることになってしまいました。その疫病神の名前はルイス サンタナ(ドミニカ)。一階級下のウェルター級の地域王座を取ったり取られたりしていた、安全パイ的な選手でした。
1994年11月、1995年4月、そして同年8月と3試合続けて対戦したノリスとサンタナ。今となれば笑い話ですが、ノリスからすればとんでもない失敗の連続でした。初戦では後頭部へのパンチでサンタナをKOしてしまったノリス。もちろんノリスの失格負け、王座転落です。再戦では3回終了時のゴング後のパンチでドミニカ人をKOしてしまったノリス。ここでも当然の如くノリスの失格負け。サンタナに初防衛を献上してしまいました。第3戦ではようやく冷静なボクシングを展開でき、2回TKOで無事勝利を収めることが出来たノリス。この第3戦目の試合内容こそ、2人の実力を表すものでした。ノリスにとってまさに道草以外の何物でもありませんでした。
ノリスが獲得した王座(獲得した順):
NABFスーパーウェルター級:1988年12月9日獲得(防衛回数2)
WBCスーパーウェルター級:1990年3月31日(10)
WBCスーパーウェルター級(2度目):1994年5月7日(0)
WBCスーパーウェルター級(3度目):1995年8月19日(6)
IBFスーパーウェルター級:1995年12月16日(4)
(*2団体王座の統一)
サンタナ戦後、ようやく再起動に乗ったノリスのキャリア。WBC王座の防衛回数を伸ばしていくと同時に、IBF王座を吸収することに成功。1997年師走に、伏兵キース ムリングス(米)にまさかのTKO負けを喫し世界王座と決別。その後、WBA王座に挑戦し世界王座3度目の返り咲きを目指しましたが失敗。その試合を最後に現役からの引退を発表しています。終身戦績は47勝(31KO)9敗(4KO負け)。全56試合の内、メキシコで4試合、フランスで3つの試合を行っています。ノリスのキャリアを振り返って見ると、ノリスとの対戦以前に世界王者だった選手や、ノリスと対戦した後に世界王者になった選手が大勢いますね。常に実力者と拳を交えていたノリス。偉大な選手としての証です。

(キャリア後半にIBF王座も吸収したノリス)
引退後は2005年に当然の如く国際ボクシングの名誉の殿堂入り。現在は奥さんとともに、カリフォルニア州のハリウッドでスポーツジムを運営しているそうです。そのジムですが、中々評判が良いみたいです。

(かつて拳を交えたレナードと)
ノリスには2歳年上のオーリンというお兄さんがいますが、オーリンはWBAクルーザー級を獲得。同時にヘビー級の第一線で戦っていた中々の実力者でもありました(あのマイク タイソンとも対戦)。

(ノリス兄弟。兄のオーリンはズングリした体格の技巧派ボクサーでした)
この「この階級、この選手」を始めるとき、「この選手については絶対に書こう!」と決めていた選手が何人かいますが、今回登場する選手はそんなボクサーの一人になります。
今回から新しい階級スーパーウェルター級になります。私(Corleone)にとってスーパーウェルター級といえば、この人、テリー ノリス(米)。1990年代に同級で3度、合計4つの世界王座を獲得し、一つの時代を築いた名選手でありました。
ノリスのニックネームは「Terrible/テリブル」、ここでは「恐怖」という意味になりますが、私がボクシングに興味を持ち始めた1990年代初頭のノリスは、まさしく恐怖の男でした。

(今回の主人公「テリブル」テリー ノリス)
1990年代初頭がどういった時代であったかというと、世界ヘビー級の頂点にはクルーザー級上がりのイベンダー ホリフィールド(米)が君臨。そのガッツあふれるファイトは好感を呼んでいましたが、「ヘビー級王者としては如何せん小さすぎる」というレッテルを貼られていました。ホリフィールドがヘビー級で本領を発揮したのは1990年代の半ばから後半にかけて。当時は老兵ジョージ フォアマン(米)やラリー ホームズ(米)に苦戦する頼りないヘビー級王者でした。
マイク タイソン(米)はというと、ヘビー級王座転落後順当に再起路線を歩み、ホリフィールドとの挑戦まで漕ぎつけました。しかし試合開催直前に自身のケガのために延期、そして婦女暴行疑いのために逮捕、刑務所送りとなってしまいました。結局ホリフィールドとタイソンの対戦が実現したのはタイソン復帰後。タイソンの全盛期が過ぎ去って数年後の事でした。
バルセロナ五輪で金メダルを獲得し、その後プロでスーパースターの座を築いたオスカー デラホーヤ(米)はまだまだアマチュア選手。その一時代前のスーパースター達、シュガー レイ レナード(米)、トーマス ハーンズ(米)等は引退寸前の時期。ではこの時代、だれがボクシング界の頂点に立っていたかというと、メキシコが生んだ生きた伝説フリオ セサール チャベス(メキシコ)になります。
チャベスは1980年代中盤から1990年代前半にかけ、スーパーフェザー級、ライト級、そしてスーパーライト級の王座を次々に獲得、そして吸収していきました。2018年現在、数名のボクサー達がプロデビューから50連勝を飾ったのがどうだのと騒がれていますが、チャベスのそれはその倍に近いものまで伸びていきました。一言でいえば怪物。その怪物の対抗馬筆頭に挙げられたのが、チャベスから見て2階級上のノリスでした。
当時は誌面で両選手の対戦が大きく上げられていました、「ノリスこそが無敵チャベスをストップできる選手だ」と。しかし冷静に考えてみると、両者が対戦するというのにはかなり無理がありましたね。理想的なスーパーウェルター級のノリスとライト級で全盛期を迎えたチャベス。実現が可能だったら対戦していたでしょう。しかし現実にはその試合実現への動きすらありませんでした。
さて、本題のノリスに話を向けます。ノリスがどんな選手だったかというと、とにかく動きが早くてパンチがシャープ。しかし打たれ脆いため、時々とんでもないポカ負けをする。勝っても負けても非常に印象に残る試合を見せる選手でしたね。
1986年の8月にプロデビューを果たしたノリス。米国・カリフォルニア州出身のノリスは、米国・西海岸を中心に順当に勝ち星を伸ばしていきます。デビュー2年後の夏には、当時出世争いをしていたデリック ケリー(米)に判定負け。その2戦後にはダウン中のジョー ウォーカー(米)にパンチを放ってしまい反則負け。この2敗はノリスにとっていい教訓になったでしょう。ただ、ダウンをしている相手にパンチを放ってしまう癖は、その後も彼について回ることになります。
世界王座獲得前のノリスが対戦した主だった選手には、後にWBCミドル級王座を獲得するクインシー テーラー(米)や、WBAスーパーミドル級王座を獲得するスティーブ リトル(米)が含まれており、ノリスは世界王者になる前からその実力を発揮していたことが分かります。それもその筈。ノリスのアマチュアでの戦績は291勝4敗という化け物のような結果を残してきたのですから。
ノリスが初めて世界戦のリングに立ったのは1989年7月30日。強打が売り物のWBAスーパーウェルター級王者ジュリアン ジャクソン(バージン諸島)に挑戦しました。初回はボクシング史に残る強打者をスピードで圧倒したノリス。しかし続く2回、ジャクソンの右に捕まってしまいました。ダウンを喫したノリスはカウント内に立ち上がるも、主審は試合続行を許さず。ノリスの世界初挑戦は僅か4分33秒で失敗してしまいました。その後元WBCウェルター級王者ホルヘ バカ(メキシコ)との敵地でのサバイバル戦に勝ち抜いたノリス。ジャクソン戦後3連勝(1KO)し再び世界戦のリングに立つチャンスに恵まれます。
ノリスの2度目の世界挑戦が実現したのは1990年3月31日。相手は1986年に当時無敵の世界統一ミドル級王者マービン ハグラー(米)に挑戦し、大善戦したジョン ムガビ(ウガンダ)。将来のスーパースター候補生が歴戦の勇に挑戦するという、ファンからすれば涎ものの試合が実現しました。そのファン待望の試合結果はどうだったかというと、ノリスが2分47秒の間に、そのシャープなパンチで古豪をバッタバッタと倒しまくりKO勝利。圧倒的なボクシングを見せ、世界のベルトを腰に巻くことに成功しました。
「恐怖の男」が、本当の世界の頂点の選手として認知されるのは、何といっても翌年1991年と1992年の大活躍の結果でしょう。その数年のノリスの活躍を4半世紀後に振り返って見ても、まったくもって素晴らしいの一言。まず1991年2月に、ニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデンであの伝説のシュガー レイ レナード(米)を、スピードで圧勝し保持する王座の2度目の防衛に成功。6月にはカリフォルニア州で、ウェルター級で一時代を築いたドナルド カリー(米)に何もさせずに中盤TKO勝利。その年の師走には、パリのリングで後のWBAミドル級王者ホルヘ カストロ(亜)に大差判定勝利。1992年2月には後のWBAスーパーウェルター級王者カール ダニエルズ(米)を9回で切り捨て、5月には3階級制覇を狙っていたスピードスター、メルドリック テーラー(米)をスビードとシャープさで上回り序盤でTKO勝利。この時期のノリスの活躍を振り返って見ると、なぜ彼が当時のパウンド フォー パウンドの上位ランカーの常連であったか納得出来ます。

(レナード対ノリス戦のポスター)


(英雄ノリス、新鋭ノリスに歯が立たず)


(カリー、カストロにも圧勝したノリス)
その無敵ノリスにも、敗れる日が訪れてしまいました。1993年師走に行われた元IBF/WBCウェルター級王者サイモン ブラウン(米)を迎えての11度目の防衛戦。ブラウン戦から見て過去数戦、自分のパンチの威力に自信を持ち過ぎていたノリスは、自身の打たれ脆さという弱点を軽視していた場面が見られるようになりました。その弱点を見事につかれたノリス。ブラウンの強打の前に沈み、4年近く守っていたベルトと決別することになりました。
しかし翌年5月に行われた両者の再戦では、ノリスが本来のスピーディーかつ安定したアウトボクシングを披露し、大差判定勝利。僅か5ヵ月で世界の頂点に返り咲きます。しかしそれから約1年半、ノリスはとんでもない疫病神にまとわりつかれることになってしまいました。その疫病神の名前はルイス サンタナ(ドミニカ)。一階級下のウェルター級の地域王座を取ったり取られたりしていた、安全パイ的な選手でした。
1994年11月、1995年4月、そして同年8月と3試合続けて対戦したノリスとサンタナ。今となれば笑い話ですが、ノリスからすればとんでもない失敗の連続でした。初戦では後頭部へのパンチでサンタナをKOしてしまったノリス。もちろんノリスの失格負け、王座転落です。再戦では3回終了時のゴング後のパンチでドミニカ人をKOしてしまったノリス。ここでも当然の如くノリスの失格負け。サンタナに初防衛を献上してしまいました。第3戦ではようやく冷静なボクシングを展開でき、2回TKOで無事勝利を収めることが出来たノリス。この第3戦目の試合内容こそ、2人の実力を表すものでした。ノリスにとってまさに道草以外の何物でもありませんでした。
ノリスが獲得した王座(獲得した順):
NABFスーパーウェルター級:1988年12月9日獲得(防衛回数2)
WBCスーパーウェルター級:1990年3月31日(10)
WBCスーパーウェルター級(2度目):1994年5月7日(0)
WBCスーパーウェルター級(3度目):1995年8月19日(6)
IBFスーパーウェルター級:1995年12月16日(4)
(*2団体王座の統一)
サンタナ戦後、ようやく再起動に乗ったノリスのキャリア。WBC王座の防衛回数を伸ばしていくと同時に、IBF王座を吸収することに成功。1997年師走に、伏兵キース ムリングス(米)にまさかのTKO負けを喫し世界王座と決別。その後、WBA王座に挑戦し世界王座3度目の返り咲きを目指しましたが失敗。その試合を最後に現役からの引退を発表しています。終身戦績は47勝(31KO)9敗(4KO負け)。全56試合の内、メキシコで4試合、フランスで3つの試合を行っています。ノリスのキャリアを振り返って見ると、ノリスとの対戦以前に世界王者だった選手や、ノリスと対戦した後に世界王者になった選手が大勢いますね。常に実力者と拳を交えていたノリス。偉大な選手としての証です。

(キャリア後半にIBF王座も吸収したノリス)
引退後は2005年に当然の如く国際ボクシングの名誉の殿堂入り。現在は奥さんとともに、カリフォルニア州のハリウッドでスポーツジムを運営しているそうです。そのジムですが、中々評判が良いみたいです。

(かつて拳を交えたレナードと)
ノリスには2歳年上のオーリンというお兄さんがいますが、オーリンはWBAクルーザー級を獲得。同時にヘビー級の第一線で戦っていた中々の実力者でもありました(あのマイク タイソンとも対戦)。

(ノリス兄弟。兄のオーリンはズングリした体格の技巧派ボクサーでした)