今から30年前となる1995年2月4日、韓国で行われた試合結果です。
WBAジュニアフライ級戦(ライトフライ級):
挑戦者崔 煕庸(韓国)判定3対0(118-113、116-112、115-114) 王者レオ ガメス(ベネズエラ)
*日本でもお馴染みの選手同士による世界戦が極寒の韓国で実現しました。共に元WBAストロー級(ミニマム級)王者の肩書を持つガメスと崔。154センチと小柄なガメスは中間距離から長距離のボクシングを得意とし、このクラスでは長身164センチの崔は、どちらかというとインファイターというユニークな対戦となりました。
試合開始のゴングと同時に、体を振りながらガメスに接近し、軽打ながらも右のショートと左右のボディーパンチで攻勢を取る崔。その気迫が会場にも伝わり、会場は初回から大声援の嵐に包まれます。
普通のボクサーなら敵地のど真ん中ということもあり、そこで精神的に諦めてしまうがのではないでしょうか。しかし崔が拳を交えているのは、これまで幾度もの激戦を経験してきた歴戦の雄ガメス。距離が少し開いたり、韓国人の手数が少しでも落ちれば、恐ろしい右アッパーでライバルを強襲していきます。
序盤戦から激しい攻防が繰り広げられる中、ガメスは3回に右目をカットするアクシデントに見舞われてしまいます。その傷でガメスの動きが鈍る事はありませんでしたが、負傷が気にならないわけがありません。
(接近戦でガメス(左)に肉薄する崔)/ Photo: Youtube
驚かされるのは両者のスタミナ。12回と通し崔の手数が落ちる事がなければ、ガメスの反撃力が衰える事はありませんでした。大激戦は判定にその勝敗を委ねる事になりましたが、勝利の女神は地元崔に微笑むことに。1992年10月に、東京のリングで大橋 秀行(ヨネクラ=現大橋会長)に僅差の判定負けを喫し、ストロー級王座から転落していた崔。2年3ヶ月ぶりに世界王座に返り咲くと同時に2階級制覇に成功しました。
(ガメスを下し2階級制覇を達成した崔)/ Photo: BoxRec
今回が5度目の韓国での試合となったガメス。1988年1月に、WBA初代最軽量級王座決定戦に出場し、金 奉準(韓国)に僅差の判定勝利で王座奪取に成功。減量苦からその王座は初防衛後に返上し、その後、いまだに同級の最多防衛記録を保持する常勝将軍柳 明佑(韓国)が保持していたWBAジュニアフライ級王座に2度挑戦するも、大激戦の末判定負け。その後、技巧派金 容江(韓国)が保持していたWBAフライ級王座への挑戦も、金を捕まえきれず判定負け。そして今回の崔戦での惨敗と、ガメスにとって韓国は鬼門のようです。
日本(2試合とも後楽園ホール)ではストロー級の防衛戦で横沢 健二(三迫)を血まみれにし、ジュニアフライ級の王座決定戦でも、八尋 史朗(帝拳)を一蹴しているガメス。ジュニアフライ級での3度の防衛戦はパナマとタイ(2度)で行うなど、まさに出稼ぎ王者の鏡といっていいでしょう。
ちなみにWBAミニマム級の変遷は、ガメスの返上した王座を金が獲得し5連続防衛に成功。崔が僅差の判定で金を破り王座奪取。崔は5度目の防衛戦で来日し、大橋にタイトルを譲っています。ジュニアフライ級は柳が引退し空位となった王座をガメスが奪取し、今回の崔との一戦になっています。