昨日は、午前中から2時ごろまで主人の仕事で大阪市内まで出掛けました。
夜は主人が月曜会の指導に迎えに来て頂いて出掛けたので
ずっと気になっていた、振袖の変わり結びの結び方の写真を撮っていました。
小さな写真はクリックすると大きくなります。
以前スタッフの山本さんが結んだ帯結びに手先のバランスについてご質問があったので
ちょうどいい機会だったので、言葉では説明できないので、結び方をアップすることにしたのです。
ところが、自撮りして入るので、なかなか上手に撮れません(^-^; 手つきなどわかり難いかな?
成人式の振袖着付のご依頼は、大半が、お母様のものが多く、
手先の柄が短いものも多くあり、人数も10名以上を同じ会場で行っていて
同じ会場に行かれる方やお友達も多いのでスタッフさんには
帯の長短や体型にも対応でき、後ろに持たれても崩れにくい帯結びを覚えて頂いています。
この時は、右の文庫の羽根は、そのままの幅で三ツ山で作り、残りの帯びも屏風畳にして左右に出しました。
今回、スタッフさんの帯結びは、帯の柄が見えるように、基本を応用して行いましたが、
まだ見えている柄が少ないので、もう少し私が手を加えて帯の柄を出してみました。
この帯は、手先の柄が49センチ、総長420センチです。柄と柄との間隔が大きいです。
①帯は結ばず、折り上げ方式です。
3重紐を掛けています。( 3重紐は手前から1・2・3で明記します。)
②垂れ元から広げ、手幅一つぐらいの所に三ツ山ひだを取り、2の3重紐のかけます。
③残りの垂を50センチほど3分の2の幅に折り、25センチ弱で輪が手前になる様にして
片ひだを取り、3重紐の1に下から上に通します。
④垂の残りが多いので、打ち出しの様に屏風畳にも出来ますが、
今回は、それでは柄が出ないので、垂れ先を輪にして柄を出し
三ツ山ひだにして、3重紐の2に通しました。
この時に枕をします。
⑤手先に追いひだを手先の柄止まりまでとります。(帯締めを通す位置まで整えます。ピンチをしても可)
出来上がり約13センチ(白の⇔)ぐらいを残し、3重紐の3に、写真の様な手つきで上から下に通します。
手先の長さは、文庫の羽根の長さなど全体のバランスを見て、ここで調整できます。
⑥手先の残りの部分は、帯の厚みや残りのあんこの部分を考慮して、
余裕をもって帯締めの位置を決めます。(帯締めが通っているところまでは追いひだを取っておく)
帯締めをしてから、おいひだを広げます。
⑦ 帯締めをして、仕上げのバランスを見ます。
ここからでも、手先の羽根を変えると感じがかわります。
着物の柄が見えるように、手先を下げてみました。
2種類とも手先を3重紐に下から上に通して、3重紐が見えない様に広げただけです。
(手先の柄が短い場合は、飾り紐を使い、最初に手先にかけておきます。)
その時々で、変わるので名前を付けられないわ(^-^;
本日も訪問ありがとうございます
応援クリックもよろしくお願い致します
ゴンちゃんとの早朝散歩は、今日で13日目、
ゴンンちゃんは昨日から、朝、散歩に行くよって言うと主人の寝ている側に逃げ込んで、
抱こうとする私に「ウウー」って脅します。(@_@)
唸り声を無視して、今日も散歩に出掛けましたが
夜露で草が濡れ、ゴンの足はお腹まで濡れてしまい、またシャンプーです。
1時間弱の散歩で、ほとんどリード無しで離しいるので好きな様に歩いているのですが・・・(^-^;
ヤッパリ、犬も友達と会える方が楽しいのでしょうか。
夕方の公園のお散歩は本当に出掛けるとわかった途端に主人のそばにすり寄って
早く連れて行けと催促します。
ゴンは、公園に着くちょっと前にもうわかっている様子で、公園につくと早く下ろしてと、もう興奮状態です。
公園ではいろいろな友達に会えて、見るからに楽しそうです。
朝の私の散歩とは、まったく違う表情です。
本当にイヌも友達が良いのですね。
もう一匹、トイプードルの男の子がいますが、今日はまだ来ていませんでした。
ゴンちゃんは特にボールを銜えているモエちゃんが大好きな様です!(^^)!
モエちゃんがボールを追いかけて走り出すと、みんな一斉に走り出します。
何とも楽しそうですわ(#^.^#)
今日で終戦後70年、
今年は特にテレビでもいろいろ中国での体験談を語られる番組が多く
主人が思い出話をする事が多くなりました。
昨日も宝田明さんが、徹子の部屋でそのすさまじい体験談を話させていて
終戦当時は12歳だと言われていました。
主人は中国の奉天で4歳(後11日で5歳)で終戦を迎え、5歳で引上げ船に乗って両親と一緒に帰ってこられました。
主人の亡父が関税の仕事をしていたそうです。
今の琉守より少し大きいぐらいなので、宝田さんの様に詳細に覚えていないようですが
鉄道のすぐ近くに住んでいたことや、寒かったこと、近くに日本人が買い物をする市場があったこと
そして、終戦後
奉天はロシアに近く、女の人は男の格好をしたりしていたそうです。
記憶に残っているのは、恐いソ連兵が入ってくるのでお母さんや女の人が丸坊主にして男の格好をしていた。
ただ主人は、幼かったからかソ連兵の戦車隊の人に抱き上げられチューをされたそうです。
岡本という酒屋さんに家の大事なものを隠したりしたことは覚えているようです。
逃げている途中、中国の人が銃をもって他の家族を脅しているのを見たそうです。
食事は、乾パンを作ってそれを食べていたそうです。
でも、他の皆さんの体験談を聞くたびに
よく本当によく無事に帰ってこられたなあって、今は感謝しています。
この戦後70年という節目に、中国の瀋陽市(その頃は奉天)の剣道愛好家からの話で
中国、東北地区の剣道愛好家の水準を高めるためと日中の民間の文化交流の為
招かれて講習会と、第一回東北剣道オープン戦の審判長をするために
幼いころ育った地、満州国奉天(瀋陽市)に剣道の先生方たち5名で行くことになりました。
この度のお話をもって来て下さったて、一緒に同行される
帝塚山学院大学の下定先生が、主人の記憶をもとにその場所を探して下さっています。
まさかこんな機会を頂けるとは思ってもいませんでしたが
戦後70年という機会にこのようなお話を頂ける事になって、もし見つけることが出来なくても、感謝しています。
今の瀋陽市は、国家歴史文化名城に指定されている観光都市で東北地方最大の都市(810万人)らしいのです。
でも、満州国時代の欧風を通り入れた建築物も市街地各所に現存しているそうなので
主人は生まれた地を見に行けると楽しみにしています。
私は、子や孫の為にも、二度と戦争をしない国でいて欲しいと切に願います。
今朝は、7時前まだ雨模様でゴンの散歩は8時過ぎに出掛けました。
道が濡れているので、農道を歩くのは諦めて
住宅内を1周半、途中、知り合い3名に出会いました。(#^.^#)
今日は実家で全員集合です。
全員集合と言っても、もう子供たちは誰も来ませんでした。
恒例のお墓参り
昨年は、実家でお弁当をとりましたが
お墓参りを終え
豊中駅前のおそばの美味しい「まつもと」で幕の内弁当です。
見た目と違ってボリュウム満点でしかもとっても美味しくて、+ご飯+お蕎麦が付きました。
お蕎麦が大好きな主人は、美味しい、美味しいの連発でしたわ。
私は申し訳ないのですが、ご飯には、手を付けられませんでした(^-^;
お墓参りは暑いので、迷いましたが亡父は着物が好きだったので
シルックの小物に頂いた絽の名古屋帯、
差し色は使わず
ブルー&白のビーズの帯留、紺の三分紐、帯揚げも水色と寒色系の色目にコーディネイトしてお参りしました。(老けたかも)
義妹たちから涼しそうって言われ、満足です(ホントは暑かったですけどね)
全員が揃ったので、母や全員集合が大好きだった亡父も喜んでくれたと思います(#^.^#)
お下がりに、長男夫婦と母が出掛けた北海道旅行のお土産、次男が行った香港のお土産など
お供え以上にいっぱい貰って帰ってきました。
仏壇の横が急にさみしくなりましたわ(^-^;
本日も訪問ありがとうございます
応援クリックもよろしくお願い致します
今朝は主人が珍しく、眠れないと言ってゴンちゃんとの散歩に同行してくれました。
朝から☂雨かと思ったら、夜中に降って、6時頃は、雨は上がってしました。
昼間も降ったりやんだりのお天気でした。
一昨日、洗ったばかりのゴンちゃんは、また汚れて、お腹から下をまたシャンプーしましたわ(-_-;)。
主人は、午前中剣道の練習に、最寄りの黒山警察まで、そのままお昼も食べてきました。
久しぶりにのんびりして野球観戦と昼寝です。
昨日は主人の母校の九州学院が負け、今日は接戦で大阪も負けてしまいました。
午後は、浴衣の出張着付があり
堺市東区のM様宅に嶋岡先生が行って下さいました。
M様は、リピーターと言っても昨年は、花火が台風の為に中止になり
今年、初めてのご依頼です。
ハーベストの丘の花火大会にご友人とお出かけされました。
とても感じの良い、お母様とお嬢様だったそうです。
2時には、無事に終わったそうです。
今回は、残念ながら写真がありませんでした。
またのご依頼をお待ちしております。
本日も訪問ありがとうございます
応援クリックもよろしくお願い致します