夕方の散歩
道端に桑の実が見えた
妻が
「桑の実って秋じゃないの?」と言う
「?はて?」
「♪山の畑の桑の実を小籠に摘んだは幻か♪って、赤とんぼの歌詞にあるじゃない。」
「いや・・・急に言われても。」と梅沢富美男さんのような返答をしてしまった
赤とんぼって秋の歌だったかしら?
あれは何か思い出を歌ったものではなかったかしら?
たしかに
赤とんぼが出てきたり
寂しそうな曲調は秋を連想するけれど
と思いながら帰宅後早速しらべてみると
赤とんぼ
夕焼け小焼けの赤とんぼ おわれてみたのはいつの日か
山の畑の桑の実を 小かごに摘んだはまぼろしか
十五で姐(ねえ)やは嫁にいき お里の便りも絶えはてた
夕焼け小焼けの赤とんぼ とまっているよ竿の先
山の畑の桑の実を 小かごに摘んだはまぼろしか
十五で姐(ねえ)やは嫁にいき お里の便りも絶えはてた
夕焼け小焼けの赤とんぼ とまっているよ竿の先
どこにも秋なんて出てきませんなあ
それにしても改めて歌詞を読んでみると
ねえやにおんぶされて
夕焼けの中赤とんぼを眺めた記憶と
山の畑の桑の実と言うから、おそらく養蚕をしていた家だったのではないか
蚕の餌の桑の木の実を摘んだんでしょうねえ
それもはるか昔のことで、幻のようであると
そして
おんぶしてくれた、ねえやは15で嫁に行ったと
お里の便りとは、誰から誰に送った便りなのか
この文章だけではよくわからない
なんともぼんやりとした内容であります
子供に聴かせるには
もっと明るく楽しい方が良いような気もするが
どうか?
星条旗よ永遠なれを聴いて育った人間と
性格が同じようにはならんかもしれん
最近は、西洋種でマルベリーという品種が多くなっているのでは、、これは早めですよね。
山に自然に出てるのはもう少し遅いかな、、実が小さいのが一般的ですが、昨今桑の実ジャムも人気があって、この類が増えました。
こちらにも昔養蚕農家があったので、桑の木がやたらと出ています。
我が家の庭にも土地を買ったときのが整理しても整理しても根強く出てきます。
生命力の強い木です。
赤とんぼの詩ですが、、、
三木露風だったかと・・・
当時は、ちょっと裕福な家には貧農家から、子だくさんだと10歳に満たないうちから、子守で手伝いに出されたそうです
嫁の口が15歳であるなら、ありがたいことで、この歌の嫁に行くは、、多分、、もっと悲惨だったと聞いています。
つまり、、お金に変わるのです。言葉では多分禁句用語です。、、、でその家からの便りはなくなるのです。
なので、歌によっては、子供の本にはこの部分載せてない所もあります。
時代背景など考えながら、歌を歌う。
ただ明るいのが子供の心を育てるとは思いません。
当節、小学校教科書から童謡、昔の唱、ほとんど消えました!
今は大人がかろうじて歌い繋いでいます。
詩、曲、時代から信じられない物も多いのですが、これが歴史だと思っています。
本当に情緒感の薄い時代になったと、、寂しいです
ブログ内容に逆らってるわけではなくコーラスでせめてと歌を繋ぎたい思いがある者の、ほんの個人的気持ちです、、お気を悪くなさいませんように、、
歌詞に出てくるネエヤは実の姉ということではないようですね。いずれにしても100年歌い継がれている曲であることは事実ですね。