今回は、「鍋島白磁 蓋付碗」の紹介です。
立面
蓋を外し、本体部を伏せたところ
蓋を外し、蓋を裏返したところ
生 産 地 : 肥前 鍋島藩窯
製作年代: 江戸時代中期(元禄後期)
サ イ ズ : 本体部口径;12.6cm 高台径;5.7cm 高さ;5.7cm 高さ(蓋共);8.7cm 蓋口径;13.2cm
これは、2002年に(平成14年に)(今から19年前に)、東京の古美術店から買ってきたものです。
その時、この白磁蓋付碗には1冊の本が添えられていました。それは、「小さな蕾 2000年7月号」です。
その「小さな蕾」には、小木一良先生がこの類品をとりあげ、それを「鍋島白磁蓋付碗」とする文章が載せられていたのです。
小木先生は、これの類品を「鍋島白磁」としているわけですね。
私は、それを信じ、連れ帰ったというわけです(^_^)
そこで、次に、その「小さな蕾 2000年7月号」の中の小木先生が書かれた文章を転載し、この「鍋島白磁 蓋付碗」の紹介に代えさせていただきます。
鍋島白磁蓋付碗
小 木 一 良
(戸栗美術館常任評議員)
(1)出土陶片と一致する伝世品
写真1イ・ロ・ハの白磁蓋付碗(以下本品と記す)を鍋島作品だと言ったら肯定する人が何人いるだろうか。
しかし、本品は明確に鍋島作品と特定しうるものと言える。理由は全く一致する陶片が鍋島藩窯跡から出土しているからである。
写真2イ・ロ・ハの白磁陶片は伊万里市教育委員会蔵の鍋島藩窯跡出土品である。これを本品と対比すると大きさ、器形、釉調などいずれの面からみても同一とみられる。
私は再三この陶片を観察し、本品と並べてみたりしたが、両者は全く一致するとみざるを得ず、本品は鍋島作品と特定しうるものと結論するに至った。
(2)製作年代
本品の製作年代は大体元禄後期頃と考えられよう。それは「元禄十二年柿銘小鉢」(写真3)との対比からみてである。両者を比べてみると器形が極めて類似ている。この元禄十二年柿銘小鉢も最初はおそらく本品と同様に蓋がついていたものと思われる。このような器形品は当時上手の作品によく用いられていたものであろう。
両者で少し異なる点は元禄柿銘作品は体部に廻らされている陽刻紐状線が二重であるが、鍋島出土陶片と本品は一重であることと、器体下部の曲線が僅かながら異なっている。しかし、おおよその器形、全体的作ぶりからみて、両者の制作時代にそれほどの年代差があるとは考えにくく、本品は大体元禄十二年頃の作品とみて良いのではないかと思われる。
次に本品を柿右衛門白磁と対比してみると、柿右衛門作品より、やや釉調に青味があり両者間の釉調は僅かながら異なっている。
これは柿右衛門白磁との鑑別上の一つにポイントになることかもしれない。しかし、中白川窯出土の上手白磁陶片をみると、こちらはやや青味を帯びており、なかなか区別はしにくい。白磁について肉眼的に釉調のみで制作窯の判断をすることはよほど熟達した人でも無理のように思われる。
製作窯の特定には釉調のほか、器形が出土陶片と全く一致していることが絶対的必要条件とされよう。
興味深いことに、本品と同一器形で小形の伝世品が存在しているので、いろいろの大きさのものが作られたのだろうと思われる。鍋島といえば木杯形皿が典型的な形として頭にうかび、それ以外の器形のものは考えにくいのが一般的であろう。
しかし、鍋島藩窯跡出土陶片類をみると、さまざまの形態、器形品がみられる。特に白磁、青磁で染付文様の無い陶片類の中にはその完器伝世品をみたとき、鍋島とは認定されにくいだろうと思われるものも少なくない。
本稿にあげた白磁蓋付碗もその一つだが、次回は青磁作品のこうした例品をあげてみたい。
出土陶片が明示されなければ鍋島作品とは判断のつけ難いものがいろいろ存在している点を考えると、公的機関の保有陶片と共に個人的所有陶片も含めて木杯形以外の器形陶片類ができるだけ多数公表されてほしいものである。
注 鍋島藩窯出土白磁陶片(写真2イ・ロ・ハ)は伊万里市教育委員会蔵品を撮影、掲載させていただきました。