この大皿は、平成7年に、東京の或る骨董街で買ってきたものです。今では、もう、そのような場所はなくなりましたね(-_-;) 寂しい限りです。
表面
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斜め上方から
裏面
裏面の一部
製作年代: 江戸時代前期
サ イ ズ: 口径=31.7~32.3cm 高さ=5.8~6.8cm 高台径=14.0cm
この大皿を買った平成7年頃には、既に、骨董界でも、古九谷有田説は浸透していましたから、「いわゆる古九谷」(以下、単に「古九谷」と言います)にも、かつての「古九谷」のような力はなく、値段も昔ほどの値段ではなくなっていました。かなり値下がりしていました。
しかし、「古九谷」は、腐っても鯛ならぬ、腐っても「古九谷」です。値下がりしたといっても、暴落したわけではありません。特に、大皿とあっては、滅多に出て来ないものですから、暴落はしなかったんです。
ところで、この「古九谷」の大皿ですが、普通に見られる「古九谷」の大皿とは、ちょっと違いますよね。
普通に見られる「古九谷」の大皿は、「五彩手」と「青手」が典型的なものですが、この大皿には赤が使用されいませんから「五彩手」には属しませんし、青で全体が塗り埋められてもいませんから「青手」にも属しません。
でも、なんとなく「古九谷」大皿の雰囲気を十二分に持っていますので、多くの方は、「古九谷」大皿であろうとは認めるわけです。ただ、「古九谷」にしては珍しい存在というわけですね。
そうは言っても、やはり、典型的な「古九谷」の大皿でないと、人は、安心して「古九谷」の大皿とは認めたくないですし、安心して買い求める気にもならないわけですよね。そんなところから、この大皿も、結局は東京の場末の骨董街に流れ着いたのではないかと思われます。しかも、値段も、普通の典型的な「古九谷」大皿に比べれば格段に低い値段で(-_-;)
そんなところに目を付けたのが私だったわけですね。『典型的な「古九谷」の大皿では買えないが、この大皿なら買えるかな!』と、、、。
それで、思い切って買ってしまったわけですが、結局、これまでに私が買った古伊万里では最高額を支払うことになってしまいました(-_-;) これからは、更に財力が無くなりますので、これからも、これ以上の買い物は出来ないことでしょう、、、。
ということで、この大皿は、私の購入額の最高額で手に入れたものであり、私にとっては、まさに「お宝」なわけです(^-^;
ただですよ。ただ、、、。我が家に持ち帰った私は、それを、素知らぬ顔で、あたかもガラクタでも買ってきたかのごとく振舞い、その辺に置いておいたんです。
ところが、どういう訳か、妻は、この大皿を何故か気に入り、よく花活けに使うようになったんです。
多分、華やかさもなく、皿が強く主張して花の良さを殺してしまうようなところもなく、大きさもちょうどいいので気に入ったのでしょう。
しかしですね、扱いが大胆なんですよね! あたかも、私が2,000~3,000円でガラクタ市から買ってきたかのごとくに取り扱うんです(><)
妻から見れば、薄汚れていて、小汚く、華やかさもなく、おまけにニューまでありますから、とても、私が最高額で買ってきたものだとは思ってもみないわけですね。せいぜい2,000~3,000円で買ってきたものとばかりに思っているわけす(><)
でも、私としても、今さら、高額で買ってきたものなのだから大切に扱うようにとも言えず、ハラハラしながらそれを眺めているほかありません(-_-;) せいぜい、「これは、見てくれは悪いけれど、世間では高く評価されるものなんだよ!」「大切にしたほうがいいよ!」などと呟くのがセキノヤマです(><)
ということで、この大皿は、我が家にとっては「ガラクタ」扱いなんです(-_-;)