17日は好天に恵まれ滋野ガイドブック作成のための撮影を行いました。これは滋野地区を紹介するための写真集ともいえるものです。すでに同じような事業が祢津(ねつ)地区、和(かのう)地区、北御牧(きたみまき)地区で取り組まれ、それぞれ素晴らしい写真集ができあがっています。
私はその事務局を仰せつかり、今年1年かけ地元の写真愛好家の協力のもと写真を撮影しています。先月は桜井、片羽集落を撮影し、今回は赤岩集落です。赤岩集落は赤岩本郷と赤岩新田の2地区に分かれています。本郷は千曲川の河岸段丘の上にあり、北側をしなの鉄道が通っており、かつては北国街道も通っていた歴史ある集落です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/2a/9c884872cca18095f3980c8cf99cc707.jpg)
赤岩を語る時、まず最初に語らなければならないのは長野県の文化財にも指定されている江戸時代の刀工、山浦貞雄・清麿兄弟の工房跡です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/25/01db884f020a201372b0b1a4153d8d32.jpg)
山浦貞雄は江戸末期松代藩の刀工として活躍、弟の清麿も江戸で刀工として活躍しています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/b7/881fe6d7cceb18858b8254810920b748.jpg)
赤岩神社です。赤岩の集落の崖の下にあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/e0/5b256cb52a350cc2d6d4c0dab0306c7e.jpg)
千曲川沿いのマレットゴルフ場です。赤岩の皆さんのいこいの広場で5月には「つけば会」が行われます。つけばとは川で取った魚をその場で焼いて食べる野趣満点の行事です。毎年ご招待されおいしい川魚に舌鼓を打っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/68/b2654de219966c6b175b787c11b454af.jpg)
この山は千曲川対岸の布引の崖です。崖の中腹にある一筋の白い岩がお分かりでしょうか。これは善光寺に伝わるに出てくる「牛に引かれて善光寺参り」の牛が角に引っ掛けた布だといわれています。
私はあの伝説は川向こうの布下の集落のことだと思っていましたが、地元の古老のお話では赤岩の往生坂に住んでいた老婆のことだというのです。往生坂とは集落から千曲川の河原に降りる坂のことでいまでは道も定かではありません。
往生とは亡くなることを意味しています。往生するときに善光寺如来にすがるということでなんとなくそれらしく聞こえます。ガイドブックの中にどのように折り込んだらいいか考えなければなりません。
これを書くにあたりネットで「牛に引かれて善光寺参り」の伝説をいくつか検索して見ましたが、牛が角にかけて持ち去った布が岩になったと書いてあるものはありませんでした。この岩のことを記さなければこの伝説発祥がなぜ東信のこの地なのか説明がつきません。布引観音はその後建てられたとされています。
岸壁の岩肌にひとすじ、ちょうど布がひるがえっているように見える布引岩の存在がこの伝説を産んだのでしょう。その地も往生坂とは出来すぎの観があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/4c/42fe1a7b9c30510e6d7e54e3f8eab3f2.jpg)
赤岩の集落は千曲川の河岸段丘の上にあります。最近がけが崩れたため長野県で大規模な修復工事が行われました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/a7/bc1f38d0fad73c6dbedca8b955184834.jpg)
赤岩新田にある筆塚です。かつてここに寺子屋があったそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/31/89e417729f617645a67a41b37284dcf6.jpg)
赤岩新田の個人のお宅にある古墳です。個人の所有地にある古墳は珍しいのではないでしょうか。
私はその事務局を仰せつかり、今年1年かけ地元の写真愛好家の協力のもと写真を撮影しています。先月は桜井、片羽集落を撮影し、今回は赤岩集落です。赤岩集落は赤岩本郷と赤岩新田の2地区に分かれています。本郷は千曲川の河岸段丘の上にあり、北側をしなの鉄道が通っており、かつては北国街道も通っていた歴史ある集落です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/2a/9c884872cca18095f3980c8cf99cc707.jpg)
赤岩を語る時、まず最初に語らなければならないのは長野県の文化財にも指定されている江戸時代の刀工、山浦貞雄・清麿兄弟の工房跡です。
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山浦貞雄は江戸末期松代藩の刀工として活躍、弟の清麿も江戸で刀工として活躍しています。
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赤岩神社です。赤岩の集落の崖の下にあります。
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千曲川沿いのマレットゴルフ場です。赤岩の皆さんのいこいの広場で5月には「つけば会」が行われます。つけばとは川で取った魚をその場で焼いて食べる野趣満点の行事です。毎年ご招待されおいしい川魚に舌鼓を打っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/68/b2654de219966c6b175b787c11b454af.jpg)
この山は千曲川対岸の布引の崖です。崖の中腹にある一筋の白い岩がお分かりでしょうか。これは善光寺に伝わるに出てくる「牛に引かれて善光寺参り」の牛が角に引っ掛けた布だといわれています。
私はあの伝説は川向こうの布下の集落のことだと思っていましたが、地元の古老のお話では赤岩の往生坂に住んでいた老婆のことだというのです。往生坂とは集落から千曲川の河原に降りる坂のことでいまでは道も定かではありません。
往生とは亡くなることを意味しています。往生するときに善光寺如来にすがるということでなんとなくそれらしく聞こえます。ガイドブックの中にどのように折り込んだらいいか考えなければなりません。
これを書くにあたりネットで「牛に引かれて善光寺参り」の伝説をいくつか検索して見ましたが、牛が角にかけて持ち去った布が岩になったと書いてあるものはありませんでした。この岩のことを記さなければこの伝説発祥がなぜ東信のこの地なのか説明がつきません。布引観音はその後建てられたとされています。
岸壁の岩肌にひとすじ、ちょうど布がひるがえっているように見える布引岩の存在がこの伝説を産んだのでしょう。その地も往生坂とは出来すぎの観があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/4c/42fe1a7b9c30510e6d7e54e3f8eab3f2.jpg)
赤岩の集落は千曲川の河岸段丘の上にあります。最近がけが崩れたため長野県で大規模な修復工事が行われました。
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赤岩新田にある筆塚です。かつてここに寺子屋があったそうです。
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赤岩新田の個人のお宅にある古墳です。個人の所有地にある古墳は珍しいのではないでしょうか。