信州の刀工、山浦清麿のこと

2011-10-20 06:35:13 | 雑感
先日、滋野のガイドブック作成のため赤岩集落で刀鍛冶の山浦兄弟のことを書きました。兄の山浦真雄は松代藩の刀工として有名ですが、弟の山浦清麿も江戸で刀工として名を馳せています。ネットでは下記のように紹介されています。

源清麿(みなもときよまろ)は幕末に活躍した刀工である。本名は山浦環(やまうら たまき)。初銘は正行、ついで秀寿。兄は刀工の山浦真雄。水心子正秀、大慶直胤と並び「江戸三作」と称された名工。波乱に富んだ人生を送ったことから、新々刀期の刀工の中でも特に人気が高く「四谷正宗」と呼ばれた。

以前、私が長野経済研究所に勤務していた折、東京への出張があり四谷近くの会社を訪れたことがありました。午前中で仕事が終わり時間があったので、以前から興味のあった江戸時代の武士、長谷川平蔵のお墓を訪ねることにしました。長谷川平蔵とは池波正太郎の小説「鬼平犯科帳」で知られており、江戸時代の火付け盗賊改めの長官を務めた方です。この長谷川平蔵のお墓が四谷の戒行寺にありました。

戒行寺への坂道を登って行くといくつもお寺が続いていました。道の左側に小さな看板が出ているお寺がありました。その文字の中に信濃の国赤岩とか、刀工とかいった文字が目に飛び込んできました。おやと思ってそのお寺に足を向けました。

本堂の前に大きな石碑があり、そこに山浦清麿のことが記されていました。その石碑は刀剣愛好者の方が建てられたもののようでした。お寺の名前は宗福寺。山浦清麿の菩提寺でした。




長谷川平蔵のお寺を訪ねる途中で山浦清麿のお墓を見つけたのです。まさに偶然でした。それまで私は山浦清麿のことは何も知りませんでした。こんなところに郷土の英雄が眠っていると思うと感慨無量でした。

山浦兄弟の子孫がいま八十二銀行の山浦頭取ですが、高校の同窓会の折にこのお話をしたことがありました。よく見つけたとびっくりされていました。

現在でも11月14日(安政3年没)の清麿の命日と、9月27日の初世水心子の命日には、刀剣の愛好家によって墓前祭がいとなまれているそうです。同じ郷土の英雄雷電為衛門は毎年命日に佐倉市を訪れ、墓前祭を行っているのに山浦清麿のお墓は知る人もいないというのは寂しい限りです。

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