加山到のハマッ子雑貨飯店

おもちゃ箱をひっくり返したような楽しい雰囲気が伝われば嬉しいなっと。08年11月6日開店!

封筒型紙袋

2024-12-09 | 温故知“旧”

数日前。宣伝物が数枚入った白い紙袋が郵便受けに入っていました

最近こういった”薄い紙袋”って見ませんよね

 

その昔は、本屋で雑誌を買ったり、文具店でノートを買うとこういう袋に入れてくれました。店の名前がきちんと印刷されていてね。いつの頃からか、その姿は見えなくなり・・・あ、いわゆるコンビニ袋が流通し始めてから、紙袋自体がなくなりましたね

大学生時代にコンビニでバイトをしていたのですが、男性雑誌(エッチ系ね)は必ず紙袋に入れてました。でもコンビニ袋になってからは、雑誌のサイズに合うコンビニ袋はありませんし、中身が透けてしまうため雑誌の売り上げが落ちたとも聞いたことがあります。

紙のぬくもり。好きだなぁ・・・

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ミポリンが・・・。

2024-12-06 | 映像系仕事

う~ん・・・ショックですねぇ。先ほど知った中山美穂さんの急逝。

自宅の浴槽で亡くなっていたとかで、病なのか心筋梗塞やヒートショックなどの急性的なのかまだ分からないようですが・・・いずれにしろ同世代、いやもっと年下なのに悲しすぎます。

一度、ドラマで共演しています。

「ホーム&アウェイ」(2002年/フジテレビ)

友人と中国・上海に旅行に行き、たまたまチャイナドレスをまとった際にアクシデントが起こり、なぜか青森の海辺に漂流したところからはじまる”ロード・ムービー・コメディ”。 日本人なのにチャイナドレスを着ているばっかりに、中森楓(中山)を中国人だと思い込み、中国語で取り調べを始める海上保安庁通訳官の役でした。

 

結構、がっつりと共演したシーンでした。ドラマや歌で忙しかったのかな、ちょっとお疲れの様子だった記憶があります。それでもリハはもちろん、本番では素敵な立ち振る舞いでオーラさえ感じました。

「色・ホワイトブレンド」(1986年・キングレコード)

ミポリンが歌う、サビ部分の”ホワイッ ブレン~”の跳ねるリズムが好きで、思わず口ずさんでいました。この歌はいい~と即座に購入した一枚です。

アイドル・中山美穂。永遠なれ・・・。

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年末大掃除第1弾?

2024-12-06 | 日々是充実

毎年12月に入ると、早めに掃除を始めます・・・と言えば「やるねぇ~」と言われるのですが、結局はズルズルと年末ぎりぎりまでになったりして、「はぁ・・・」とため息をつくことになるわけで(苦笑)

窓ふき。今年は暖かい気候なので水仕事も割と楽ですね~

台所の換気扇もスッキリ フィルターの交換も終了。作業後には来年以降のためにフィルターを買いに行きました

大掃除とは直接関係ないのですが、今の時期にやるのが柿の木の枝切り 昨年に引き続き、「おぅ、やってやるよ!」と町内会のおじちゃんが長尺の脚立を運び込み、よく切れるのこぎり持参で太い部分を難なく裁断してくれました

その枝を細かく切ってまとめるのが私の役目。

一人でのんびりと作業をしていたら3時間近く経っていました(笑)

気候がいいとついつい時間が経つのも忘れ、自然の空気を楽しみ、近所の方々と言葉を交わせるのが嬉しいですね

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原田裕臣氏。旅立っていた・・・

2024-12-03 | レコード

数日前。 ネットニュースや友人のサイトなどで目にした「原田裕臣逝去」の記事。ニュースソースは「ミッキー・カーチス氏が11月10日のinterfmのラジオ番組『Daisy Holiday』にゲスト出演した際の話」との事です。但し、亡くなった時期は不明のようです。

ネットで検索した内容を簡単にまとめると、原田裕臣氏は・・・1971年「ミッキー・カーチス&サムライ」にドラマーとして参加。解散後にミッキーのプロデュースによる「ガロ」の『学生街の喫茶店』を含めたアルバムでドラムを担当。「PYG」の2代目ドラマーとして参加し、そのまま井上堯之バンドに移行。74年に脱退した後にミッキー吉野グループ~ゴダイゴの初代ドラマーとして参加し、ファーストアルバム制作途中に脱退。以降はPYG時代の盟友である萩原健一や沢田研二のバック演奏に参加・・・・・・という事です。

「侍」ミーッキー・カーチス&サムライ(オリジナルレコードは1971年発売/フィリップス)

ジャパニーズ・ニューロックが開花し始めた頃のメジャーな一枚。香港やタイからヨーロッパに活動拠点を広げてからの日本帰国。ただ単に”ロック”にとどまることなく、情緒豊かなメロディや和風テイストをちりばめた曲調、シンプルでありながらもノリの良い楽曲まで堪能できます。その中で原田のドラムは、決してでしゃばることなくそれでいて聞く者をノセてしまう心地よさが印象に残りますね。

「学生街の喫茶店」ガロ(1972年/マッシュルームレコード・コロムビア)

当初は注目を浴びなかった楽曲だったものの、その後じわじわと人気が出て翌年の大ヒットにつながり、紅白歌合戦にも出演するきっかけとなった作品。原田のドラムは、その楽曲のイメージからしっかりとリズムをキープしているだけという印象ですね。シンプル・イズ・ベストかな。

「太陽にほえろ!/傷だらけの天使」井上堯之バンド(1974年・ポリドール)

「太陽ほえろ!」と、そこで初代新人刑事・マカロニ役を演じていた萩原健一が主演した「傷だらけの天使」のカップリングアルバム。原田は「太陽!」の初期楽曲を演奏していたようですが、このアルバムがリリースされた時にはすでに脱退していたため、ライナーノーツのスチールには後任の田中清司が掲載されています。

「新創世記」ゴダイゴ(1976年・コロムビア)

優しすぎるほどやさしい歌声のタケカワユキヒデの、ビートルズを彷彿させるアコースティックで明るい楽曲が印象的な一枚。ただし、B面は”組曲”ゆえ、23分にわたり異なるタイプ/リズムの楽曲がメドレー的に演奏されており、原田の様々なドラミングを楽しめます。このアルバムの制作中に脱退したために、後任の浅野良治が数曲を担当しており、スチールにも原田ではなく浅野が写っています。

「今 僕は倖せです」沢田研二(1972年・ポリドール)

沢田研二のオリジナルアルバム。楽曲のすべてを「井上堯之グループ」(PYGの別名称とも言える)が担当。上記4枚ではお目にかかれなかった原田の顔が見える。それがこちら ↓↓

左から大野克夫・井上堯之・原田裕臣・萩原健一・岸部修三・沢田研二

 

その後はどのような活動をしていたのかわかりませんが、ご存命であったなら80歳。冒頭のラジオ番組ではミッキーが「原田はいいドラマーだった」と発言されていたようです。伝説的なドラマーであることには間違いありません。

どうぞ安らかに・・・。

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紙袋断捨離と50円?

2024-12-01 | 日々是充実

おやおや。もう12月ですね。なんか、暖かいですなぁ~

5~6年に一度、紙袋の整理をするんです。知らぬうちに溜まっていくんですよね。「なんかの時に使える~~」って言って

確かになんかの時には使うんですけど、どんどん増えちゃって。なのでドサ~ッと広げて、最低限必要なだけ残して廃品回収に出します

今回はその他にお菓子の缶類と、いわゆる”プチプチ”をはじめとしたビニール類も処分しました

     

過日。近所を歩いていたら気づきました

ドリンクの自販機。左下の缶コーヒーがなんと 50円

「買わねば!」と思ったのですが小銭がなかったので、お楽しみは次回に持ち越しました・・・って、どんな楽しみだ(笑) 

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