歴程日誌 ー創造的無と統合的経験ー

Process Diary
Creative Nothingness & Integrative Experience

二つのシンポジウム

2005-11-07 | 日誌 Diary
来る12月3日(土)に二つのシンポジウムが重なってしまった。一つは検証会議の評議員である浜崎真實氏が企画された「ハンセン病とカトリック」というシンポジウムで、全生園の愛徳会聖堂で開催される。愛徳会のかたもお話になられると言うことで、本来ならば私も出席したいところである。同じ日に別のシンポジウムがある。それは、東大駒場で開催される日本科学哲学会のシンポジウムで、アインシュタインの相対性理論発表100年を記念するもの。現在の関心からすると、全生園のシンポジウムの方に出たいところであるが、相対性理論のシンポジウムは、日程が先に決定されており、私はパネリストの一人として呼ばれているので、こちらの方に出席しなければならない。残念ながら、「ハンセン病とカトリック」の方を欠席することとした。もし、愛徳会聖堂でのシンポジウムの出席者が翌日まで全生園に滞在されるのであれば、なんとか都合を付けて、いちどお目に掛かりたいと思っている。

ところで、アインシュタインの相対性理論について、私が研究論文を幾つか発表したのは、20年以上以前のことである。米国の学会で、アインシュタインとホワイトヘッドの重力理論の比較をテーマとして話したが、私の関心は、時間・空間・物質・出来事というようなもっとも基礎的な物理学のカテゴリーに対し相対性理論が与えた影響を哲学的に考察することであった。それと同時に、パラダイムのことなる二つの理論の比較と実験的検証が如何に行われるかという問題を、アインシュタインとホワイトヘッドの重力理論の比較という見地から行うものであった。当然の事ながら、それは科学史や科学哲学の研究と重なるところの多いものであった。

20年を経過したあとで、現在の私は、科学哲学から宗教哲学へ、そして医療倫理や生命倫理のような実践哲学へと関心がシフトしている。そういう状況ではあるが、現在の私が、アインシュタインの理論について言いうることは何であろうか。それは、歴史的な研究でも、狭い意味での科学哲学でもなく、アウグスチヌスやアリストテレス以来の哲学的な背景の中で、我々自身によって生きられた時間と、時計によって計測された時間との関わりを問うことであろう。時間ほど我々にとって身近なものはないが、それと同時に、我々にとってもっとも理解の困難なものは無いからである。

プロセス日誌では、適当な時期に様々なカテゴリーに記事を分類することにしているが、これらの様々な主題がどのような形で収斂するかは、今のところはっきりとした見通しがあるわけではない。すべてがわたし自身が思索した様々な事柄、行動した様々なことの雑多なる記録にとどまっている。諸々のカテゴリーを越える普遍性ないし統一性は、これからあとの課題である。 

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