脱談林の動き 漢詩文調の採用による新風を起こす
天和元年(一六八一)「七五〇韻」(百韻七巻、五〇韻一巻)の刊行によって、京都のアマチュアの俳人(遊俳)である、信徳、春澄らから革新の運動の呼びかけが江戸に送られる。これに芭蕉は、同志の才丸、弟子の其角、揚水とともに二五〇韻をつけて、「俳諧次韻」を興行、七五〇韻と併せて千句とした。
鷺の足雉(キジ)脛(はぎ)長く継添えて 桃青
這句以荘子可見矣 其角
禅骨の力たはゝに成までに 才丸
しばらく松の風にをかしき 揚水
天和二年(一六八二)「武蔵曲(むさしぶり)」天和三年「虚栗(みなしぐり)」の刊行。
其角(当時二三才)による虚栗序文「此道今人捨如土 凩よ世に拾はれぬ虚栗」
虚栗調の歌仙の例
酒債尋常往処有
人生七十古来稀
詩あきんど年を貪る酒債(さかて)哉 其角
冬湖日暮て駕馬(ノスル ニ)鯉 芭蕉
干(ほこ)鈍き夷(えびす)に関をゆるすらん 同
三線(さみせん)・人の鬼を泣しむ 其角
「宗因用ひられて貞徳すたり、先師の次韻起て信徳が七百韻おとろふ。先師の変風におけるも、虚栗生じて次韻かれ、冬の日出て虚栗落つ」(許六「青根が峯」)
天和元年(一六八一)「七五〇韻」(百韻七巻、五〇韻一巻)の刊行によって、京都のアマチュアの俳人(遊俳)である、信徳、春澄らから革新の運動の呼びかけが江戸に送られる。これに芭蕉は、同志の才丸、弟子の其角、揚水とともに二五〇韻をつけて、「俳諧次韻」を興行、七五〇韻と併せて千句とした。
鷺の足雉(キジ)脛(はぎ)長く継添えて 桃青
這句以荘子可見矣 其角
禅骨の力たはゝに成までに 才丸
しばらく松の風にをかしき 揚水
天和二年(一六八二)「武蔵曲(むさしぶり)」天和三年「虚栗(みなしぐり)」の刊行。
其角(当時二三才)による虚栗序文「此道今人捨如土 凩よ世に拾はれぬ虚栗」
虚栗調の歌仙の例
酒債尋常往処有
人生七十古来稀
詩あきんど年を貪る酒債(さかて)哉 其角
冬湖日暮て駕馬(ノスル ニ)鯉 芭蕉
干(ほこ)鈍き夷(えびす)に関をゆるすらん 同
三線(さみせん)・人の鬼を泣しむ 其角
「宗因用ひられて貞徳すたり、先師の次韻起て信徳が七百韻おとろふ。先師の変風におけるも、虚栗生じて次韻かれ、冬の日出て虚栗落つ」(許六「青根が峯」)