歴程日誌 ー創造的無と統合的経験ー

Process Diary
Creative Nothingness & Integrative Experience

蕉風俳諧の成立 3

2005-11-23 | 美学 Aesthetics
脱談林の動き 漢詩文調の採用による新風を起こす

天和元年(一六八一)「七五〇韻」(百韻七巻、五〇韻一巻)の刊行によって、京都のアマチュアの俳人(遊俳)である、信徳、春澄らから革新の運動の呼びかけが江戸に送られる。これに芭蕉は、同志の才丸、弟子の其角、揚水とともに二五〇韻をつけて、「俳諧次韻」を興行、七五〇韻と併せて千句とした。

鷺の足雉(キジ)脛(はぎ)長く継添えて  桃青
  這句以荘子可見矣       其角
禅骨の力たはゝに成までに     才丸
  しばらく松の風にをかしき      揚水


天和二年(一六八二)「武蔵曲(むさしぶり)」天和三年「虚栗(みなしぐり)」の刊行。
其角(当時二三才)による虚栗序文「此道今人捨如土 凩よ世に拾はれぬ虚栗」

虚栗調の歌仙の例

酒債尋常往処有
人生七十古来稀

詩あきんど年を貪る酒債(さかて)哉 其角
冬湖日暮て駕馬(ノスル ニ)鯉      芭蕉
干(ほこ)鈍き夷(えびす)に関をゆるすらん     同
三線(さみせん)・人の鬼を泣しむ     其角

「宗因用ひられて貞徳すたり、先師の次韻起て信徳が七百韻おとろふ。先師の変風におけるも、虚栗生じて次韻かれ、冬の日出て虚栗落つ」(許六「青根が峯」)
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