相対性理論の意味するもの
提題者:田中 裕
Ⅰ科学哲学的考察-古きパラダイムの揚棄とcrucial experimentについて-
相対性の原理と理論
アインシュタインの特殊相対性理論の誕生を告げる1905年の論文の前半部分は「相対性の原理」と「光速度不変の原理」から、ローレンツ変換を導出するという構成になっている。この二つの原理の関係を考えてみよう。ここで相対性の「原理」と相対性の「理論」を区別しておくことが必要である。
相対性の「原理」とは、一般相対論にまで普遍化された形において述べるならば、「最も普遍的で包括的な物理法則は基準座標系の選択に依存しない形で表現されるべきである」という理念の表明であって、それ自身は実験的な検証の対象になるような命題ではない。それは、特殊な基準系でのみ成り立つ「法則」をもって満足しないように、たえずその制約を越えるように物理法則を書き換えるべきことを我々に要請する形式的原理であって、この「原理」に経験的に検証可能な実質的内容が与えられることによって、初めて相対性の「理論」となる。
特殊相対性理論の場合は「光速度不変の原理」が、一般相対性理論の場合は「等価原理」が、この相対性の原理に実質的な経験内容を盛り込んでいる。真空中の光速度が互いに等速直線運動するあらゆる慣性基準系で常に同一であるということは、光速度 C が普遍的な物理法則の表現にとって本質的な意味をもつということであるが、この事実は実験観測によって検証すべきことであって、ア・プリオリな論拠から導出すべきことではない。
1905年の時点でのアインシュタインの論文では言及されはしなかったが、マイケルソンとモレーの実験結果がもし肯定的なものであれば、光速度不変の原理は支持できなかったであろう。しかしながら、この実験は、地球上での光の速度の測定値は、地球の運動の影響を受けず、あらゆる方向で常に同一であるという事実を確認することによって、後に特殊相対性理論の実験的検証という意味をもつようになったことは、科学史のうえで周知の事柄である。またニュートン物理学では、重力は「真の」力であり、物質に起因する遠隔的な相互作用であった。これに対して、遠心力のような慣性力は、絶対空間以外の基準系でのみ現われ、重力のような「作用・反作用の法則」には従わない「見かけ」の力であった。アインシタインの一般相対性理論では、重力と慣性力とはともに「時空の歪み」として本性上同一であるという「等価原理」が採用されたが、この原理もまた重力赤方変移(重力場に逆らって電波する光のスペクトルが赤の方向にずれる)の観測によって実験的に検証されるべき事柄なのである。
カール・ポパーは、「重力赤方変移が実測されなければ、一般相対性理論は支持できないであろう」と述べたアインシュタインの発言に、「マルクス、フロイト、アードラーの独断的態度とは全く異なった、そして彼らの追従者の独断的態度とはさらに一層異なった」批判的な理性の典型を見いだしたが、彼の言う如く、実質的な内容をもつ「反証可能」な実験的帰結を明示することによって、アインシュタインは彼の相対性の理論に科学にとって必要不可欠な具体性を与えたと言ってよかろう。
基準系の選択に依存しない普遍的な真理を目指す「相対性の原理」は、同時に科学理論を積極的に経験的反証の場に曝すことを要求する立場でもある。無限に開かれた地平をもつ科学的探求にとって、反証可能な原理をもつことは、理論が空虚な説明図式に退行しないために必要不可欠である。
アインシュタインの相対性理論は、ニュートン物理学の信奉者に対して、たんにそれに代わるべき新しいパラダイムを提示することによって自足するような理論ではなかった。それは古典物理学を特殊な事例としてそのなかに含む包括的な理論であることを志向すると共に、ある決定実験を提示し、その実験の試練に耐えることによって、ニュートン物理学を破棄すると同時に形を変えて保存するより高次の理論であることを経験的に証明したのである。
2 非ユークリッド的世界の実在性
一般相対性理論は、「太陽の周辺では空間が湾曲すること」、すなわち強い重力場のある空間は非ユークリッド的であることを理論的に主張している。この理論とニュートン物理学との間の決定実験の一つが、有名な皆既日食の時の恒星の視位置のずれを測定する天体観測であった。ニュートン物理学ではユークリッド空間がア・プリオリに前提されており、直線や平面のなんたるかは物理学に先立って固有の意味をもっており、空間的な距離は「絶対」空間に固有の計量によって物質とは独立に定められていた。それゆえにニュートン物理学においては、光の経路や運動物体の軌跡が「湾曲」することは意味をなすが、「空間が湾曲する」ということは無意味であったというべきであろう。
時間と空間を事象や物体の相互関係の表現として捉える相対性理論においては、ユークリッド空間はそれらの相互関係の可能な表現の一つという以上の意味はもちえない。我々の世界がユークリッド的であるかそうでないかは、経験によって決定されるべきア・ポステリオリな事柄となる。言い換えれば、相対性理論では、従来ア・プリオリな必然性をもつと仮定されて来た幾何学の命題を実験観察によって反証可能な命題として捉え直すのである。
一般相対性理論とニュートン物理学のように、異なるパラダイムをもつ二つの理論の間で「決定実験」が遂行される可能性を否定する議論は古くからある。例えば、ポアンカレは、1902年に次のように書いている。
我々は此処で、一般相対性理論の検証実験の「観測の問題」とでも言うべきものに遭遇する。古典物理学の用語で記述できる実験状況のただ中において、古典物理学の理論枠組のなかでは原理的に解決できない逆説的な観測結果を予言する点ことこそ、古典物理学を揚棄する現代物理学の二本の柱である相対性理論と量子論の「観測の問題」の根本的特徴である。もちろん、一般相対性理論は決定論的な理論であり、波束の収縮にかかわる量子論に固有の問題は存在しない。しかし、ボーアが「量子現象という新しい経験分野において観測の問題の示す特異な側面」を明らかにするために述べた次の言葉は、量子力学のみならず一般相対性理論の実験的検証においても成立するであろう。
提題者:田中 裕
Ⅰ科学哲学的考察-古きパラダイムの揚棄とcrucial experimentについて-
相対性の原理と理論
アインシュタインの特殊相対性理論の誕生を告げる1905年の論文の前半部分は「相対性の原理」と「光速度不変の原理」から、ローレンツ変換を導出するという構成になっている。この二つの原理の関係を考えてみよう。ここで相対性の「原理」と相対性の「理論」を区別しておくことが必要である。
相対性の「原理」とは、一般相対論にまで普遍化された形において述べるならば、「最も普遍的で包括的な物理法則は基準座標系の選択に依存しない形で表現されるべきである」という理念の表明であって、それ自身は実験的な検証の対象になるような命題ではない。それは、特殊な基準系でのみ成り立つ「法則」をもって満足しないように、たえずその制約を越えるように物理法則を書き換えるべきことを我々に要請する形式的原理であって、この「原理」に経験的に検証可能な実質的内容が与えられることによって、初めて相対性の「理論」となる。
特殊相対性理論の場合は「光速度不変の原理」が、一般相対性理論の場合は「等価原理」が、この相対性の原理に実質的な経験内容を盛り込んでいる。真空中の光速度が互いに等速直線運動するあらゆる慣性基準系で常に同一であるということは、光速度 C が普遍的な物理法則の表現にとって本質的な意味をもつということであるが、この事実は実験観測によって検証すべきことであって、ア・プリオリな論拠から導出すべきことではない。
1905年の時点でのアインシュタインの論文では言及されはしなかったが、マイケルソンとモレーの実験結果がもし肯定的なものであれば、光速度不変の原理は支持できなかったであろう。しかしながら、この実験は、地球上での光の速度の測定値は、地球の運動の影響を受けず、あらゆる方向で常に同一であるという事実を確認することによって、後に特殊相対性理論の実験的検証という意味をもつようになったことは、科学史のうえで周知の事柄である。またニュートン物理学では、重力は「真の」力であり、物質に起因する遠隔的な相互作用であった。これに対して、遠心力のような慣性力は、絶対空間以外の基準系でのみ現われ、重力のような「作用・反作用の法則」には従わない「見かけ」の力であった。アインシタインの一般相対性理論では、重力と慣性力とはともに「時空の歪み」として本性上同一であるという「等価原理」が採用されたが、この原理もまた重力赤方変移(重力場に逆らって電波する光のスペクトルが赤の方向にずれる)の観測によって実験的に検証されるべき事柄なのである。
カール・ポパーは、「重力赤方変移が実測されなければ、一般相対性理論は支持できないであろう」と述べたアインシュタインの発言に、「マルクス、フロイト、アードラーの独断的態度とは全く異なった、そして彼らの追従者の独断的態度とはさらに一層異なった」批判的な理性の典型を見いだしたが、彼の言う如く、実質的な内容をもつ「反証可能」な実験的帰結を明示することによって、アインシュタインは彼の相対性の理論に科学にとって必要不可欠な具体性を与えたと言ってよかろう。
基準系の選択に依存しない普遍的な真理を目指す「相対性の原理」は、同時に科学理論を積極的に経験的反証の場に曝すことを要求する立場でもある。無限に開かれた地平をもつ科学的探求にとって、反証可能な原理をもつことは、理論が空虚な説明図式に退行しないために必要不可欠である。
アインシュタインの相対性理論は、ニュートン物理学の信奉者に対して、たんにそれに代わるべき新しいパラダイムを提示することによって自足するような理論ではなかった。それは古典物理学を特殊な事例としてそのなかに含む包括的な理論であることを志向すると共に、ある決定実験を提示し、その実験の試練に耐えることによって、ニュートン物理学を破棄すると同時に形を変えて保存するより高次の理論であることを経験的に証明したのである。
2 非ユークリッド的世界の実在性
一般相対性理論は、「太陽の周辺では空間が湾曲すること」、すなわち強い重力場のある空間は非ユークリッド的であることを理論的に主張している。この理論とニュートン物理学との間の決定実験の一つが、有名な皆既日食の時の恒星の視位置のずれを測定する天体観測であった。ニュートン物理学ではユークリッド空間がア・プリオリに前提されており、直線や平面のなんたるかは物理学に先立って固有の意味をもっており、空間的な距離は「絶対」空間に固有の計量によって物質とは独立に定められていた。それゆえにニュートン物理学においては、光の経路や運動物体の軌跡が「湾曲」することは意味をなすが、「空間が湾曲する」ということは無意味であったというべきであろう。
時間と空間を事象や物体の相互関係の表現として捉える相対性理論においては、ユークリッド空間はそれらの相互関係の可能な表現の一つという以上の意味はもちえない。我々の世界がユークリッド的であるかそうでないかは、経験によって決定されるべきア・ポステリオリな事柄となる。言い換えれば、相対性理論では、従来ア・プリオリな必然性をもつと仮定されて来た幾何学の命題を実験観察によって反証可能な命題として捉え直すのである。
一般相対性理論とニュートン物理学のように、異なるパラダイムをもつ二つの理論の間で「決定実験」が遂行される可能性を否定する議論は古くからある。例えば、ポアンカレは、1902年に次のように書いている。
「天文学で直線とよぶものは単に光線の通る道をさすに違いない。だから万が一にも負の視差を発見でもしょうものなら、あるいは視差はすべてある一定の限界以上であると証明でもしょうものなら、それは次の二つの結論、すなわち我々はユークリッド幾何学を放棄し得るか、あるいは光学の法則を変更して光は厳密に言えば直線的に伝播しないと認め得るかというこの二つから選択したことになる。全ての人々がこの後の回答のほうを有利と見なすことは付け加えて言うまでもない。だからユークリッド幾何学は新しい実験を気遣うことは少しもない。」(ポアンカレ、「科学と仮説」100頁)ポアンカレは「幾何学の原理は経験命題でも先天的総合判断でもない」とする徹底した規約主義の立場に基づいて「非ユークリッド幾何学の可能性」を擁護したが、上に引用した文章は、相対性理論以前の物理学者の偏見を共有している点で、むしろ彼の「規約主義」の限界を示すものと解釈できるだろう。それは非ユークリッド幾何学の可能性は擁護できたが、その現実性は予測できなかったからである。物理学者が、ポアンカレの予想とは異なり新しい実験事実に基づいてユークリッド幾何学を変更することを選択したこと、さらには、ある意味でユークリッド幾何学を優先的に保持しつづけることは不可能であると結論するに至った事情を次に検討してみよう。
我々は此処で、一般相対性理論の検証実験の「観測の問題」とでも言うべきものに遭遇する。古典物理学の用語で記述できる実験状況のただ中において、古典物理学の理論枠組のなかでは原理的に解決できない逆説的な観測結果を予言する点ことこそ、古典物理学を揚棄する現代物理学の二本の柱である相対性理論と量子論の「観測の問題」の根本的特徴である。もちろん、一般相対性理論は決定論的な理論であり、波束の収縮にかかわる量子論に固有の問題は存在しない。しかし、ボーアが「量子現象という新しい経験分野において観測の問題の示す特異な側面」を明らかにするために述べた次の言葉は、量子力学のみならず一般相対性理論の実験的検証においても成立するであろう。
「現象が古典物理学による説明の可能な範囲をいかにはるかに越えたものであっても、およそ確かめられた事実と言われるものの説明というものは古典的な言葉で表現されるものでなければならない。…-私の言わんとすることは要するに、我々が『実験』という語で考えている状況とは、そこで我々が何を行い、何を学ぶことになったかを他の人達に語り得るような一つの状況を指すのであって、その意味では実験上の道具立ての説明や観測結果の説明は古典物理学の用語法の適切な適用を含む意味のはっきりした言語で表現されねばならないということである。」(ボーア、「原子理論と自然記述」)
恒星の視位置の変化から太陽光線の屈折角を計算する時に、実験家は光の経路がそこからずれる「直線」の概念を前提して、太陽の裏側からくる恒星の視位置の変動から、屈折角を計算した。このとき実験物理学者が前提した幾何学は如何なるものであろうか。
もし実験物理学者が、「太陽の周辺で光が彎曲する」ということを確認する場合には、彼が依拠する幾何学は、依然としてニュートン物理学で彼が親しんできたユークリッド幾何学であったといわなければならないであろう。まぜまらば、一般相対性理論のなかでは、光は測地線に沿って運動するのであり、局所的にはいたるところで「直進」するからである。したがって、太陽光線の彎曲を確認したという場合、一般相対性理論の検証実験においては依然として、「古典的な言葉」によって説明が為されたと言わねばならぬであろう。を語る実験物理学者の共同体のなかで遂行されねばならなかったことを示している。
ポイントは、非ユークリッド幾何学を現実の空間の表現として採用する一般相対性理論が、ユークリッド幾何学と古典物理学の用語でも記述できる実験状況において観測される事実、しかも、古典物理学の中では予想もされなかった観測事実を予言したという事である。この予言がニュートン物理学の内部では説明できないという意味で、ニュートン物理学の本質的限界を設定する「決定的実験」の形でなされるのでなければ、一般相対性理論はニュートン物理学を越える理論であると主張できなかったであろう。
この辺の事情を解明するために、必要最小限の数式を交えてさらに詳しくこの決定的実験の内容を検討してみよう。我々は、非ユークリッド的な世界として、アインシュタインの一般相対性理論の基礎方程式の解の一つであるシュバルツシルド解によって記述される時空を例として採り上げる。これは静的かつ等方的な非ユークリッド的時空であり、一般相対性理論の古典的な検証はすべてこの解の応用と考えることができる。
いま中心の質量をM、万有引力定数をG、慣性系における真空中の光速度をcとするとき、a=2GM/c2 を重力半径とよぶ。この名称の由来は、もしもc=1 2G=1 となる単位系を選ぶならば、a=M となり、天体の質量を長さの数値で表現できるからである。太陽の場合、aはほぼ3㎞程度である。極座標表示で中心からの距離をrで表わし、β=a/r とおく。太陽の場合は r>7×105 kmであるから、βは極めて小さい。
シュバルツシルド時空は、半径方向に時空が収縮する非ユークリッド的時空である。基準系のとりかたに依存しない不変の時空計量 ds は、空間部分を極座標で表示して、
ds2 = (1-β)dt2 - (1-β)-1dr2 - r2(dθ2+sin2θdφ2)
となる。β=0と見なしうる領域では、ミンコフスキー時空(ユークリッド的時空
ds2 =dt2 - dr2 - r2(dθ2+sin2θdφ2)
と一致する。観測者がユークリッド空間を前提して測定を行なう状況は、一般相対性理論の立場では、等方座標系を設定することによってシュバルツシルド解を変換することによって記述できる。すなわち、θとφはそのままにして、rを、r=r”(1+a/4r”)2で置き換える。a/r” を改めてβとすると、
ds2 = (1-β/4)2(1+β/4)-2dt2 - (1+β/4)4(dr”2 + r”2(dθ2+sin2θdφ2)
この座標系での光の速さは、r”の関数となり、それはds=0 より
v = dr”/dt =(1-β/4)(1+β/4)-3(中心に近づけば近づくほど慣性系におけるC=1 より小さくなることに注意)
光りの屈折率nは
n=1/v≒(1-β/4)-1(1+β/4)3 =1+β (=1+2GM/c2r”)
によって決まる。
従って、非ユークリッド空間を直進する光は、観測者がユークリッド空間を前提して測定する場合には、屈折率nがr”によって異なる媒質に満たされたユークリッド空間を進む場合と同じだけ屈折する。r”に太陽の半径r0を代入したときのβの値をβ0として、屈折光学の古典的な理論によって、太陽の周辺を通る光の屈折角Θを求めると、
Θ≒ 2β0 =4GM/c2r0=8.48×10-6 = 1.75”
を得る。
四次元の湾曲する時空で直進する(ゼロ測地線を通る)光を、平坦なユークリッド空間に射影するときに、その軌跡が湾曲することは、ちょうど、二次元の湾曲した空間である球面をメルカトール法の地図のやり方で平面に射影すると、最短の経路(大円)が湾曲した線として表示されることになぞらえることができよう。
問題はニュートン物理学とユークリッド幾何学を前提してこの光線の湾曲という現象を説明できるかということである。我々が問題とする可能性は、空虚な論理的可能性ではなく、歴史的な状況に即した現実的な可能性である。
ニュートンの『光学』では万有引力の光の経路に及ぼす影響は未解決問題のうちに数えられていた。そしてニュートンの後継者たちもこの問題をニュートン物理学の枠組の中で解決することはできなかった。実際、光が重さのある微粒子であるとする粒子説で光の屈折を粒子に働く引力で説明する場合、屈折率が一より大きい媒質中の光速度は真空中よりも大きくなり、波動説による場合と逆の事実を予言してしまう。フーコーによる実験(1849~1862)が、この点に関しては波動説を支持したことが、光量子仮説が受け入れられるまで、物理学者が粒子説を斥けた理由の一つであった。従って、万有引力と光の相互作用に関する首尾一貫した理論はニュートン物理学の中では存在していなかったと言うのが正しい歴史的認識であろう。また、光速度で太陽周辺を通過する重さのある物体が描く双曲線軌道を計算して、屈折の角度(漸近線の交角)をニュートン物理学で計算することは可能であるが、その値はΘ≒ 2GM/c2r0=0.875” (一般相対性理論の予言の半分)になり、実験と合わない。それゆえに、ニュートン力学とユークリッド幾何学から実測された光の湾曲を説明することは事実上できなかったと言ってよかろう。
一般相対性理論とニュートン物理学との間の決定実験のひとつである重力場での光の湾曲についての結論は、次のように要約できよう。
(1) 一般相対性理論はニュートン物理学では考えられなかった現象の生起を予言する決定実験を提案し、その結果を説明する。
(2) その決定実験は、ニュートン物理学の枠組の中で定式化され、実験家はニュートン物理学を使ってその状況を記述してよい。
(3) その決定実験の結果は、ad hocな対策を構じない限り、ニュートン物理学の枠組のなかでは説明できない。
こうして、なぜ物理学者が「ユークリッド空間のなかで光線が湾曲する」というニュートン物理学の立場ではなくて相対性理論の立場を選択したか、その理由は明らかとなったと言ってよかろう。ニュートン物理学の立場は、自己自身の内部では説明困難な逆説的事実を含んでいたからである。この事実は古典物理学の内部にいるものによっては気づかれず、一般相対性理論という、古典物理学でア・プリオリに前提されていた原理を否定する立場から提起された決定実験によってはじめて、顕在化されたというべきであろう。
相対性理論は、物体の相対速度が光速度よりもはるかに小さく、重力場の時空計量に及ぼす影響を無視しうる特殊なケースとして古典物理学の実験的予測を包含しているという意味では、ニュートン物理学を「揚棄」するより普遍的な理論であった。ここでは、その「揚棄」とはどのような文脈で言われなければならないかを示したのである。それは、ニュートン物理学の内部で記述可能な実験的状況において古典的時空概念の限界を示す決定実験を提起することによってであることが示された。「四次元時空の曲率」や、それの帰結である「時間の肥大」や「三次元空間の湾曲」という一般相対性理論に固有の非古典的な概念が実験的に検証される場面は、ニュートン物理学でも記述しうる状況のただ中に生じる逆説的な特異性にほかならないからである。
---------脚注----------
1 「相対性の原理」という用語そのものは既にポアンカレによって1895年に使用されたが、「原理」とはいっても、彼の意味するところは、「おそらく光学現象はそこに存在する物体の相対運動にしか依存しない」という経験的な仮説であって、「よくできた理論は、この理論を一挙に全く厳密に証明することをゆるすものでなければならない」ものであった。(広重徹、「エ-テル問題・力学的世界観・相対性理論の起源」、『アインシュタイン研究』(中央公論社所収、昭和52年)211頁参照)。
アインシュタインの1905年の論文 Zur Elektrodynamik bewegter Körper ではじめて「相対性の原理」は、理論構成の形式的原理という性格を与えられた。 しかし、のちにアインシュタインが「特殊相対性理論が古典力学とは違ったものになっているのは、この相対性の要請によるものではなく、むしろ真空中の光速度が一定であるという要請がその原因である」と述べたように、相対性理論に「実質的な内容」を与えているのは「光速度不変の原理」である。 「(一般)相対性の原理」が、慣性系でしか成立しない「光速度不変の原理」とは異なるレベルの普遍的要請であるという認識は、一般相対性理論において生まれ、次のように定式化された。 「すべての自然法則はあらゆる座標系に対して成り立つような等式によって表現されるべきである。 すなわち、任意の座標変換に対して共変(これを一般共変性とよぶことにする)な等式によって書きあらわされるべきである。」(Einstein, Die Grundlage der allgemeinen Relativitätstheorie, Ann. der Phys. Ser.4, 49 (1916), pp.769-822)
2 アインシュタイン自身は、1921年のプリンストン大学講義で、「相対性理論は、光の伝播法則の上に時間の概念を樹立し、なんらの根拠なしに光の伝播に中心的理論的役割を与えるといってしばしば非難される」と述べた後で、マイケルソン・モレーの実験結果に言及して、それが特殊相対性理論に於ける「光速度不変の原理」を支持すると述べている。 Einstein, The meaning of Relativity, Princeton U.P. p.27
3 K.Popper, Conjectures and Refutations, Harper Torchbooks, 1963,p.36
4 Poincaré,Science and Hypothesis, Dover, p.73
5 ニールス・ボーア(井上健訳) 『原子理論と自然記述』、みすず書房、199頁
6 一般相対性理論の古典的な検証実験にかかわる理論的予測は、すべて、シュバルツシルド解をつかって導き出すことができる。(Robert M. Wald,General Relativity,The University of Chicago Press, 1984, pp.136-148参照)それは「湾曲した時空」というものをみとめないニュートン物理学とのあいだの決定実験という性格を持つのである。
7 重力赤方偏移の現象は、今日ではメスバウエル効果を使うガンマ線の実験によって実験室で検証されたが、この現象を光の波動説によって説明するときは、振動数の減少に伴う「時間の肥大(time dilatation)」という言葉が使われる。要するに、重力のある静止系で、ポテンシャルの高いところでは、低いところと比べて時計が遅れるという現象である。