次のような質問がHisamatuさんから寄せられましたのでお答えします。
覚書1に寄せられた質問
「非ユークリッド空間の実在性という場合、あくまでもユークリッド空間を保持しつつ、物理学の部分を変化させることで、実験結果を説明する可能性はないのでしょうか」
「ニュートンの万有引力の法則は逆二乗則ですが、これが、太陽周辺では、整数2より少しずれるという形で、修正すれば、近日点移動が得らるのではないでしょうか。そうすれば、空間は依然としてユークリッド的であって、物理法則の手直しで対応できると思いますが、どうでしょうか」
この二つの質問は関連しています。要するに、幾何学は平坦なユークリッド空間としたままで、物理学を手直しして、水星の近日点の移動と太陽の周辺の光線の彎曲という事態を説明することは出来るかーという問題です。
こたえは、ブログの覚書でも書きましたが、空虚な論理的可能性はあっても、事実上は不可能であったという見方を私はとっています。
水星の近日点移動のほうから説明致します。
この現象は、1859年にフランスの天文学者ルベリエによって論じられました。天体観測の結果、彼は水星の近日点が、1世紀あたり574秒回転する歳差運動を見出しました。この現象を説明する場合、金星からの摂動(277秒)、木星からの摂動(153秒)、地球からの摂動(90秒)火星とその他の惑星からの摂動(10秒)を考慮しても、残りの43秒分の近日点の移動効果が説明できなかった。(ルベリエの当時の数値は38秒)
したがって、ニュートン物理学の範囲でこれを説明しようとすれば、次の二つの救済策が可能で、歴史的にも実際にそういう試みが行われました。
(1)太陽と水星の間に未知の惑星の存在を想定する。
(2)ニュートンの逆二乗則の微調整。
(1)は天文学では良くとられる方法であるが(海王星の発見など)、太陽と水星の間に未知の小惑星ないし物質があるということは観測されなかった。
(2)では、逆2乗法則を、逆2.0000001574乗法則に調整すれば、水星の近日点は丁度1世紀に43秒回転することが示される。このことはアメリカの天文学者サイモン・ニューコムによって実際に提案された。しかし、(2)は、逆2乗則からのずれがなぜ起こるかについての説明を欠いていました。つまりアドホックな修正なのです。もし、この逆2乗則の修正が、太陽と水星の間だけでなく、普遍的なものであって、等しく地球と月との間でも起こるとすると、現実の月の軌道からかけ離れてしまう。
こうして、背景幾何学としてユークリッド空間をとり、万有引力の法則を手直しするというやり方では、特定の現象を救出できても、他の現象を説明できないものとしてしまうのです。
興味深いことに、(2)の説明は、ある意味で一般相対性理論による説明への橋渡しを与えています。(過渡的な性格を持つ点で、周転円による天動説の救済とよく似ています)
ニュートンの万有引力の逆2乗法則の2という整数は、電磁気学のクーロンの法則と同じように、空間の性質と深い関係があるということです。球の表面積が半径の2乗に比例するという、ユークリッド空間の性質が反映されていると言うことに他なりません。したがって、逆2乗法則からの微少なずれは、太陽周辺の空間がユークリッド的空間のような歪みのない平坦なものではなく、物質の存在によって、彎曲しているからであるということを示唆しています。
つまり、彎曲した時空というアイデアは、近日点移動と重力による光の彎曲という二つの現象を説明する鍵となっているのです。
ニュートン物理学を部分的に手直しして、ユークリッド幾何学を背景幾何学として採用するという手続きをとった場合、近日転移動も太陽周辺の光の彎曲も、一般的な理論から導出されるのではなく、その場限りの手直しによって「現象を救う」事になります。一般相対性理論を使うと、それらの「変則性」を、「時空の歪み」という基本的なアイデアから直接に理解することが出来るーこのことが、一般相対性理論の優位を説明するといって良いでしょう。
覚書2にかんする質問
「宇宙には始まりがあるということは、絶対時間を要請することに他ならないという考えがありますが、これについてはどう思われますか」
ビックバン宇宙論などで宇宙の年齢が150億年であるというときに言われている時間は、「宇宙論的時間(cosmological time)と呼ばれており、ニュートン物理学のなかではなく、アインシュタインの一般相対性理論の中で定義される時間です。それは、ニュートンのいう「絶対時間」とは意味を異にする概念です。宇宙論的時間は、4次元の宇宙全体を、空間的な超曲面(三次元空間)によって層別化したもので、そのような層別化が可能となるかどうかは、宇宙における物質分布に依存しており、そのような時間が存在する宇宙もあれば、存在しない宇宙もあります。つまり、宇宙時間はアポステリオリな条件によって決まる偶然性をもっている点で、ニュートン物理学で言う絶対時間とは異なります。また、ニュートン物理学では、あらゆる基準系で同時刻となると言う意味での絶対的同時性が成立しますが、宇宙論的時間における同時刻は、そのような意味での絶対性をもっていません。
それでは、どのようなときに宇宙論的時間が定義されるでしょうか。それは、空間における物質分布に関して、一様性、および等方性が成り立つ場合です。このとき、アインシュタインの一般相対性理論の基礎方程式を満たす単純な解が存在し、4次元距離dsは、
ds2=dt2-a2(t)dl2
によって定義されます。此処に出てくるパラメーターtが宇宙論的時間です。
覚書3について次の質問が寄せられました。
「相対性理論において観察者というのはどういう位置にあるのでしょうか。量子力学では、観測されるものとするものは分割できませんが、この考え方を相対性理論に統合できるのでしょうか。」
Hisamatu様の提出された問題は、重要な、しかし非常に困難な論点を含んでいますので、簡単にお答えすることはできません。
一般相対性理論を構想していた頃のアインシュタインは、観測対象の物理的特性が、観測者に依存するという量子力学の思想を退けていました。観測するものとされるものを分割して、観測されるものだけを独立に記述できるとする点において、彼は分離可能な実在を信じる実在論者でした。この立場は、量子力学と相対性理論を統合するときの妨げになり、乗り越えられるべき立場です。
他方、(非相対論的)量子力学の方は、観測者と観測対象の不可分に結びつきを強調しましたが、時間や空間の理解については、古典物理学のものを借用していました。(ボーアの相補性)つまり、時空の理解について保守的であったのです。
したがって、量子力学と相対性理論の統合は、相対性理論に対しては、分離不可能な実在と言う概念を要求し、量子力学については、量子電磁気学で、超多時間理論が採用されたように、唯一の時間パラメーターtで現象を記述するという立場を捨てることが求められます。現在の処、場の量子論というかたちで両者の部分的な統合がなされているだけで、一般相対性理論までを含む統合は成功していません。
こういう物理学プロパーの現状と平行して、私は哲学的な議論に於いても、相対論的な時空概念と、観測者と観測されるものとの一体不可分な結びつきとを普遍化したコスモロジーが求められていると考えています。
「ベルグソンによると時間は唯一でなければならず、複数の時間はあり得ない。時計によって計られる時間は、各基準系によって別々に定義されるかも知れませんが、我々が生きている時間は、必然的に一つであると思いますが、この点についてどう思いますか」
これもまた、大変に難しい問題ですね。
ベルグソンの時間は、我々によって生きられた時間であって、我々の主体がそこにおいて成立する時間であると私は理解しています。それは時計の同調という物理的操作によって定義されるアインシュタインの時間ではありません。両者共におなじ時間という言葉を使いながら、二人の論争がすれ違いにおわりました。
時間を物体の周期的運動の個数によって定義するアリストテレス流のやり方で物理学的に論じるか、想起、知覚、予期などの体験と不可分である過去・現在・未来の内的時間意識によって心理学的に論じるかで、哲学の時間論は議論の仕方が異なります。アインシュタインは前者の流れに属し、ベルグソンは後者の流れに属します。
この二つの議論を統合するためには、物心二元論を越えて、物理的時間と心理的時間が共通に根ざす時間経験そのものにまで遡る必要があるでしょう。
アインシュタインのような物理的時間が、そこから定義できる、またベルグソンの言う心理的時間もまた、そこから定義できるような、より普遍的な時間概念はあるでしょうか。私は、そういうものがあると信じており、それを探求することが哲学的時間論の課題であると思っています。
覚書1に寄せられた質問
「非ユークリッド空間の実在性という場合、あくまでもユークリッド空間を保持しつつ、物理学の部分を変化させることで、実験結果を説明する可能性はないのでしょうか」
「ニュートンの万有引力の法則は逆二乗則ですが、これが、太陽周辺では、整数2より少しずれるという形で、修正すれば、近日点移動が得らるのではないでしょうか。そうすれば、空間は依然としてユークリッド的であって、物理法則の手直しで対応できると思いますが、どうでしょうか」
この二つの質問は関連しています。要するに、幾何学は平坦なユークリッド空間としたままで、物理学を手直しして、水星の近日点の移動と太陽の周辺の光線の彎曲という事態を説明することは出来るかーという問題です。
こたえは、ブログの覚書でも書きましたが、空虚な論理的可能性はあっても、事実上は不可能であったという見方を私はとっています。
水星の近日点移動のほうから説明致します。
この現象は、1859年にフランスの天文学者ルベリエによって論じられました。天体観測の結果、彼は水星の近日点が、1世紀あたり574秒回転する歳差運動を見出しました。この現象を説明する場合、金星からの摂動(277秒)、木星からの摂動(153秒)、地球からの摂動(90秒)火星とその他の惑星からの摂動(10秒)を考慮しても、残りの43秒分の近日点の移動効果が説明できなかった。(ルベリエの当時の数値は38秒)
したがって、ニュートン物理学の範囲でこれを説明しようとすれば、次の二つの救済策が可能で、歴史的にも実際にそういう試みが行われました。
(1)太陽と水星の間に未知の惑星の存在を想定する。
(2)ニュートンの逆二乗則の微調整。
(1)は天文学では良くとられる方法であるが(海王星の発見など)、太陽と水星の間に未知の小惑星ないし物質があるということは観測されなかった。
(2)では、逆2乗法則を、逆2.0000001574乗法則に調整すれば、水星の近日点は丁度1世紀に43秒回転することが示される。このことはアメリカの天文学者サイモン・ニューコムによって実際に提案された。しかし、(2)は、逆2乗則からのずれがなぜ起こるかについての説明を欠いていました。つまりアドホックな修正なのです。もし、この逆2乗則の修正が、太陽と水星の間だけでなく、普遍的なものであって、等しく地球と月との間でも起こるとすると、現実の月の軌道からかけ離れてしまう。
こうして、背景幾何学としてユークリッド空間をとり、万有引力の法則を手直しするというやり方では、特定の現象を救出できても、他の現象を説明できないものとしてしまうのです。
興味深いことに、(2)の説明は、ある意味で一般相対性理論による説明への橋渡しを与えています。(過渡的な性格を持つ点で、周転円による天動説の救済とよく似ています)
ニュートンの万有引力の逆2乗法則の2という整数は、電磁気学のクーロンの法則と同じように、空間の性質と深い関係があるということです。球の表面積が半径の2乗に比例するという、ユークリッド空間の性質が反映されていると言うことに他なりません。したがって、逆2乗法則からの微少なずれは、太陽周辺の空間がユークリッド的空間のような歪みのない平坦なものではなく、物質の存在によって、彎曲しているからであるということを示唆しています。
つまり、彎曲した時空というアイデアは、近日点移動と重力による光の彎曲という二つの現象を説明する鍵となっているのです。
ニュートン物理学を部分的に手直しして、ユークリッド幾何学を背景幾何学として採用するという手続きをとった場合、近日転移動も太陽周辺の光の彎曲も、一般的な理論から導出されるのではなく、その場限りの手直しによって「現象を救う」事になります。一般相対性理論を使うと、それらの「変則性」を、「時空の歪み」という基本的なアイデアから直接に理解することが出来るーこのことが、一般相対性理論の優位を説明するといって良いでしょう。
覚書2にかんする質問
「宇宙には始まりがあるということは、絶対時間を要請することに他ならないという考えがありますが、これについてはどう思われますか」
ビックバン宇宙論などで宇宙の年齢が150億年であるというときに言われている時間は、「宇宙論的時間(cosmological time)と呼ばれており、ニュートン物理学のなかではなく、アインシュタインの一般相対性理論の中で定義される時間です。それは、ニュートンのいう「絶対時間」とは意味を異にする概念です。宇宙論的時間は、4次元の宇宙全体を、空間的な超曲面(三次元空間)によって層別化したもので、そのような層別化が可能となるかどうかは、宇宙における物質分布に依存しており、そのような時間が存在する宇宙もあれば、存在しない宇宙もあります。つまり、宇宙時間はアポステリオリな条件によって決まる偶然性をもっている点で、ニュートン物理学で言う絶対時間とは異なります。また、ニュートン物理学では、あらゆる基準系で同時刻となると言う意味での絶対的同時性が成立しますが、宇宙論的時間における同時刻は、そのような意味での絶対性をもっていません。
それでは、どのようなときに宇宙論的時間が定義されるでしょうか。それは、空間における物質分布に関して、一様性、および等方性が成り立つ場合です。このとき、アインシュタインの一般相対性理論の基礎方程式を満たす単純な解が存在し、4次元距離dsは、
ds2=dt2-a2(t)dl2
によって定義されます。此処に出てくるパラメーターtが宇宙論的時間です。
覚書3について次の質問が寄せられました。
「相対性理論において観察者というのはどういう位置にあるのでしょうか。量子力学では、観測されるものとするものは分割できませんが、この考え方を相対性理論に統合できるのでしょうか。」
Hisamatu様の提出された問題は、重要な、しかし非常に困難な論点を含んでいますので、簡単にお答えすることはできません。
一般相対性理論を構想していた頃のアインシュタインは、観測対象の物理的特性が、観測者に依存するという量子力学の思想を退けていました。観測するものとされるものを分割して、観測されるものだけを独立に記述できるとする点において、彼は分離可能な実在を信じる実在論者でした。この立場は、量子力学と相対性理論を統合するときの妨げになり、乗り越えられるべき立場です。
他方、(非相対論的)量子力学の方は、観測者と観測対象の不可分に結びつきを強調しましたが、時間や空間の理解については、古典物理学のものを借用していました。(ボーアの相補性)つまり、時空の理解について保守的であったのです。
したがって、量子力学と相対性理論の統合は、相対性理論に対しては、分離不可能な実在と言う概念を要求し、量子力学については、量子電磁気学で、超多時間理論が採用されたように、唯一の時間パラメーターtで現象を記述するという立場を捨てることが求められます。現在の処、場の量子論というかたちで両者の部分的な統合がなされているだけで、一般相対性理論までを含む統合は成功していません。
こういう物理学プロパーの現状と平行して、私は哲学的な議論に於いても、相対論的な時空概念と、観測者と観測されるものとの一体不可分な結びつきとを普遍化したコスモロジーが求められていると考えています。
「ベルグソンによると時間は唯一でなければならず、複数の時間はあり得ない。時計によって計られる時間は、各基準系によって別々に定義されるかも知れませんが、我々が生きている時間は、必然的に一つであると思いますが、この点についてどう思いますか」
これもまた、大変に難しい問題ですね。
ベルグソンの時間は、我々によって生きられた時間であって、我々の主体がそこにおいて成立する時間であると私は理解しています。それは時計の同調という物理的操作によって定義されるアインシュタインの時間ではありません。両者共におなじ時間という言葉を使いながら、二人の論争がすれ違いにおわりました。
時間を物体の周期的運動の個数によって定義するアリストテレス流のやり方で物理学的に論じるか、想起、知覚、予期などの体験と不可分である過去・現在・未来の内的時間意識によって心理学的に論じるかで、哲学の時間論は議論の仕方が異なります。アインシュタインは前者の流れに属し、ベルグソンは後者の流れに属します。
この二つの議論を統合するためには、物心二元論を越えて、物理的時間と心理的時間が共通に根ざす時間経験そのものにまで遡る必要があるでしょう。
アインシュタインのような物理的時間が、そこから定義できる、またベルグソンの言う心理的時間もまた、そこから定義できるような、より普遍的な時間概念はあるでしょうか。私は、そういうものがあると信じており、それを探求することが哲学的時間論の課題であると思っています。