歴程日誌 ー創造的無と統合的経験ー

Process Diary
Creative Nothingness & Integrative Experience

蕉風俳諧の成立 1

2005-11-25 | 美学 Aesthetics
―貞門俳諧・談林俳諧から蕉風俳諧へー

貞門俳諧の実例

紅梅千句 (承応二年(一六五三)正月興行)

紅梅やかの銀公のからころも    長頭丸(ちやうとうまろ)
  翠(みどり)の帳(ちやう)と見ゆる青柳(あをやぎ) 友仙
堤つく春の日々記かきつけて   正章
よむや川辺の道ゆきの哥    季吟

長頭丸とは貞門俳諧の師、松永貞徳の俳号。季吟は芭蕉の師。紅梅千句の出版に携わる。千句興行とは、春夏秋冬の句をそれぞれ発句にとって百韻を十巻連ねる興行で、十百韻という。通常、春と秋を発句とするもの各三巻、夏と冬を発句とするもの各二巻、追加表八句を詠んで神社に奉納する。時に、貞徳は八十二歳、貞徳の俳諧がいかなるものであるかを後世に伝えるものとされ、一門の規範書となった。
発句は、漢の武帝の后、銀公の袖の香が梅花にうつり匂ひをとどめた」故事をふむ。

附合は、紅梅→青柳→堤→川辺 日記→よむ のように、縁のあるもの、対照的なものを連ねる「もの附け」が原則。脇の「帳」は貴婦人の寝室の帳(とばり)であるが、第三の「帳」は堤の普請(堤つくの「つく」は築くの意)でつかう帳面。このように、掛詞によって意味をずらして付けることも行われる。
貞門俳諧の基本は、第一藝術である和歌や連歌をたしなむことの出来ない武士や町民を教化するための第二藝術として俳諧を位置づけたところにある。その俳諧は、連歌では使えない漢語や俗語を自由に使用したが、俳諧としての自律性、独立性に乏しいものであった。この紅梅千句にあらわれている句風は、談林派の俳諧師達から批判された。たとえば、岡西惟中は「俳諧蒙求(もうぎゆう)」のなかで

「これらの句みな連歌の正真なり。又古事・物語も、かかる仕立ては全くありごとにて俳とも諧とも見えず」

といって、俳諧は滑稽を旨とすべきで、その附合は、「無心」つまり、意味のない「そらごと」であるほうが理屈抜きで面白いというのである。
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