エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

前橋へ行く

2013年05月07日 | ポエム
前橋・・・萩原朔太郎の故郷である。
いつもそうだけれど、ぼくの・・・ここのところにずっしりと座っている詩人である。
ぼくの深奥には、萩原朔太郎の詩人の心が棲み着いている。

決して越えられない、詩人の精神。
時として、モダニズム。
時として、退廃。
そして、アフォリズムである。

ぼくの尊敬してやまない「からまつ」由利主宰もまた、萩原朔太郎に多感な青年時代に影響されたとお聞きした。
詩作の日々があって、その中で由利主宰は萩原朔太郎の詩に揺さぶられた。
越えられない山だと感じられたそうである。
由利主宰の詩集を見せて頂いた事があった。
素晴らしい詩が発表されていて、行間に溢れる由利主宰の世界があった。

けれど、由利主宰が俳句の世界で花開いた事を、ぼくは喜ぶ。
博覧強記ともいうべき由利主宰の知識は並大抵ではない。
その知の宝庫がぼくの、いやぼくたちの傍にいるという僥倖を感じるからである。



萩原朔太郎。
もう一つの側面、マンドリンである。
演奏家であり、作曲家でもある。

前橋はその朔太郎が生まれ育った街である。
昨日、前橋女子高等学校ギター・マンドリン部の第49回定期発表会に出かけたのであった。
マンドリンという、音楽の山並みの一つに聳える「両角文則」氏から案内状を頂いたのであった。
両角氏との出会いは、友人A氏である。
この演奏会は、謂わば三年生の「追い出し演奏会」である。
演奏会の最後の、部長のゆめちゃんの挨拶は、とても素晴らしかった。
文化的素養は、人の精神を著しく高揚させ高みに導くのだ、と知らされるのである。



実は、マンドリンを聴きに生きつつ念願だった「萩原朔太郎記念館」と「前橋文学館」を訪ねてみようと思ったのであった。
朝早く家を出、関越自動車道に載った。



前橋市内にある市民のオアシス「敷島公園」。
その一画を占める「バラ園」の中に萩原朔太郎記念館」は佇む。



詩碑があって・・・。



松林の向こうに三棟。
それが祈念館である。



このベンチに座って、暫く思索の時を過ごした。
風が光っていた。

前橋市内を流れる広瀬川。
水の豊かな流れが、ホッとさせてくれる。



豊かな流れは人の憂さも、何もかもを流し去ってくれる。
その畔に前橋文学館は、ひっそりと建っているのである。



ミュージアム・ショップである。
ぼくは、ここで朔太郎の短冊(もちろん印刷物)を一つ。
それに手回しのオルゴール二つを買い求めたのである。







「朔太郎忌月に吠えれば風光る」







オルゴールは由利主宰への「お土産」である。
朔太郎は、俳句への造詣も深かった詩人である。
朔太郎の与謝蕪村論は、素晴らしい!
その蕪村論と出会えたのも由利主宰のおかげである。

今月は、朔太郎忌である。
5月11日、朔太郎は逝去した。

黙祷。



    荒 野人