エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

銀杏

2013年12月01日 | ポエム
イチョウである。
公孫樹とも、銀杏とも表記する。



ぼくは銀杏という表記が好きだ。
ギンナンとも読めるし、何より食欲を刺激する感じが良い。



イチョウはギンナンと不離一体である。
それは、古来より感性として一体だったはずである。
木の実を食していた原始。貴重な食物だったのだと思う。



少し前、そうギンナンが落果する季節。
この並木は、ギンナンの腐臭が充満していた。
けれど、ギンナン好きには好もしい匂いではある。

「クサイ!」と言って、通り過ぎる子どもたちや若者たち。
彼らは「臭いは美味い!」という原則を知らないのである。
同時に「辛いは美味い!」という食の原点も知らないのであろうか?



だがしかし、ついこの前まであった「韓流ブーム」では辛いものは受け入れられた。
ぼくも、ソウルは仕事絡みで月に3~4回出かけたものであった。
その当時は、韓国は大好きであった。

いまは・・・好きか?と聞かれたとしたら微妙である。
大学の先生だとか、町工場のおやじ、など友人が多い。
彼らはおしなべて、立派である。
見識も高い。

彼らを切り捨てられないのが人としての感情である。

休題閑話。







「子の遊ぶ銀杏黄葉の並木なす」







銀杏の黄葉は見事である。
とりわけ、朝陽、夕陽に照らされた黄色は、明媚としか言いようが無い。

はでやかであるけれど、目に優しい。
美しい・・・とはこの事である。



       荒 野人