薄命の俳人「住宅顕信」について触れたい。
以前、由利主宰が「俳句四季」に稿を寄せ紹介した。
死後、友人たちが上梓した句集の帯にこう書いてある。
「中卒後、調理師学校へ。22歳、得度。結婚、そして発病。4カ月後、長男誕生。離婚、病床で育児。25歳、永眠。」
波乱万丈の人生を駆け抜けた俳人である。
いやいや、疾風怒涛の人生なのだろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/1b/bb90a0c1006b63dc1c4663cf4cd7c099.jpg)
享年25。
俳人としての創作期間はわずか3年で、生涯に残した俳句は281句だった。
尾崎放哉に心酔。
自由律俳句を詠んだ。
井泉水、放哉、山頭火の流れの中にあって、俳句を詠んだのである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/18/9f51158be82a8dd2ef15da6353d1ca8a.jpg)
この俳人の事は、由利主宰からこの句集を貸して頂き知り合ったのである。
若くして、これほどの書をものしている。
早熟の天才と言ってよかろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/a8/38950e16e5dd624b097ced05a5135048.jpg)
旭川河畔に立つ顕信の句碑は、唯一残された彼の軌跡である。
「水滴の
ひとつひとつが
笑っている
顔だ」
彼の御霊に応えられない野人である。
「ささやかな寒さに負ける」
と詠んでおきたい。
ぼくはまだ修行中である。
情けない。
次には、彼の句を紹介したいと思っている。
荒 野人
以前、由利主宰が「俳句四季」に稿を寄せ紹介した。
死後、友人たちが上梓した句集の帯にこう書いてある。
「中卒後、調理師学校へ。22歳、得度。結婚、そして発病。4カ月後、長男誕生。離婚、病床で育児。25歳、永眠。」
波乱万丈の人生を駆け抜けた俳人である。
いやいや、疾風怒涛の人生なのだろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/1b/bb90a0c1006b63dc1c4663cf4cd7c099.jpg)
享年25。
俳人としての創作期間はわずか3年で、生涯に残した俳句は281句だった。
尾崎放哉に心酔。
自由律俳句を詠んだ。
井泉水、放哉、山頭火の流れの中にあって、俳句を詠んだのである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/18/9f51158be82a8dd2ef15da6353d1ca8a.jpg)
この俳人の事は、由利主宰からこの句集を貸して頂き知り合ったのである。
若くして、これほどの書をものしている。
早熟の天才と言ってよかろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/a8/38950e16e5dd624b097ced05a5135048.jpg)
旭川河畔に立つ顕信の句碑は、唯一残された彼の軌跡である。
「水滴の
ひとつひとつが
笑っている
顔だ」
彼の御霊に応えられない野人である。
「ささやかな寒さに負ける」
と詠んでおきたい。
ぼくはまだ修行中である。
情けない。
次には、彼の句を紹介したいと思っている。
荒 野人