エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

緑、翠、碧、そしてみどり

2015年05月01日 | ポエム
緑立つ・・・春の季語である。
誠に意味の深い季語である。



緑立ち、虚空に広がる深いふかい宙。
そこに、誰でもが自己投影できる。
そのキャパシティーの大きさよ。
緑といい、宙といい、コスモスが確かに存在するのである。



さて、前振りは以上。

新緑は、どれほど重ねても暗くならない。
あくまでも緑であって緑以外に変色することはしない。
それが、新緑の個性である。



「緑立つ」
美しくも爽やかな季語である。



翠は、空の果まで緑でありそれは虚空まで翠で染め抜くのだ。







「緑立つ深き息する空の果」







ここ数日、とりわけ連休に入ってからと云うもの晴天が続いている。
暑いくらいの陽気であるのだ。

落語の「愛宕山」でも聞きたい気分である。
誰の噺を聞こうか・・・?
志ん朝か、はたまた賑やかな枝雀か・・・。
それとも、渋く深みのある米朝を聴こうか!!



野に出ると、この噺の情景が広がっているのである。

江戸時代だと、駒込田圃(こまごめたんぼ)から王子稲荷辺り。
そうそう、王子稲荷の手前には八重桜の名所「飛鳥山」もある。

駒込田圃の端っこあたりに、あの全国に流布した桜「ソメイヨシノ」の生まれた「染井」という地区がある。
その染井墓地には、著名な文化人の墓域がある。
かの「お岩」さんの墓地もあるのだ。

正しく「物見遊山」の極地である。



古今亭志ん朝 - 愛宕山(Part1 of 3)





桂枝雀 愛宕山*





今日は、志ん朝と枝雀で聴きたい。
志ん朝は古典落語の名手、である。
テンポ、語り口、知識ともに群を抜いていたものであった・・・。

枝雀は、その語り口は西の爆笑王に相応しい。
彼は、動作を含めて一つの作品なのだ。
従って、動きの無い語りは興趣が半減する。
けれども動きのある動画が見つけられなかった。

時間の許す範囲で、聴いて頂きたいものである。
味わいがあって、江戸時代に意識がフラッシュ・バックする感覚にとらわれる。
話術の達人とは、そうしたものだと合点する。

不思議な感覚であるし、楽しい。



      荒 野人